第7話 『自分という人間』

「うーん、この引き締まった二の腕・・・若いって証拠だねぇ」

「ンン!ンーーーーンーーーー!!」

 黒い布で目と口を塞がれた少女は懸命に悲鳴を上げる。

 だが必死の叫び声も、薄暗く人通りのない路地裏では誰の耳にも届かない。

 ただ一人、体の至る所をロープで縛られた彼女をマジマジと凝視する男を除いては。

「どれ、腹回りはっと・・・。うん、キュッと良いくびれ!」

「ンー!ンン〜〜〜〜〜〜!!」

「結構しっかり鍛えてるでしょ?こんなにキレイなくびれ、ここ最近の女の子たちにはいなかったなぁ」

 顔も知らない男の嬉々とした声。

 少女に向けられた一言一言は、嫌らしいほど耳に纏わり付いてくる。

 背中に滴る冷や汗。緊張と嫌悪感に満ち溢れた頭の中は、無意識のうちに体中を硬直させていく。

 視界を塞がれ何も見えない彼女は、縛られた体を目一杯動かし抵抗することしかできない。

「ずーっと気になっていたけど、綺麗な髪の毛だねぇ〜。ほぉら、俺の指でもスーッと通っちゃう」

 皮の厚いゴツゴツとした男の指先でも、少女の髪は抵抗なく指を通す。


 やだ、やめて!触らないで!助けて!誰か!怖い!


 心の叫びは誰にも届かない。ただ、何か呟いていないと気がおかしくなりそうな程、少女は追い詰められていた。

 目隠しされた布から水滴が地面に滴るほど、グッショリと濡れている。


 やだやだやだ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い気持ち悪い気持ち悪いやだやだ怖いこわいこわいこわいこわい――


「こうやってね、両手でそっと包み込むと、何だかホッとするんだよね。それだけ、女の子のほっぺたは魅力的ってことだけども」

 少女の頬を優しく包んだ両手は、柔らかな感触を確かめるように首筋に向かってゆっくりと滑らせていく。

「ただね〜、太ももはイマイチなんだよなぁ・・・。ちょっと好みと違うというか・・・。ほら、二の腕は締まっているのに太ももは若干たるみがあるし。しかも、青くて細い血管が所々見えているのがね」

 品定めをするような目つきだった男の目は更に険しいものに変わっていく。

 膝を屈め、太ももに顔を近づけて指摘箇所を再び精査し始める。

 自身の目に狂いはないか。そして、

 何度も何度も体の至る所を舐めるように見ていき、深くうなずいた男は、

「それでも全体的には合格点だ!おめでとう!いやー、男にいい体見せようと努力してるってことがよく分かるよ」

 険しかった顔を解き、今度は満面の笑みを見せた男。

 腕を組み、自身の想像力を働かせるよう瞼を閉じてから、

「色んな男に声かけられたんじゃないか?『今晩どう?』とか『姉ちゃん、今ひま?』とか」

 優しい語り口調で、そんな妄想を語り始める。

 男にとって目の前の少女は必要価値のある存在。

 少しでも気分を良くしてもらおうと考えた、男なりの思いやりでもあった。

「うんうん、それも頷ける。もう『私を見て!』って格好だもん。退屈しないでしょ?毎日」

 傷がつかぬよう最新の注意を払いながら、青い血管の浮かび上がった太ももを丁寧に擦っていく。

 だが、少女は悲鳴一つあげることがない。

 体ばかりが懸命に動くだけで、男の語りが止まることがない。

 問いかけに反応を示さない少女にいよいよ痺れを切らした男は、

「――って何か言えよ!俺一人でブツブツブツブツ言ってるみたいで、まるで変なやつじゃないか!」

 声を荒げ、男は血相を変えて睨みを利かせる。

「――あぁ、そっか」

 だが、男の目に映ったのは本来あるはずのものではなく――、

 藻掻き、懸命に抗い続ける首なし少女の体だけだった。




「悪いな、エイト。返すの遅くなって」

「いやいや、いいんだよ。特に期限なんて決めてないからさ」

 多くの生徒が帰路につき始める放課後。

 昨晩中に借りていた本を読破し、エイトに本を返そうと教室に向かった。

 本当は昼休み中に返却したかったのだが、タイミング悪くエイトは教室を出ていた。

 普段すぐに教室を出ることのないエイトだけに、

「それにしても、昼間はどうしたんだ?教室行ってもいなかったけど」

 何気ないことだったが少し気になったライルは、エイトに問いかける。

「あー、先生に呼び出されてね・・・。『すぐ部屋に来てくれ』って言われちゃってさ。昼ごはん、食べるタイミング無くなったよ」

「ははは、ドンマイドンマイ」

「あれ?ライル・・・」

 何かに気がついたかのように、エイトは心配そうにライルを見つめる。

「ん?どうした?」

「・・・何かあった?」

 落ち着いた声だった。

 楽しそうな相手に声をかけるトーンではない。

 不安や心配、そういった感情の入り混じった声だった。

「え」

 突拍子もない問いかけに、ライルは思わず腑抜けた声を出す。

「なんだか浮かない顔してるなーって思ったから、何かあったのかなって」

 ライルには思い当たる節があった。

 

 放っておいてください!


