第12話 旅のひと――tale2――

「どうしてこの噴水が枯れたのか御存知ごぞんじ?」

 石造りの町はとうの昔に枯れてしまった。年老いた令嬢は今日も噴水の前で昔話を誰彼構わずやっている。町の皆からは呆れられているのがここ数日滞在して分かった。

 彼女の家系がこの町を作ったから、それが誇りだったから、終わりが近付けば過去に向く。

 私も旅をすれば、どこかに自分の居心地の良い場所や時間を知らず知らずに探している。小さな夫婦が切り盛りする酒場や、ちょっとした博打ばくちと夢を語る青年。この町にとどまる理由はあまりない。

「山に行きたいって、今は天気が悪いよ」

 勝手に宿にしている空き家で一緒になった老人は山の雲の流れを見てそう言った。

 私もそう思う。山がいているから、数日は待つ必要がある。すぐに出発する予定だったが、天候は変わり続けるから仕方がない。

 少し行けば港もあるものだからこの町には宿が取れる場所がなかった。放棄されて荒れ放題の空き家を整理して勝手に使ってもいい、というのはこの町で馬車を降りた時に言われた。そこにいた老人は素足で世界を回っているとうそぶき、ここから地底に作られた滝を目指している。

 ここは風化して自然に呑み込まれつつある。新しくやって来た人たちは木造の小屋を建て、皮をなめして加工して売りさばく。

 古くからいた人たちは銅鉱で働き、稼働しているのが不思議なほどびて軋みをあげる採掘機を使っていた。時折ダイナマイトで奥深くの坑道を潰しているのが遠くから響く。

 もう銅も取れないのだ。

「メンテナンスも出来ない自動車はここらではないね」

 馬のような生き物の方が使い勝手が良い。

 そんな場所だった。


 私はとにかく西を目指していた。

 その途中でこの町に立ち寄ったのだったが「あの町はなーんにもないさ、経由地だね」と荷車の中で爆薬を運ぶ青年の言った通りだ。

 見るべきものはなく、娼婦しょうふも寄り付かない。

 人間の分かりやすい欲求を満たすものがほとんどなかった。

 小さな市場(と言っても、毎日決まりきった生活必需品を届ける荷車がやって来るだけで、私が買えるような雰囲気になかった。)は穀物と干物ばかりで酒すらもなかった。

 山を越えた先に知人の生物学者が住む都市がある。西の果てに向かう前に少しばかり立ち寄ろうかと考えていた。

 しかし荷車にずっと乗っているのにも耐えられず、私はこの石造りの町で降りてしまった。町の名前は棚頭たながしらと言った。

 ちょうどなだらかな丘の上の平野がその先に険しい山を載せているように見えたから。私はその山を越えなければならない。

 次の荷車に乗っていけば都市までは行ける。私ははじめ、こんな古びて消えゆく町はすぐに去ろうと考えていた。ただ、あの山の中腹にあかりを見付けてしまった。あんな場所に誰が住んでいるというのか、町の者は口を揃えて「水鳴り協会の小屋」とだけ答えた。

 名前だけはどこかで耳にしたことがあった。

 音の鳴る水が観測される場所に必ずあると言われるその協会の小屋は、時折人の姿が確認される。

 誰かがいる。それだけが分かる。

 そんな話だった。


 今日も天気が悪い。厚い雲からは小雨がパラつく。山頂は雪でおおわれ、山自体は灰褐色の岩場で幾つも切り立った壁面が何枚も重なった様に急峻きゅうしゅんだ。

 暗くなってきたときに見えた小屋はここからでは分からない。

 見えた、といっても灯りだけなのだから。

「煙草、あるよ。買ってってよ」

 特にやることもなく、小さな町を一周して、新しく出来た木造の通りに差し掛かる。石造りの町の北側に広がる森を少しずつ切り開き、より自然に近い暮らしをする住民たち。ここではそれくらいのささやかな暮らしで成り立っている。

