14駅目 四ツ谷

 目の前の虫を手で払う。それでもしつこく付き纏う虫を容赦なく叩き落とす。いくつかのパーツに別れたそれはハラハラと地面に落ちていく。私もこんな風に落ちていく。


 売り手市場だと言われた就活だが、もう既に16社ほどの面接に落ちている。私の何がいけないのか、私にもわからない。多くの企業が集まる四谷のファーストフード店には、同じようなリクルートスーツを着た学生が同じような顔でスマートフォンを覗き込んでいる。没個性だと言われる日本の就活を悪くは思わない。そもそも個性があったら会社勤めなんかしていないだろう。だが、一斉によーいドンと始まるそれは簡単に優劣を突き付けてくる。


 優秀な者は早くに大手企業に決まり、そうではない者は適当に見切りをつける。世間は「今年は売り手市場だから選び放題だ」と言うが、選べるのは優秀な者だけだ。そして、私たちに残されるのは「楽して入った世間知らず」というレッテルだけなのだ。


 就活氷河期の世代から見れば、働ける会社があるだけマシだと思うだろう。確かにそうだ。でも勘違いはしないで欲しい。誰でも会社に勤められるのが当たり前という見えざるプレッシャーと闘っている。贅沢な悩み?それもそうだ。だが、もしも何処にも決まらなかったら簡単に世間の普通から逸れてしまう恐怖で手首を切りたくなっている私のような学生がどれだけいるか少しは想像出来ないものだろうか。


 面接前になると襲ってくる不安を無理矢理ハンバーガーと共に飲み込む。まだ面接予定時刻まで1時間ほどある。ここで時間を潰すのも良いが、何かしていないと折角食べた物を吐き出したくなるような緊張感に襲われるため、少し街を歩く。が、迷子にならないよう会社の近くを彷徨いてみる。


 どうしてこの会社に応募したんだっけ、そんなことを考える。私がやりたいことって本当にこれなのか。知らない。わからない。辞めたい。


「顔青いけど大丈夫?暑いから熱中症にでもなった?」

 急に話しかけられ驚く。振り向いた先には、人懐っこい笑顔の男性が立っている。タチの悪いナンパかと思ったが、彼はまだ口を付けていないコーヒーを私に渡し、立ち去ろうとした。彼を呼び止める。彼は優しく微笑んだ後、私の元へ戻ってきた。あ、新手のナンパに引っかかったかもしれない。それでもいい。彼と話したい。


 彼は市ヶ谷の美術大学院に通う芸術家だった。寺も神社も洋館もある四谷はカオスな街だと惚れ込んでいるらしい。私にとっては、苦痛の街でしかないのに、その街が自由に映る彼の目が羨ましく思えた。


「君は将来何がやりたいの?」


 そう聞かれるが答えられない。

 私は将来何がやりたいのだろう。


「わかりません。」

 素直に答える。これが面接なら確実に落とされている。


「俺もわからない。だから、大学院に進んだけど、その後どうするかなんてまだ決まっていない。ただ、自分の中にあるものを表現したいだけなんだ。でも、そんな考えは甘いと言われる。自分でもそう思う。つぶしがきくように教員免許も取得したけど、これが本当に自分が進む道なのか全くもってわからない。」


 私と同じだ。


「でも、自分が進むべき道なんてもの、わかっている人なんていないのかもな。わかっていたとしたら、その人の人生はつまらないだろうな。だから、俺は諦めがつくまでやりたいことをやろうと思うよ。将来なんてわからないけど。」

 彼はまたあの人懐っこい笑顔で答えた。


 時計をふと見ると面接の時間まであと15分まで迫っていた。でも、私は会社に向おうとしなかった。普通でいることを望んでいつつ、一方で人よりも優れていたらと嘆いていた。普通だって劣等生だって優等生だって生きていく限り、悩むのだ。流されていいのかな、このままでいいのかな、って。それでいいんだ。


 面接をブッチしたというのにどこか気持ちが楽になった。

 世間からみれば彼は普通から逸れているのかもしれない。でも、とても自由だ。一方で、その自由が彼を縛ってもいる。彼は葛藤しながらも自分がやりたい道を探していた。


 人懐っこい笑顔からは想像出来ないほどの苦悩が彼にはあるのだろう。そう思うと会ったばかりだというのに彼を愛おしく思った。


「あの、連絡先聞いてもいいですか?」

「新手のナンパか!もちろん、いいよ。はい。」

「匠さんっていうんですね。今度デートに行きましょう。」

「お、グイグイくるね。仕方ない、付き合ってやるか!」

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