15駅目 市ケ谷

 君の髪に頬に唇にそっと触れてみたかった。それも叶わず私は御霊となる。


 9月になり夏の暑さもどこかへ消え、上着がないと肌寒い季節がやってきた。地図アプリを開き、防衛省を目指す。大学のゼミで来週発表があるのだ。


 自分自身では全く思わないが、周りから見ると真面目な生徒らしい。教授からの期待もあり、多少のプレッシャーを感じなくもないが、ただ何よりも有り余る好奇心を文字にして皆に発表することが堪らなく好きなのだ。1年次から研究テーマは変わらない。「第二次世界大戦時の陸軍について」である。


 防衛省の見学ツアーに参加し、当時の面影を探すのが今回の目的である。机上での想像に留めず実際に肌に感じることで当時の人々の背景を知るのが僕のやり方だ。


 ツアーがついに始まる。赤い上下の制服を着たツアーガイドさんと軍服なのかそれらしい服を身に付けた男性が案内をしてくれる。


 防衛省の中にある売店やヘリコプターを見て、ついに本命の市ヶ谷記念館を見学することになる。ここは極東軍事裁判、いわゆる東京裁判が行われた建物を使用しているのだ。その前は陸軍士官学校であったため、うら若き学生が通った場所でもある。


 市ヶ谷記念館に入ると自由時間が設けられた。少し狭い体育館くらいの広さがある。端には軍服や写真、貴重な資料が展示してあり、一つ一つに目を通す。その中に自分と大して年が変わらない青年たちの集合写真があった。


 写真の中の1人の青年と目が合う。その瞬間、今までで感じたことのない哀しみとも絶望ともとれない胸を締め付けられる気持ちが血管を伝い全身に流れ込んできたのだ。整った眉毛に意志の強そうな目をしたその青年が何かを訴えているようだった。


「皆さん時間です!お集まり下さい!」

 ツアーガイドの明るい声が聴こえて我に返る。その後のツアーの内容はよく覚えていない。アパートに戻ってもただただ彼のことを想うばかりであった。


 次の日から僕は何かに取り憑かれたように彼の面影を追って資料を読み漁り、陸軍縁の場所に行き狂った。ただ、たった1人の青年を探すのはかなり難しいことだった。ゼミの発表の事など忘れ、教授が落胆していたようだったがそんなことはどうでもいい。彼のことが知りたくて堪らなかった。


 それから半年経ったが、何も掴めぬまま新学期を迎えようとしていた。僕は春休みを実家で過ごすことにした。3月には、曾祖父の法事があるため、青年探しは休止となった。


 実家に帰ると、母さんとばあちゃんが曾祖父の遺品を整理していた。今度の法事を一区切りにする為らしい。帰ってきて早々、手伝うように言われ、渋々手を貸す。

 目に付いた引き出しを開けるとアルバムが出てきた。念の為中身を確かめる。そこには、1枚だけ写真が挟まっていた。2人軍服を着た青年が並んだその写真には、手書きで名前が添えられていた。


「君は…」


 思わず声が出る。1人は探し求めていた青年であった。そして、もう1人は


「僕…?」


 正確には、僕に似た誰かであった。「小山聡一郎」僕の曾祖父だった。そして、あの青年は「樺山一稀」という名前らしかった。


 僕が小学校に上がる前に曾祖父は死んだ。だが、何故か彼と話したことはよく覚えている。彼は陸軍士官学校に通っており、青春を辛く長い戦争に捧げた1人であった。当時はよく分からなかったが、今ならどれだけ曾祖父がエリートであったか、また辛い思いをしてきたかが手に取るようにわかる。


 幼かった頃の僕に彼は、1度手紙を見せてくれたことを思い出す。もしかしたら、と思いアルバムの入っていた引き出しを探る。そこには思った通りあの時の手紙があった。


 差出人は、「樺山一稀」であった。樺山の所属する部隊が総理大臣を狙うことが書いてある。二・二六事件のことであろう。クーデターを起こした者の扱いは、想像出来る。そして、樺山自身もそれをわかっていたように穏やかに筆を走らせていた事が見て取れた。


 封筒には、もう1枚手紙があった。初めてみるものであった。そちらには二・二六事件を受け、現状が厳しい戦地に死ぬ覚悟で送り込まれることが書いてあった。こちらはどこか覚悟を決めたような硬さのある文字であった。所々滲んでいる。


 1番最後の行に差し掛かる。


「お慕い申し上げておりました。」


 その1行だけ黒く何度も書き直したようにかすれていた。


 滲んでいたのは、きっと曽祖父が流した涙であろう。僕も読み終わる頃には、前が見えぬほど泣いていた。


 曾祖父がその手紙を見せてくれた時に言った言葉を思い出す。

「ぴいじいちゃんのお友達から貰った手紙?」


「友達…そうだな。親友でもあり、戦友でもある。ただ、私を1番に想ってくれた人だ。」

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