パセリ業界の闇
「……ふぅ」
とても甘美な甘味を堪能し、わたしは凪いだ海のような気持ちでスプーンを置いた。
横からレイに胡麻団子の幾つかを抓まれたが、慈愛に満ちたわたしは数発のデコピンだけで
「……さて、では今回の『依頼』なのですが」
いつものように珈琲を淹れながら、マクスウェルは口を開く。姉さんはブラック、わたしはミルクと砂糖のガン盛り、レイは生意気にも姉さんと同じようにブラックだった。どうせこのちびは、何も入れないのが一番カッコイイとかしょうもない背伸びをしているだけだ。
「ああそうでした。仕事の前に一つ。……皆様。今日の御昼食はご満足頂けましたか?」
老紳士はゆっくりと首を振り、わたしたち三人の顔をにこやかに見回した。
「はい。ごちそうさまでした。今日もおいしかったです」
何を今さら、と思ったがわたしは答える。
お世辞ではない。ここの料理は抜群に美味しいし、だからこそこんなに賑わっているのである。
しかしマクスウェル翁はどうしたことか、優しい瞳をわたしの顔から逸らさない。
それは何だか、じぃっと次の言葉が発されるのを待っているみたいで。
「……え、あの、まだ何か」
「ありがとうございます、心優しい
「えっ?」
本心??
言いましたけど。いつも通り、すっごく美味しかったですけど。
「なぁにマクスウェル、やっぱり冗談だったのね?」
横から姉さんが口を挟んだ。老紳士の笑みが姉さんに向けられる。
「何が、でしょうか?」
「今日の料理の酷さよ」
暗黒色の瞳が、店の総料理長も務める老紳士を真正面から見据えた。
「あのハンバーグは何? 外は焦げ過ぎ、中は焼けてなさ過ぎ。繋ぎの玉子はケチっている。そしてソース。トマトは少ないし、逆に赤ワインの量は多すぎ。しかもその只でさえちぐはぐな旨味が、いつもの半分も凝縮出来ていない。じっくり煮込まず、強火で手短に作ろうとしたのが丸判りよ。アナタも老いたものだと思った。本気であんなものを作ったのなら、この後で料理長の座は引退勧告するつもりだったわ」
「ちょ、ちょっと姉さん」
わたしは思わず声を出した。
いきなり何を。この世で最も偉大な『
「ぼくも思ってた。今日のスシ、普段と全然違ったよね」
あろうことか、逆隣のちびまでが乗っかってきた。
「やはりレイナード様もお気付きでしたか」
「もちろん。ドグラ
「これは手厳しい」
マクスウェルは破顔して両腕を広げた。その手にステッキでも持てば、種をばらす手品師に見えるだろう。
「はい。
「人の舌を舐め過ぎでしょうよ」
「あんなの誰でも分かるよねえ」
「いやはや、申し訳ございません」
姉さんとレイに、マクスウェルは深々と頭を下げる。
え。諸君。何この人たち。
「……妹様も」
呼ばれたわたしは内心ぎくりとしたが、奥歯を砕けんばかりに食いしばって動揺を噛み殺す。
「普段のパスタとは決定的に違うと、もちろん気付かれていたでしょう。申し訳ございませんでした」
なんだ? 普段とどこが違った? いつもと丸っきり同じ味だったと思うけど。
強いて言えば――大嫌いなパセリが、普段より、多かった、ような、気がする。
しかしパセリの量なんて、味の決定的な違いとまでは言えないだろう。
じゃあなんだ。ええと、ええと。
「そう……ですね。当然、わたしも分かっていましたよ。今日の茸と貝のパスタは、なんと言いますか、茹で具合が、とてもアレでしたね」
神妙に言ってみせる。
『アレとは?』と訊き返されたらパスタで首を吊って死のうと決める。
しかし、老マクスウェルは銀縁眼鏡の奥の目を丸くした。
「茹で具合? なんとまあ妹様、そこに気付かれましたか! 確かに今日のパスタはいつもの私のレシピより少しだけ火が強く、数秒だけ茹で時間が長かった」
ギリギリ
「しかしそこは誤差の範囲、誰も分からないだろうと思っていたのですが。……感服でございます、妹様。では当然その他の、塩胡椒が強過ぎた点や、粉チーズの掛け忘れ、貝の入れ忘れなどは」
「……もちろん、わたしは全てを見抜いていました」
珈琲を飲みながら澄まし顔で答えるが、正直言って愕然としていた。
茸と貝のパスタを食べているつもりで、最後まで貝が入っていない事に気付かなかったというのかわたしは。いや、食べながら気付かなかったわたしも悪いが、茸と貝のパスタに貝を入れ忘れる料理人というのも大概じゃあないのか。
「……ち、ちなみにマクスウェル翁。今日わたしのパスタを作ったのは、一体どんな料理人さんで?」
わたしが尋ねると、すぐに老紳士の爽やかな笑顔が返ってきた。
「妹様のを作ったのは、さっきたまたま納品に来ていたパセリ業者の方ですよ」
料理人ですらなかった。ていうかパセリの手の者だった。だからパセリあんなに多かったんだよ。
わたしとパセリ業界の間に広がる闇は、予想よりも遥かに深い。
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