 声をかけて来た少女(名はケイヴァと言った。)はみ煙草をくちゃくちゃとやりながら茶色い唾を吐く。

 子どもでも働ければ一人前、そのぶっきらぼうな少女は手元を見ずに薄紙に刻んだ葉を巻いている。簡単につるで縛った十数本の煙草を私は一つ貰う。

 目立っているのは長髪が首を絞めつけるように縛られていること、眼球は不自然な灰色をしている。

 なにか儀式めいたものが森の近くで暮らす者たちにはあったが、聞いてもそれを答えてはくれない。

「余所者だって、追いやるような力ももうないんだ」

 石造りの町の市場でもう若くない人たちが残念そうに言っていた。

「そんな目をするなよ、その値段が適正だろ」

 先に買った人が支払った額と同様のコインを渡すと不服そうにしまい込んだ。もう来ないであろう人間なら、吹っ掛けてもいいだろう。

 そんな浅知恵は腐るほど見て来た。

 そもそも、先に商品を渡してしまえば余計なトラブルを生む。この少女はまだそれが分かっていない。純朴じゅんぼくだから、誰かの真似をしてみた。そんなところだろう。

 そうやって町を一周して、ほとんど皆が変わり映えのない行動をしているのがこの数日で分かった。井戸から水をむ時間、令嬢が噴水の前で昔話をやり始める時間、内容、咬み煙草をやる少女。

 生活は続いているが、どこか時が止まっている感じがした。

 常に同じ時間に動くカラクリのように、令嬢も他の者も変わらないように見える。


 そんな調子だから私は、昼前にもうなにもすることが無い。

 旅の記録を読み返すのも、都市に着いたら送ろうと思っていた手紙をしたためるのも、こんな町ではすぐに終わってしまう。止まっている場所でやれることはとても少ないのだ。

 町売りの紙巻煙草をふかしながらその薄暗い酩酊めいていを感じていると、ずわん、と山の方から音がして雪が滑るのが見えた。

 雪煙を上げながら雪が崩れ、こちらに向かってくる。ここまで届きそうで目を離せないでいると、腰の辺りを軽く叩かれた。

「あの辺りはよくああなる。行くなら気を付けろな」

 そんなことを言いながら煙草をねだりに来たのは荷馬車で眠りこけていたガサツ者。私よりも大きく、握手を求められたときの力強さは並みの男など相手にならないほどだ。

 その体格は男と見まがうほどで、名前をサトダという。常に携帯している大口径の拳銃は所々凹み、使えるのかどうかも怪しい。

 もちろん彼女も「これはちょっとした御守りよ」と持っているだけだと言っていた。

「天候がよければすぐにでも発つさ」

「なら明日だな。わたしもあの小屋に用があんだ」

 私と同様に旅をするサトダは「水鳴り協会」に用があった。宿を共にし、酒をみ交わす中でその事情を話してくれた。

「大切な友人がいたんだ。ただ、そこから戻らなくなった」

 それがこの山だ。彼女は他にも水鳴り協会の様々なうわさを話していた。彼らが水を鳴らす時、大規模な水害が起きる。とか、彼らへの寄付が無ければ航海は必ず失敗する。といった出来事の数々。

