生きていて

***




 がらんとしたエントランス広間を抜けて、幾つかの通路を過ぎると、中庭へと続くバルコニーの辺りに仄かな光が見えた。


 淡い、銀色にも見える──プラチナブロンドの長い髪。

 床まであるそれを束ねることなく、無造作に風に遊ばせる彼女は──




「シェーナちゃん……。来ないでいてくれたら、良かったのに」


「……ルーアン。貴女の指輪が、私への干渉を防いでくれていたのね?」


「ええ。ヴァルドの異能者たちは今、全員わたしに操られているわ。殺さない限り、彼らは倒れないわよ」


 いつもより甘やかな声が、柔らかにそっと響く。


 中庭を背に、シェーナの大切な友人、ルーアンが微笑んで立っていた。

 普段の長衣ではなく、身に付けている服はログレアの技師たちのような、性能を優先した無機質なものだ。

 裸足の足首には、見慣れない長い何かが幾つも絡まり、壁の内部へと繋がっているようだった。


「それは……?」


「シェーナちゃん、これはね、機械キカイ……というのよ。事が起こる前にここに来たということは、リゲル様が行おうとしていることを知ったのでしょう? わたしの足に繋がっているのは、その一部分」


「そう……なの? でも、ルーアン……貴女が、どうして……?」


 目の前の異様な状況と、穏やかなルーアンの顔を見比べて、シェーナは祈るようにルーアンを見つめた。

 何かの間違いだと、夢だと、言って欲しくて。


「指輪は、はずしてはだめよ? シェーナちゃんまで、わたしの指揮に逆らえなくなってしまうわ」


「ルーアンと繋がっているのは、ヴァルドの異能者全てなの?」


「そうね。ヴァルドに認識されている異能者以外は、操ることはできないわ。詳しい方法は言えないけれど……たぶん、貴女の知り合いは大丈夫よ」


 からかうようなルーアンの口調に、シェーナははっと後ろに飛び退く。


「どこまで──知っているの?」


 臨戦姿勢を崩さぬまま、それでも目の前の相手を気遣うようなシェーナの様子に、ルーアンはくすりと笑った。


「セレスの師団長さん、だったかしら? 今、囲まれてしまっているわね……。前に、会って少し話したことがあるのよ」


「ア──師団長、って?」


「ふふ、そう。ティエンと名乗っていた、アズロ師団長と」


「そこまで知って……一体……」


「アフィリメノスに侵入したでしょう、彼。その時にね、なんとなく見逃してしまったわ。抜け道を教えたの。……生きていたということは、その後、無事ラシアンまで飛べたのね」


 ゆっくりと言葉を紡ぐルーアンは、カフェで一緒にお茶を飲む時とさほど変わらない、優しい笑顔のままだ。

 ずきりと、どこかが痛んで、シェーナは眉間に皺を寄せる。


「シェーナちゃん、わたしはね、伝達能力の他に、思念体のうつわとなる力があったの。シエラさんから貴女のことも託されていたし、アズロさんのことは、エドゥカドルと名乗るおじいさんから……逃がしてくれないかと頼まれたわ。……とはいっても、わたしは全てに頷くわけじゃないの。対話を断ることの方が多いわ。なんとなく必要と思った時にだけ……そうしたい、と、心の底から思った時だけしか、してこなかった。それは、わたし自身の生命力と、引き換えの力だから」


「ルーアン……? そんな──それじゃ、私は、貴女の命を……」


「大丈夫よ、ちょっとだもの。それにあの時わたしは、シエラさんの想いと、貴女の想いが響き合うのを感じていたの。二人とも、優しい呼応だったわ。そして……エドゥカドルさんとアズロさんもね。だから……動いただけよ」


「でも……」


 言いかけて、シェーナはルーアンの足元に再び注目する。

 嫌な予感がしてルーアンを見やると、苦しげな笑みが返ってきた。


「気がついてしまったかしら?」


「なんとなく……」


「……そう。確かに、今わたしに繋がっているこの機械たちは、伝達能力でなく、わたしの器としての力を使っている。わたしの体に少しずつ注射される、かつて実験台になった異能者たちの無念や、その力を使って大型動物たちを仕向け人間を襲わせた……実験台の村に住んでいた人たちの無念。それらは、細いガラス瓶のような器具に保管されていたの。そして今、徐々にわたしを伝い外部へと流れ、異能者たちの意識を奪い……殺戮だけの機械に変えている」


