この世で最も愛する格言

食事処しょくじどころ『エントロピー』。


中央大陸の北西部に位置する小国、アントロネシア。いつでも乾いた風の吹いている市街地の大通りに、その店はある。


早朝は喫茶店、昼は軽食屋、夜は料理屋兼バーと日がな営業形態を変える、なんとも忙しい店である。定休日は週に一日、一般的な飲食店と同じく『火の曜日』となっている。カウンターは9席、ボックスは40席ほど。

大小宴会、いつでも承っております。


別にマージンを受け取っているわけではないが、世話になっている店なので一応宣伝しておく。



さて。今日も『依頼』を受けるため、偉大な姉さんとわたしはこの店を訪れていた。


妹様いもうとさま、お冷やをどうぞ」


偉大な老店主、マクスウェル=アマクサが、カウンターの向こうから銀のポットを差し出してきた。


「ありがとうございます」

ちょうどお代わりが欲しいと思っていたので、コップを構えて冷水を頂戴する。

すぐに三分の一ほどを流し込み、わたしは再びキシェーラ茸とアズ貝のパスタをフォークに絡めた。


わたしの隣では偉大な姉さんが、ケムル肉のハンバーグにナイフを入れている。

一切の音を立てない、とても優雅な仕草だ。


お昼時であったため、今日はわたしたちは仕事前の食事を摂っているのである。


「御姉様も如何ですか」

老マクスウェルが冷水のお代わりを勧める。絶好のランチタイムで、店内はとても賑わっている。

わたしたち以外の客がいる時、彼は決して姉さんを『魔女様』とは呼ばない。


姉さんは言葉では答えず、ただ静かに首を振った。

老紳士はその態度にも表情を変えず、同じように黙ったまま恭しく頷く。

やはり姉さんは何も言わず、切り分けたハンバーグを優雅に唇へと運び続ける。


何も知らない人間が見れば何だか険悪な空気に感じるかもしれないが、この二人はこれが普通なのだ。わたしが姉さんに『弟子入り』する遥か前からの知人である二人は、必要以上の言葉を交わさずともに意思疎通を成立させている。

羨ましくて、ちょっぴり妬ましいわたし。


「……ねえねえ、ルナ。そのパセリ、ひょっとして残すの?」


姉さんとは逆の隣から、緊張感のない声が弾けた。

「残すんだったら、もったいないからぼくにちょうだいよ」

この空気を読まないつんつん頭のちびは、一応わたしの知人の端くれである。

普段はレイと呼んでいる。本当はもっと長ったらしい偉そうな名前があったと記憶している。


「レイナード様、お冷やは」

マクスウェルがポットを差し出す。

そうそうそんな名前。確か本名はもっともっと長かった。


「ありがとうマクスウェルさん。でもぼくは蜜柑水の方がいいなー」

いかにも頭の悪そうな声で、いかにも頭の悪そうな事を言う哀れなちびよ。


いつぞやのこと。『実はぼくはどこぞの亡国の皇子様なんだよ』とか馬鹿なことを言い始めたので、思いっきり肩を殴ってやったことがある。

さすがに反省したようで、それ以来、ひとまずその馬鹿な冗談は口にしなくなった。


「ねえルナ。パセリちょうだいってば」

「お前、正気か? パセリだぞパセリ」


さて、諸君。これはもう言ってしまっていいと思うが、パセリは人間の食べるものではない。


個人的見解ではなく、客観的圧倒的に揺るぎない事実である。あれは、ただの、苦い、草だ。料理に緑という彩りを付け合わせるためだけに存在する、視覚だけの添え物だ。断じて人間が口に入れるようなものではない。

もし諸君の中にパセリ業者がいて異を唱えようとも、わたしは断固として認めない。訴訟を起こしたいなら起こすがいい。かかってきたまえ。わたしには、最高法廷まで争う用意がある。


「しゃりしゃり」

食いよった。このちび迷いなく食いよった。


「お、おい。苦くないのか」

「苦いよ。でも、この苦さがスシと物凄く合うんだよね」

言いながら、手元の『スシ』を抓んでぱく付く。

「んー。おいしー」


スシ。コメとかいう無名な穀物を炊いたものに生の魚介の切り身を乗っけて、豆を腐らせたようなしょっぱいソースを掛けるという、ちょっとわたしには理解しづらい赴きの料理である。

「レイナード様はなかなか通な召し上がり方をされますな」

マクスウェルが感心したように銀縁眼鏡の奥を細める。

「私も好きでございますよ、パセリとスシの組み合わせ。これにがあれば完璧です」

わたしの胸に大きな悲しみが去来する。あなたと法廷で争わねばならないとは。


「さて……妹様、デザートは如何ですか?」

わたしの心中を知ってか知らずか、マクスウェルは笑顔で問い掛けてきた。茸と貝のパスタの皿が空になって久しいのを察したのだろう。

「今日は練乳のパフェや、コリット豆の胡麻蜜団子などがございますが」

「両方いただきます」

胸を張って即答する。明日の敵は今日の友。将来は演壇で罵声を飛ばし合う仲になるだろうが、今はまだ、この老紳士の優しさに甘えてもいいではないか。


「アナタは本当によく食べるわねぇ」

隣に座っている姉さんが、抑揚のない声で囁いてきた。


「姉さん。甘いものは別腹なのですよ」


よわい10歳にして絶賛育ち盛り中のわたしは、この世で最も愛する格言を紡いだ。

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