 私はそこにあるだけで鳴る水と、協会が鳴らす水は別物なのではないかと思う。

「夜は上れねえから、小屋に泊まるしかないんだ」

「鳴る水があるなら見ておきたい」

 彼女はにやりと笑い、小瓶を取り出す。そこから透き通った音が鳴る。

「ほら、これだ。必要ねえからやるよ」

 放られた小瓶を受け取る。

 中の液体はなにかと共鳴しているのか、細かく震えていた。

「どうなっているんだ?」

「しらねーよ、ただ、割るんじゃねえぞ。すげえ音だからな」

 深く深く煙草を吸い込み、大口を開けて煙が出るのに任せる。唾を吐く。

 私は空を見る。山の周囲は雲がかかり、流れが速い。空をじっとりと雲がおおい、晴れ間なんかもうずっと見ていない。本当に晴れるのだろうか。

「それと、この煙草。粗悪品だろ」

 全然深みのある香りがしねえし、味も混ぜ物が多くてかなわねえや。一本きっかりと吸い終えて、そんなことを言う。

 二人で山を見ている。特にやることもない。

 この町には枯れた噴水の令嬢が話す以外に、話題がない。活気がない。

 ついでに酒ももうなかった。

「酒もあの森の連中が作るクソ不味いドロドロだけって、もう寝ちまうか」

 彼女は私を見る。目的は理解したが、来て最初に試して結論は出ている。

「……どうせ、気が変わるんだろうし早くしてくれよ」

 なにかを読み取ったのだろう。薄笑いを浮かべてサトダはゆったりと宿へ戻っていった。


 さて。

 どうせ気が変わる。


 そんなものだから、枯れた噴水の方へ歩を進める。

 目的はない。話し相手も現れないこんな場所では、毎日繰り返される同じ話に耳を傾けたくもなる。どうしてここに至ったのか、なぜ、令嬢は古い屋敷からわざわざ毎日朝から夕まで話をするにやってくるのか。

 なにしろ思考くらいしか娯楽がない。

 それくらいにこの町の生活は変わり映えがしないのだ。

 森のはざまの道を進めば森の人々が歓迎してくれる。彼らなりのやり方で、あの不味い酒を飲まされ、煙でいぶされ、打楽器と炎と超然ちょうぜんたる思考に至る儀式ぎしきに参加させられる。

 酩酊めいてい錯乱さくらん状態の中で、彼らの想い、思想の源泉を知覚する。幻覚によって、捉えようもない多幸感がやってくる。

 シンプルで、若い人々が多いのも納得できる。快楽と万能感はどこまでも羽ばたけるように錯覚さっかくできる。

 私はどうにも悪い方向に羽ばたくような性質だったので、彼らの生活は合わない。一度の歓迎だけで、後は彼らの中に入ることはやめた。

 石畳の道へ戻り、無機的な町の、時間で摩耗まもうしきった空間を歩けば自身もそうなってしまったように錯覚する。くすんだ白と長い間こびりついた汚れ、単純な◆■した家々、■の角は取れて久しい。忘れ去られていないのは干された衣服と時折見かける人々の動きが残っているからだ。

 町の構造はシンプルに十字に分かれ、中央に枯れた噴水が鎮座ちんざしている。

 外側に行くほど時に忘れられた住宅が増え、中を覗いてみれば放棄された家財道具と、小さな虫ども以外になにもない。

 ここでは鼠も、野犬も、猫だって見かけることはなく、無機的な虫しか住んではいない。

 噴水が見えてくる。

 昼間だっていうのに、市場は締まり、町の中央部はほとんど人の気配がない。

 錆び切った看板や人々の生活の名残だけがここにある。

 その象徴ともいえるのが、枯れた噴水で昔話を繰り返す老いた令嬢だ。

「どうして、噴水が枯れたのか。噴水はわたしたちの町の象徴で、繁栄の証だった」

 昔話を繰り返すと言っても、彼女の記憶は混濁こんだくしている。毎回同じ話の流れで進むわけでもない。

 最近は特に混乱が酷いんだ。心配だよ。

 と町民がどこかでぼそぼそと話をしているのを聞いた。

「わたしの父がこの地を拓き、水を引き、あの山の小屋を建てた。噴水は水を汲み、不毛だったこの地を豊かにした。そしてそこに銅鉱が見つかった」

 噴水の話の詳細はもうあまり覚えていないのだろう。

 作られた経緯を私は耳にしたことがない。

「銅鉱には沢山の人が駆り出され、わたしの父は採掘場を大きくしていった。水と豊かな土地は徐々に忘れ去られていく。わたしたちはどうして、大事なことを見失ってしまうのだろう」

 老女は大げさにため息を吐き、枯れた噴水に据えられた少女の像を叩く。

「これがお前の見せたかった場所だよ。銅鉱は最初、うまくいったさ。けれども、今じゃ潰すばかりでなにも生まない。この噴水と同じだよ。枯れた時、それはそれはみんな悲しんださ。だけれど、そんなものは数日経って忘れられた。お前、これは見世物じゃないんだよ、出て行っておくれ」