 昨日、サナ・メルロンドから放たれた言葉。

 サナのためにと思い行動してきたつもりだった。

 だが結果的に彼女を傷つけてしまったことを後悔していたライルは、引きずったまま今日を迎えていた。

 

 私は・・・私は!今のままで良いんです!


 いつも通り同じ教室で過ごしていた二人。

 サナを見る度に、昨日のシーンがフラッシュバックしてしまう。

 ライルは度々居たたまれない気持ちになっていたが、サナはコチラを見ても何一つ顔色を変えない。

 昨日の出来事をライルは知っている。

 だが、サナは昨日の相手がライルだとは知らない。

 二人に若干のズレがあることに、ライルは形容し難い複雑な感情を抱いていた。

「い、いやいや!大丈夫大丈夫!ほら、な?」

 目一杯の笑みを浮かべるが、所詮その場をやり過ごすための作り笑い。

「ならいいけど・・・」

 長い付き合いのエイトにとって、ライルのちょっとした変化はすぐにお見通しだった。

 暫く続く沈黙。

 何か次の言葉を紡ぎたかったライルだが、上手く言葉が出てこない。

「・・・ライルはさ、この本の主人公、どんな人だって思った?」

 沈黙を振り払うように話題を切り込んできたのはエイトだった。

「お、おいおい急だな」

 突然の問いかけに戸惑いを見せたライルだったが、すぐに本のストーリーを思い返す。

 途切れ途切れに読み進めていったが、ある程度の流れは記憶している。

 その中で自分が抱いた感想。

 顎に手を当てながら暫く考え、

「うーん、そうだなぁ・・・。自己中心的なやつ、かな?ほら、主人公が周りの話を聞かずに突っ走ってしまって、仲間を一人失ったシーンがあったじゃん。その時、ぼんやりだけど『馬鹿だなぁ』って思ったかな」

「馬鹿って・・・。いくらなんでも酷くない?」

「そうか?耳を傾けていれば、犠牲者なんて出なかったかもしれないじゃん。自分が正しいと思いこんで我先にと動いた結果なんだからさ」

 真剣な眼差しでエイトに話すライル。

 エイトは苦笑いを浮かべながら、

「うーん。・・・確かにライルの言う通り、自己中心的な人って見えなくもないかな。言われて初めて気がついたよ」

 ライルの視点はエイトにとって新鮮なものだったのだろう。

 驚きと同時に新たな視点があったことに気がついたエイトは、更に言葉を続ける。

「僕はね、意思の強い人だって思ったかな」

「意思の強い・・・人?」

「そうそう。見方を変えたらさ、『これだ!』って決めたら最後まで突っ走る、言わば『自分の信念を貫き通す人』って見ることもできると思うんだ」

 ライルもエイトの着眼点に驚いていた。

 自分は少なくとも良い印象を抱いていなかった。だが、人によっては主人公の行動は評価に値するほどのもの。

 その捉え方に、ライルは若干の違和感を覚えていた。

「もしかしたらさ、彼が自身の心に刻んでいる信念に従って動いたからこそ、最小限の犠牲で済んだのかもしれないね。少しでも揺らいでいたら、二人、三人・・・いや、もっと多くの犠牲を払っていたかも?」

 エイトは飄々ひょうひょうと話し続ける。

 こんな考え方をする男だっただろうか。

 ライルはエイトの姿を見て、そんな印象を抱く。

「大丈夫だよ。ライルが悩んでいることって、この本みたいに誰かが犠牲になったりする訳じゃないでしょ?」

 ライルの肩にポンと手を当て、エイトは微笑みを見せる。

 彼の純真無垢な微笑みは昔と変わらない。

 ――考えすぎだな。

 そう自身の行き過ぎた疑念を恥じながら、

「・・・そう、だな」

「だとすれば、ライルはライルの思うようにすればいいと思うよ。そんな窮屈そうな姿、僕は似合わないと思うよ」

 窮屈そうだと指摘され、自身の心境が思い切り外に出ていたことに気付かされる。

 こんな時、エリシアみたいにすぐ気持ちを切り替えられたのなら、きっと思い悩むことなんてないのだろう。

 ライルは彼女の性格を少しだけ羨んだ。

「それでね、この主人公、実はライルに少し似てるなーなんて思ったりもするんだよ」

 想定外の言葉に、目を見開いたライルは、

「は?お、俺に似てるって?」

「そうそう。あれ?読んでいて思わなかった?」

「思わない思わない!俺から見たら、主人公は自己中なやつなんだぜ?俺の発言を踏まえたら、巡り巡って俺が自己中ってことになるじゃん!それは流石に違うだろ!・・・違う、よな?」

