選択

〜2・選択〜




「人が……全然いないな」


 シェーナが単独で入城してから、既に早いとは言えない時間が経過してしまった。

 アズロは自分の気配しか感じない入り組んだ通路をさ迷いながら、シェーナの居場所を探り続ける。


 なんとなくではあるが、無事はわかっていた。

 勘なのか、それ以外の何かしらの理由なのか、定かではない。


「ラナンキュラスと匹敵するな、これは……」


 外観と異なり、幾つもの通路が交差するヴァルド城内には、さらに幾つもの幻影が施されていた。

 内部の者ですら容易に通れないと思われる堅牢な要塞は、少しずつアズロの体力を削ってしまう。


 額の汗を拭い、ふと立ち止まり窓越しに空を見上げて、息を飲んだ。


「……あの雲……」


 空には、徐々に暗雲が広がっていた。

 中央の分厚い層から、刃のような破片が地上に降り注いでゆくのが見える。


「……」


 遥か、エントランスの方角を振り返った。

 外には──


 そう思った瞬間。


 テレパシーのように、頭に響き渡ったのは、女性の声。


“──躊躇しないで、選べ!!”


 凛としつつも明るいその声は、先ほどまで背中合わせで奮戦していた人物のもので。


 アズロは誰にともなく首肯すると、次の通路を目指して床を蹴った。


「シェーナさん、今行く……!」


 迷いなく、心のままに選択する。


 間違っているかもしれない。

 間違っているのだと思う。


 凛とした声の中に微かに響いた切なさが意図するものに、気付いてしまった気がしたから。

 気付いてなお、前に進む自分の行動は、ラナンキュラスの長としても観察者としても失格だろう。

 けれど、もう振り返ることは出来なかった。


 きっとこの先に、シェーナさんは居る──

 僕は、このまま彼女のもとへ駆けつけるだろう。


(アラマンダ……僕は……でも……)


 痛む胸に気づかないふりをして、前へ前へと、疾走した。





「──シグルズ様!」


 先刻からひっきりなしに降り注ぐ刃のようなものを槍で振り払いながら、ルーチェは頭上の鉛色の空を見上げた。

 どこからか流れてきた雲は徐々に広がって、今やセレス王城を覆い始めている。

 辺りは陰り、どこまでこの雲が続いているのか判らなかった。


 刃は、ヴァルド軍の飛び道具ではない。

 それなら数百倍ましだった。


 鋭利な先端を持つクナイにも似たそれは、頭上の雲から降り注いでいた。

 構成物質が何かは判別がつかない。

 まあ、まともなものではないのだろうが──。


 ……まだ、セレス城にヴァルドの軍勢は到達していない。

 国境からは、いくら気絶させても起き上がって襲ってくる異様なヴァルド兵に苦戦中との報告が入ってきていた。


「まずいわね」


 呟いたルーチェに、ジェイが軽く振り返る。


「この雲のことか? ルーチェ殿、もしやと思うがこの気配は、イグニス消滅の時と似た──」

「ええ、そのようですわ。残念なことにね」


 頷くルーチェを目の当たりにして、ジェイは一度瞳を閉じ、そして自らの騎乗する馬の装具のほとんどを地面に落とした。

 背に飛び乗ると、にやりと笑みを浮かべる。


「シグルズ様……? あなた──」

「ルーチェ殿は、エイシア殿と同じ力を持つと言っていたな。それならば、俺がここを離れたとて問題なかろう?」

「まさか……」

「ああ、このまま国境まで駆ける。かろうじて持っているようだが、前衛のあいつらを放ってはおけん」

「待って、待ちなさい! あなたはこの国の──それにあなたは」

「愚かだと言いたげだな。王たる俺が単騎で駆けることを。貴殿のような力も異能もない、一般能力者の俺が駆けつけても、無意味だと」


 ジェイの笑みは、ますます力強くなる。

 その爽快なまでの笑顔は、目の前のルーチェを含めて、誰も責めてなどいなかった。

 彼が見据えているのは、彼の目指す先なのだろう。

 全ての不安を吹き飛ばすような澄んだ強さだけが、そこにはあった。


「俺はな、こう見えてけっこうナイーブなんだ。もし今国境守備部隊を放って自分だけ生き残って玉座に戻ったなら、今後一生山奥にでも隠れて閉じ籠ってしまうやもしれん。罪悪感にはめっぽう弱いのさ。……元々なあ、一国の王って柄じゃねぇ。必要があったから先導したまでだ。……だが、今は多くの支えに恵まれている。安心してここを離脱して任せて、前線に行けるくらいには──貴殿らを、信頼している」