 じっと見ていると、大抵あっちへ行けと杖を振る。

 そのままずっといれば、老婆は黙って座り込み、泣き出してしまう。

 面倒ごとを起こさないでくれと町人に懇願こんがんされたのは滞在初日の話だ。

 私はかわいそうに思って、噴水の裏に回る。据えられた少女の像が私の姿を隠して、老いた令嬢の話だけが聞こえる。弱弱しく、枯れた声は注意しなければそよ風にだってかき消されてしまう。

「あの時代を思い出して、今一度噴水から水を、繁栄には水を流さないといけない。銅鉱で採掘が始まってから、この噴水は止まった。水が使われるのは採掘場で、それこそが更なる繁栄に必要だと父は言った。そうやってよそからも人を呼び、この町は偽りの活気を手に入れた。銅は採りつくされて無くなるのを、どうしてかみんな気付かなかった。水をもっと正しいことに使わなければいけなかったのに、その結果、この町は死んだ」

 このわたしがここに立つのはそのためだ。そう宣言する。

 彼女は弱ってなどいない。狂ってなどいないのだ。

「銅がなにに使われるのか、沢山のコードがどこに繋がっているのか。水は大地へ、力を持つもの達が奪っていった。銅に狂ったわたしの父をどうか許してください。もう取り返しがつかない。わたしはこの枯れた噴水と死んでいくしかないの。ごめんなさい、ごめんなさい」

 鼻をすすり、このような感情のたかぶりが何度か繰り返される。

 しきりに奪われたと言うが、それは水鳴り協会が大量の銅を必要としていたという話から、彼らが関係しているのだろうと想像する。

「はあ。まあいいわ、どうせあの小屋はまだ動くのだし、銅は残り少ないけれどもまだ採れる。この噴水はもう一生水をこぼすことはない。わたしがなにかを成すにはもう遅いの。愛しい息子たち、娘たちはこの地を離れてしまった。あの黄金時代はもうやってこないから、壊れた塀と枯れた作物、やせ細った土地。あの腐った儀式たち。だからね、どうしてこの噴水が枯れてしまったのか、御存知でしょうか? 御存知よね、みんな、みんなわたしと同じなのだから……‥‥!」

 そうやってまた、噴水にまつわる出来事をやり始める。いかにして水路が分断されたか、銅鉱の話がどこからやって来たか、残された令嬢の人生と愛に満ちた子供との生活、最後には噴水は枯れて、謝罪が始まり、カコとイマのせめぎ合いが続く。

 もう死んでしまったような町で、令嬢は確かに生きているのだ。


・・・


「ほら、もうすぐ小屋に着く。そんなに休むなよ、先行っちまうからな」

 次の日、私はサトダと共に水鳴り協会の小屋を目指した。天候は彼女の言った通り晴れ渡り、珍しく出て来た太陽が肌を焼く。

「水を、待ってくれ」

 道は狭く、岩場を登らなければならない。掴む場所を間違えれば、岩はボロりと砕けて体勢を崩す。擦り傷が絶えない。

 進む中で気付いたことがある。

 道の近くに銅のコードが張られ、それが行く先にずっと続いていた。いつからあったのか、それがどこから来ているのかは判断がつかない。

 ただ、水鳴り協会の小屋へ続いているのは間違いないだろう。

「どうして、戻らなかったと思う?」

 日焼けした肩から垂れる汗、使わないのに大型拳銃の弾薬が薬室に入っているのを確認する。回転式ではないし、銃身は歪んでいる。

 私は荒い息をして、彼女に追いつきながら首を振る。

 質問に言葉を返す余裕もなかった。

 そもそも山など登ったことがあまりなく、これほどまでに辛いとは考えていないから、目の前には足だけが見える。

 しなやかな筋肉の動きと、顔を上げればどこか遠くを見ているサトダは傍らの岩に背中を預けている。薄着なのに、息は白いというのに平気な様子だ。

「このコードだよ。忌々いまいましい」

 そう言って唾を吐く。一方向だけでなく、放射状に上方から下っているコードはこの山が人為的な制御を受けているように感じる。

「はあっ、ふうっ、ああっ、そうか。まあ、行ってみようじゃないか」

「そんなへばったヤツが〝行ってみよう〟だって? 笑えるなぁ?!」

 そんなことを言いつつ、殊更ことさらゆっくり進む彼女になんとか追いすがる。私はもう目の前の黒々とした岩場と、雪の間に埋もれているような小屋を見る以外に出来なくなっている。