 他人から見える自分像に対し、段々自信がなくなっていくライルだったが、

「大丈夫、僕はライルが自己中だなんて思ってないよ」

 エイトのその言葉に安堵し、胸を撫で下ろす。

「僕が言いたいのはね、ライルは本の主人公みたいに『意思の強い人』だってことだよ」

「俺が・・・?」

 キョトンとした顔のライルをよそに、

「ライルってさ、たまーにさっきみたいな顔をするんだよ。その顔を見る度に『何かあったのかな?』って」

 そして、ふと何かを思い出したように、

「あとあと、いつもより声に覇気が無くなるってのもあるけど、気づいてた?」

 ライルはエイトがここまで自分のことを見ていたとは思ってもいなかった。

 彼とは長い付き合いではあるものの、この様な話は今まで一度もない。

 だからこそ、エイトの口から出てくる言葉の一つ一つが何だか新鮮で、驚きでもあった。

「マジか・・・全然気づいてなかった」

「だから、この本を貸したら何かのヒントになるかなって思って。『俺も主人公みたいになりたい!』なんてことになったら尚良かったけど」

 どこかいたずらっぽく笑うエイト。

 だが、その言葉の中にはライルを心配するエイトなりの優しさが込められている。

「・・・そうか。・・・そうだよな。ここで簡単に諦めてちゃダメだよな」

 昨日の自分は、他人から見れば自己満足の塊だったかもしれない。

 そう思っていたからこそ、今の今まで後悔を胸に一日を過ごした。

 だが、本当にそうだっただろうか。


 アイツ、他の人に迷惑をかけてるって自覚無いでしょ


 サナからは見えない世界で起きていたこと。

 それは巡り巡って彼女を苦しめる悪性になりかねない出来事。

 それを見て見ぬフリをすることが本当に正しいのだろうか。

 ――いや、違う。

 俺は間違いだと思ったから行動した。

 だからサナに接触し、この問題を解決しようと動いた。

 それを途中で投げ出して諦めることは、陰口を叩く集団よりも悪質ではないか。

 彼が、エイトが言ってくれたように。

 俺は、俺が正しいと思ったことをやりたい。

 

 ライルは目を閉じ、考える。

 ――サナは何か出していなかったか?口から出た言葉だけではない、言葉の裏に隠された『真意』を。

 彼女から出た言葉、それを必死に思い出す。


 ――それが原因で私のことを色々言っている人もいるんだってことは、なんとなく・・・察しがつきます。


 違う。


 ――いざ実行に移そうとしたその瞬間、・・・悪いイメージが私の頭をよぎるんです。

 

 違う、これじゃない。


 ――今の生活よりもっと酷いものになるんじゃないかって。


 違う。もう少し、もう少し先の言葉の筈だ。


 ――私には、変わろうとする勇気が・・・無いんです。


 その言葉を思い出した時、ライルは一本の筋道が見えたかのように力強い目つきへと変わっていた。

「・・・悩みは解決したのかな?」

 エイトはライルを見て、そう呟く。

 ライルはエイトの言葉に力強く頷き、

「ありがとう、エイト。お前のおかげで俺、やるべきことがわかった気がする」

「ふふ、それは良かった。この本が役に立ったかな?」

「お、おう。そう・・・だな!」

 どこか歯切れの悪い返答をしたライル。

 本当はエイトの言葉がキッカケになったのだが、そのことを口にするのは少々気恥ずかしい。

「っし!チャンスは明日以降だな。じゃあな、エイト!また明日!」

 高ぶった感情のまま、今は歩みを進めていたい。

 そう思ったライルは、勢いのままエイトに別れを告げて颯爽と場を離れた。

「え。じゃ、じゃあね。また明日〜」

 あまりにも唐突の別れに、エイトはただ右手を軽く振ることしかできなかった。

「うーん、帰っちゃったか」

 駆けるライルの後ろ姿を遠目で見ながら、

「もう一つあったけど・・・、次の機会でいっか」

 と独り言を呟いた。




 翌日。

 若干の眠気がありながらもいつものように登校し、いつものように窓際の自席に着席したライル。

 だが、心に抱くモノはいつもとは違う。

 今日以降、チャンスが有ればまたサナに接触してみよう。

 そう決意し挑んだ一日目だったが、

「おはよう、ライル!」

 威勢の良い挨拶に、まず眠気が覚める。

 そして、意識は決意そのものから一人の少年――コウルに向いた。

「お、おはよう。・・・どうした?めちゃくちゃテンション高いけど」

「どうした?って。そりゃあ、が来たからじゃん」

「この日・・・?」

 コウルの気分が上々している理由がイマイチ掴めることができないライル。

 そんな感づかない返答を聞いたコウルは一歩後ずさりながら、

「え。まさかライル、お前・・・『忘れてた』って言わないよな・・・?」

「んだよ、もったいぶらずに言えよ」

「ほら、今日ってクラス会じゃん。出し物何するか、決めてるよな?」

「・・・」

 時間が止まったかのように、ライルは硬直する。

「ライル?どうした呆けた顔して。・・・おーい、ライルくーん?」

「・・・」

 コウルに体を揺さぶられても、ライルは微動だにしない。

 ――やべぇ、完全に忘れてた。

 

 そしてこの日、想定よりも早く事態は動き出すことをライルは未だ知らずにいた。

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サルバイデイズ のるた〜ん @norutaan_yade

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