「シグル──いえ、ジェラルド・ウォーデン・イグニアス。死なない覚悟はおありですか?」


「もちろんさ。死ににゆくつもりなど全く無い。守り抜いて、生きて帰って来る。後は任せたぞ、界の守り人殿」


 返答に苦笑いしたルーチェは、改めてジェイの瞳を見据える。


 彼の目は、死んでいない。

 おそらくここで闘う誰よりも、光を帯びた──不思議な色彩。


 そこに一瞬だけ、柔らかな少女の微笑みが重なった気がして、ルーチェは無言のまま頷いた。


「わかったわ、行ってらっしゃいジェラルド君。ここは守っておいて差し上げましょう。規律違反だけど……仕方ないわね」


「感謝する」


 黙礼し、ジェイは空間を縫うようにセレネへと駆けてゆく。

 年のわりに黒く長い真っ直ぐな髪が、悠々と風になびいて、あっという間に消えていった。




***




 刃の雨が、強くなってきた。


 いつからかヴァルド領上空に広がった分厚い雲は、アフィリメノス市街地に鋭利な雨を降らせ続けている。

 屋根屋根は砕かれ、かろうじてはりが無事といったところだろうか。


「……まずいな」


 目の前で眠り続けるヴァルド異能者の大群を、自前の結界で止まない刃から守りつつ、猛攻に耐える。


(どっちだ……全員を守って消耗するか、あるいは……)


 どくん、と早鐘を打つ心臓に、落ち着けと声をかけ続ける。


「……たぶんこの刃は、向こうにも降ってるな。ヴァルドとセレス──そこまでで、終わってくれるか? ……いや、このままじゃ……」


 雲はみるみるうちに広がって、隙間なくヴァルドを覆い隠してしまった。

 日中にも関わらず、異様な薄暗さだ。

 遠方を映し出す魔鏡かがみを確認すれば、アクアの空にも小さな雲が集まり始めている。

 ということは、ログレア、アーリアも恐らく──。


「……なんってこと……してくれやがった、リゲル君……。君はこんなの本望じゃないだろうに。……何を、考えてる?」


 エイシアは胸に、そして腹部に届くくらい深く息を吸い込み、思い切り吐き出した。


(冷静に……今、必要なことを見据えて動け、エイシア)


 心に語りかけて、小刻みに震える左手を右手で抑える。

 付近に落ちていた、中央が割れて二つに分かれた長剣を拾い上げると、柄のあるほうの半分を地面に突き立てた。


 片手に持つ、柄の無いほうの剥き出しの刃が皮膚に食い込む鈍い痛みで動悸を鎮め、理性を保つことへと意識を向ける。

 眠り込んだヴァルド兵たちから出来る限り離れた、小さな緑地──丘になっている場所に、拠点を移した。


 柄のある半分に施した急場しのぎの結界は、こちらの半分が砕かれるまでは、片割れとして彼らを守り続けるはずだ。


「さて、と」


 ぽたり、ぽたりと地面に描かれてゆくのは、血の混じった緋色の円陣。


「僕に──流るる薬師の民、ユンヌの血よ、生ける者は死ぬるが定め。我は知を得れど未だ抗う者なり。ゆえにその教え、今一度、我に送り与えたまえ──どうかこの術を、支えてくれ」


 囁きのような声は、ひゅんひゅんと地面に降りしきる刃の風圧に掻き消され、エイシア本人にしか聞こえていなかった。


(……怖い、な)