 目の前にある取っ掛かりと、滑る岩場に動きは更に遅くなる。

「進めるなら、行けるよな。わたしは小屋の様子を見てくる」

 私は辛かったが、なんとか進むことが出来る。もう斜面を、岩場を這うようにして進み、日差しが傾き始めたのを背中で感じていた。

 気温は低いが噴き出す汗と、荷物がぴったりと張り付いて中の鳴る水の振動を感じる。

「そうするしか……、ないよなっ」

 言いながら岩を1つ乗り越えては止まる。

 言い聞かせて、言い聞かせて、進むしかなかったのだ。


・・・


「調子はどうだ、頭も痛いし体も痛いってところだろ」

 目が覚めればサトダが私の煙草を勝手に吸い、マズそうに顔をしかめては灰を無分別に落とした。

「ああ……っ、とても」

 私が小屋に着いたのは夕方だった。

 体は痛く、頭は締め付けられたようにずきずきと鳴っている。

 小屋の上部にある小窓から光は見えない。

 朝早く出て、登り始めたがあまりにも辛くサトダの姿が見えなくなって、ここに着くまでにもかなり時間が経っていた。

 彼女と別れた地点から小屋は見えていたが、切り立った場所や回り込む場所が多く慣れない登山にほとんど一歩進んでは休むを繰り返して、陽も落ちかけていたのだ。

「ほら、いこうぜ」

 どこへ行くのか、想像が付かなかったから適当に思いついたことを口にする。

「食事くらいさせてくれ」 

 頭が痛かったせいか、あまり眠れていないのだろう。そうは言ったが食欲もあまりない。水も残ってはいるが、心もとない。

「ああ。けど、後から来てくれ」

 生返事と共に彼女は立ち上がって、小屋の奥へ歩いていく。疲れを感じさせない動きに、私は身体能力の差を否応なしに感じる。

「岩。干し肉、木の実」

 端に置かれた箱の中に誰かが滞在するための食物がある。限界まで水分を減らしたパンは岩。途中から千切られている干し肉はサトダが食べたのだろうか。それらをナイフで切り取って口に入れる。

 固く、味があるのかも分からないが、しばらく噛んでいれば食べられるだろう。

 鉄製容器に水と共に入れ、ストーブの中で温めれば多少はマシになるが、そんな気分にはなれなかった。

 ――ずずず、ぎぃぃ。

 サトダが小屋の奥で床面の扉を開けて下に降りて行った。

 その足取りは軽く、気楽といったところで下から光が漏れ出している。

 水鳴り協会はここで一体なにをしていたのだろうか。山に張り巡らされたコードと振動を続ける水、彼らの活動は秘匿ひとくされていることが多くその全容は不明だった。

 私はそんなことを思いながら頭痛に耐えてパンと干し肉を飲み込んで、荷物の近くに置いてあった鉄製カップに入った液体をあおる。

 熱いものが喉を通り過ぎ、少しだけ痛みが和らぐことを期待する。

 体は痛く、足は少しふらつくが、下になにがあるかを見るくらいなら構わないだろう。

 

 小屋の下に続く階段は岩が削られただけの簡素なものだ。少し降りると左手に空洞が現れる。光は下方から広がっていた。

 白っぽく橙色をした光は炎にしては明るい。その熱はここまでは届かないようだ。

更に下ると左で折り返し、その広い空間が一望できる。

 最初に目に入ったのは、大量の銅のコード。

 中央から上方へ伸びて外側に突き出た先が、この山に張り巡らされたものだろう。

 下端は水を湛えた金属の容器があり、コードはそこに据えられていると分かる。

 丁度その容器の大きさがサトダと同程度だ。彼女は容器に手を当てて離してを繰り返していた。

「おお! 早く降りて来いよ」

 すぐにこちらに気付き、よく通る声で呼びかけられる。

「ああ!」

 恐らく返事をしても届かない。私は声だけを張り、ゆっくりと石削りの階段を降りる。この空間は切り出したものでなく、元々の形を利用したものだ。

 私のいる所から、ずっと天井が下がる三角形の空間で、中央に銅のコードとその容器に管で接続された箱のようなものが左右の壁面に規則正しく置かれている。

 それ自体が光を放っていて、それはゆっくりと明暗が移り変わっている。左側の一つが少し暗くなれば、右側の一つが明るくなる、連動して暗くなるといった感じで、何らかの規則性に基づいて作動している。