 わざとなのか無意識か、あるいは知らなかったのか。

 ルーアンが語った「実験台の村」に思い至ったシェーナは、心に渦巻き始める黒々としたものに呑まれそうになって。

 必死で自我で統制しながら、ルーアンに険しい眼差しを向ける。


「私の村は……大きな狼の群れに襲われた。……その地域にはいるはずのない、狼に。……私の力はその時暴発して、シエラ姉さんは私の力を制御してから死んだ……」


 途中から震えだした声、身体。


 目の前の、異能である自分を受け入れ支えてきてくれた親友。


 姉さんの遺志を伝えてくれた、大切な人。


 でも、最初がそんな──


 そんなこと、思いたく、ないのに。




「……ごめんなさい」


 ぽつりと、ルーアンの口から発せられた言葉は、シェーナの胸に燻っていた葛藤に一滴を加えた。


 シェーナの手に持った短剣が、突如発生した風圧に震える。

 勢いのついた剣先は、ルーアンの心臓目掛けて一直線に──




 ──進んでから、右側に逸れて、微かにルーアンの腕に赤い筋をつくる。




「──シェーナ……ちゃん……?」


「ごめん、ルーアン」


 カラン、と乾いた音がして、短剣が床に放られる。

 シェーナは僅かに出血したルーアンの腕に、自らの纏っていたストールを巻き付けた。


「どうして刺さなかったの? わたしは……」


「ルーアンのせいじゃない。なのに、混同しそうになった」


「でも、力を使っていたのはわた──」


「ヴァルド軍の指示でしょう? それに、いつか言っていたよね。従わなければ軍の要人のお義父さんに消されるって。……ルーアンはあの時、まだ私のことを知る術は無かったはず。それに、私の知るルーアンは、異能である私の力を……脅威を優しく受けとめてくれて、笑顔をくれて……ちょっとドジで、だけど冷静で大人で。……私にとって、かけがえのない親友ともだちなんだ」


 今もね、と囁いて、両手をルーアンの頬に添える。

 ルーアンの瞳から静かに伝っていた透明な涙を、そっと拭った。


「ごめんなさい……」


 謝り続けるルーアンに繋がる機械を風の刃で切ろうとすれば、何度も弾かれてしまう。

 拾った短剣を突き刺そうとしても、全く刺さらなかった。


 見えない何かに、阻まれているような感覚だ。


「シェーナちゃん、それは……切れないわ」


 言いかけたルーアンの顔色が、急き青ざめてゆく。


「ルーアン!?」


「ごめんね、シェーナちゃん……最後には、わたしの身体も、異能を発する装置になるの。わたし自身の意識は……あと少ししか、持たないわ」


「何か、方法は?」


「──貴女のこと、大好きだったわ。大好きよ、シェーナちゃん。わたしの本当の名前は、アンジュっていうの。どこにいてもその名は……語ってはいけなかったけど……。ねえ、シェーナ……クリシュナ・シェエラザード。わたしの名前、覚えていて……くれるかしら?」


 ルーアンの足元の──コードというらしいそれが、仄かに発光を始める。

 力導器機りきどうききに繋がっているのだと、彼女は言った。


「わたしを──ころして、おねがい──」


 薄れ行く意識の中でささやいたルーアンは、直立したまま全く動かなくなった。


 代わりにルーアンの身体から、弾けるように異能が飛来し始める。

 避ける間もない風の刃、石の塊、火の粉、圧力を携えた凄まじい速さで迫る水──


「ルーアン……」


 炎が、風が、水が、土が。

 秩序無くただ荒れ狂うバルコニーで、防御に徹していたシェーナはすうっと息を吸い込む。


 渾身の力を剣にこめて、床を思い切り蹴って跳躍した。




 刃は澄んだ風を纏い、ルーアンの胸を深く貫く──


 その速さは、起きていても声を上げる間もないほどの、素早さだった。




「ごめん……ね」


 呟き、シェーナは荒れ狂う威力の静まった床に崩れる。


「……ごめん。ごめんね、ルーアン……ごめんね……」


 氷の像のように静止したルーアンの無機質な立ち姿に、唯一色を加えるのは、滲む赤色で。


「シエラ姉さん……ルーアン……。わた……は……。……私は、私の大切な人たちを──私は……っ!」


 ぽたりと、一滴だけ、雫が床に溢れ落ちる。


 どこからか、鈴のような優しいうたが、微かに響いていた。

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