 円陣が完成に近付くにつれ、全身の震えが増していく。


「……せん、せい──」


 ぽつりと呟いた背後から不意に響いたのは、懐かしいあの──


「何でしょう、シア?」


 穏やかなその声に振り返れば、すぐそばに立っていたのは、自分たちが葬ったはずの──

 もう二度と、会えないと思っていた人物。


 驚かないなんて、無理だった。


「どう……して?」


「さてね、どうしてでしょうか?」


「教えてくれないんですか?」


「ええ。もうわかっているでしょう?」


 懐かしいその微笑みに、手にした剣を放り出して抱きつきそうになって、エイシアは剣を握り直して踏み留まる。

 目の前に佇む、蒼く長い髪を持つ蒼い目の青年──エスタシオンとおぼしき人物は、静かに言葉を紡いだ。


「シア。あなたが今ここでしようとしていることを、しなかったとしても、です。界の守り人としては、全く不利にならないのではないですか? ルーチェと合流してからでも遅くない。このセレスという惑星が、滅びさえ……消滅さえしなければ、私達の狭間の世界は安泰でしょう?」


 優しい言葉は、甘いあまい、誘惑で。

 きっと今までなら、僕は──。


 だけど、僕の首は、自ずと左右に振られていた。


「……そうですね。別にこの人たちを見捨てても、僕らは損しない。星さえ、維持できれば狭間の世界に影響はないのだから。けど……」


「けど?」


 不思議そうな眼差しに見据えられ、エイシアはゆっくりと、想いを音に──言の葉へと変えてゆく。


「好きになって、しまったんです。……この全く知らない人たちは、正直まあどうでもいいんだけど。この人たちが死んじゃったら、それを僕のせいだー、とか、私がもっと気づけば、とか、自分のせいだと思って沈みそうな──手のかかる子たちが、意外と大好きみたいなんです。──僕……私には、護りたいものが、できてしまいました」


 あーあ、と吐き出したエイシアに安堵したかのように、エスタシオンの輪郭はぼやけて、景色へと融けていく。

 その事象の真意を察知したような気がしてしまって、エイシアは苦笑した。


「……全く、いつまでも心配性ですね。私なら大丈夫ですよ、エスタあほシオン先生。いい加減眠りにつきやがれ変人」


 先程までの震えがなくなっていることに気付いて、一度深く息を吐く。

 円陣の最後を繋ぐ線を描き終えて、遥か上空に想いを馳せた。


「──私は、誰かを想うことを、知らなかったよ。人って簡単に殺し合ってしまう非情な存在で、恐怖でしかないと思ってた。母が──感情にまかせて私を殺めようとしたように。……だけど……ねえ、ルーチェ。最初に、道化を演じてた私を見つけて叱ってくれたのは、貴女だったね。……気付いてたかなぁ、私は──親友としてじゃなくて、本当に貴女のことが──って、やめとこう。どうせまだそこにいるでしょ、エスタ先生? こんなこと、言いたくなかったけど──弱虫みたいでイヤだけど──でも、いるんならさ、今だけだから。今だけ、私のそばに──いて、ください……」


 背中から、柔らかな布で包まれるような温もりが、冷えた身体に伝わっていく。

 瞳が潤むのを無視して、エイシアは朗々と唱えた。


「ルーフェンシュヴェーレンバウエン! 一、我は此の剣を誓いとせん。シールクロデマヒアセージョ・レスレクシオン! 二、封印を解き放ち古の禁忌を蘇生せり。 三、我が身を贄とし降りたまえ。呼応せよ──サクリフィキウム・プレトレス──レデムプティオ!! 避雷針、解放──」




 ──耳を、つんざく轟音。


 瞳を伏せずにはいられない、閃光。


 それは、一瞬の出来事だった。




 かろうじて出来た雲の切れ間の各所から、細い光の筋が数刻ぶりに大地を照らす。


 ちらちらと灯る炎のような光は、セレス・ヴァルド両軍の無事を確認する松明たいまつの役割を果たしていた。




 光は、円状に広く焼け焦げた小さな丘をも照らし出している。




 風に流されたのだろうか、淡い紫の布切れが、少し離れた木の枝にひとつだけ、引っ掛かったまま揺れていた。


 他に場に残されていたのは、きらきらと仄かに光る剣だったものの破片だけだ。




 降りやまなかった刃の雨は鎮まり、静けさが辺りを満たす中、ひとつ、またひとつと、小さな雲が密集を始める。




“急いで、持つのは少しの間だけだよ”




 小さく響いた声は、人の想いか、あるいは願いか──。





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