 そんな箱が20個ほどあり、管は地面に迷路を作っていた。

 踏まずに移動できるよう、幾つかの場所に木製のステップが置かれ、それらがコードの周りを一周している。

「このくぼみが気になる。火、無いか?」

 私が行くと、彼女は中央の容器にあるくぼみに触れていた。

 マッチ箱ほどの長方形型のくぼみの中を照らせば、奥に丸い穴が一つだけついていて、どうやら中と繋がっているようだ。

「あー。そういうことね、あの女……」

「おっと、なにするんだ?」

 サトダは自分の中で納得して独り言ちるとホルスターから拳銃を抜く。歪みのあるフレームをむりやり押し込んだ。

 あらかじめ用意されていたようにサイズはぴったりだった。

「こうすんだ、よっと」

 引かれるトリガーと、元々入っていた銃弾が撃ちだされる。くぐもった小さい音が鳴り、中に入った液体が一度、ぼぐん、と音を立ててコードを登り始めた。

 コードは震え、きぃぃん、きぃぃん、と甲高い音を立てて震えている。

「ああ、全部鳴る水なのか」

「コードは山全体を震わせる。あの女がここにいるからって、借りを返そうとすれば、それを任されたってワケだ」

 全ての液体はコードを辿り、上へ上へと出て行く。左右に規則的に置かれた箱からは光が徐々に強く発せられて、影の存在を許さないが如くこの空間を照らし出す。

 管の中をドコドコとなにかが走る。固形物が転がるような音が不規則に鳴り、管は内部から押し出されたように変形を始めた。

「鳴る水があの容器から無くなると、すげえことが起きるんだ」

 サトダの目はいたずらっぽく輝く。

 管の一つが破れて、ぱぅんとなにかが飛び出した。

 飛び出したように見えたもの。透明な気体のようななにかが破れた管の周りにあるような気がする。

 それを皮切りに、管は至る所で破れ、その度に左右の箱から光が失われていく。

 まるで、中央の容器に入っていた<鳴る水>が箱の内部にあったものを抑えていたかのようだ。

 ぱぅん、ぱぅん、ぱぅん。何度も繰り返されて、管は元の整然とした姿からかけ離れ破壊しつくされた姿へと変わる。

「ほうら、もう少しだ」

 そういって鞄から小瓶を取り出し、中央に伸びるコードに投げつけた。

 パンッ、と小瓶は割れて、その中にある粘性のある液体は鳴る水とは逆方向へ、垂れさがっていく。

「キミは、水鳴り協会と関係していたのか」

「っは。お願いされてたんだよ、この小屋を作れって、金積まれてよ」

 うるせえコードだ。独り言ちたサトダは拳銃を引き抜き、銃身の先を軽く容器に叩きつける。撃ちだされた弾丸が先端に詰まっていたのだ。

 ッッタ。地面に落ちた弾丸は静かに転がって、管の陰に隠れて見えなくなった。

 気が付けば、管の破れる音も、箱の光も失われていた。既に鳴る水は消え、黒ずんだコードだけが残っていて、それは光を放ち始め、振動を続ける。

「なにも起きないが」

 それと同時に体が重く感じ、その場に座り込む。

「あのコードの先は全て銅鉱と枯れた水源に繋がっている」

 その先は言わずとも想像が付く。コードから放たれる光は増大し、暴力的な輝きを放つ。私は閉じた瞼越しからも目は焼けるように感じ手と衣服で顔を覆わずにはいられない。

 ぴょぅ、ぴょぅ。とコードが切れる音を聞く。

 どわぉ、どわぉ。と地面は振動し、土埃が天井から降る。

 崩れてしまわないだろうか、山が鳴るように、大きく崩れるように、その音は全域に響き渡り、次いで轟音と共にこの場所を呑み込んでいく。

「雪崩と、冷え切った空と、あのクソどもへ!」

 サトダはなにかを叫んでいる。暴発を恐れずトリガーが引かれ、ッパーン、と弾けるが、それはすぐにかき消されて、轟音と振動が外からもたらされる。

 私はその場にうずくまる以外に出来ない。もう目を、体を焼くような光は感じなかったが、次第に大きな欠片となる天井からの飛礫つぶてと体を震わせる振動、この場が破壊しつくされ、私も消えていってしまう。

「聞けよ、聞けよ、この音を、この震えを、それが水だ、鳴る水だ」

 私の耳元に囁かれる言葉。サトダはそれだけ言い、その重さを背中に感じる。

 硬く、しなやかで、今は暖かい。

 そのままジッとしていると、やがて音も振動も飛礫もなにもかもが落ち着いてくる。このドームはまだ壊れず、ぱち、ぱち、と小さな砂粒の音だけが残る。

 目を開けても暗いままだ。

 光は失われて、私は手探りでポケットに入れたマッチを取り出し、擦る。

 少しだけ辺りが照らされて、またすぐに闇が戻って来るがそれだけでも恐る恐る立ち上がることが出来る。

「あの女は馬鹿げた争いに身を投じ、またわたしは追いかける。はは、壊れちまえ」

 サトダは傍にいたが、興味は他の所にあるようだ。

「さ、飯でも食おうか、明日は山越えるんだろ?」

 暗闇の中でも気にせず、彼女は私の肩に手を回して歩く。なにも見えないから、それに従うしかない。足元が分からず、歩幅は小さく、体に力が入らない。

「強いな、キミは」

 半ば体を支えられながら、私は端までたどり着く。運が悪ければ死んでいたかもしれないというのに、彼女から不安は一切感じられない。

「どーだか。あとよ、お前の言ってた生物学者って」

「ああ、彼が待っているんだよ、」

 右手に階段があるのを足で感じる。壁を触りながら上る。

「白樺の木の所属だな、水鳴りとは対立してる。お前も、そうなのか?」

 肩に回された手に力が入る。私は、疑われていた。

 思い返せばこの女が、旅をしている理由は『古い知り合いに会う』だった。

 その言葉で、引っ掛からなかった私も私だが、これは「カコの清算」で、特に、旅人は古い知り合いなどいない。それを失念していた。

 旅人には「イマ」しかないのだ。「カコ」は清算されて、その都度「イマ」が繰り返される。

「いいや、珍しい生き物がいると手紙を貰ってね、それだけの関係だ」

「へえ、それじゃ、わたしも一緒に行っていいよな?」

 断る余地はない。どうせ殴ってでも言い聞かせるつもりだろう。

「ああ、きっと大丈夫だ」

 っが、どぉぉ、とドームの中心が崩れ始め、私たちは急いで階段を上る。

「ッ! 止まれ。その生き物は、とっても大事なもんだ」

 何かを知っている。

 私は崩れるドームとそこから差し込む月明りと、そのまま上に有った小屋が崩れ落ちて壁面に掘られた階段だけが残る。

 元々あったコードや、箱や、なんらかの施設は全て埋まり、なくなってしまう。

「はー。食料も埋まっちまった」

 寝る以外にない。私たちは立ち止まり、ほとんどその姿を消した小屋の残骸に目をやる。

 そこには、まだ燃え続けるストーブが、赤々とした光を放ち続けている。

 多くのものが消え、噴水もあの村も、銅鉱も、あの破壊、光によって、変わってしまったのだろう。

「全部、どうなったんだ?」

 訳知り顔のサトダに聞く。すると、あっけない答えが返ってくる。

「コードが切れて、それだけ」

 そんなことよりもう休もうぜ。そんな態度でさっと階段を上っていく。

 私はもう一度だけ、瓦礫と山頂に目をやる。あの崩壊で雪崩が起きないのが不思議だった。まだ雪は残っていて、冷たい風と共に吹き付けてくる。

「凍える前に、まずは」

 休まなければいけない。

 

~~終~~

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