第6話 面影

 横山の運転するカブは、鎌倉駅に到着した。

 駅の構内は、帰りの電車を待つ大勢の観光客で、足の踏み場もないほどの大混雑の様子。


「それじゃ、気をつけて。今日は本当にありがとう」


 横山はにこやかな表情で、そっと右手を差し出すと、夕夏はその手を右手でしっかりと握った。


「そうだ、写真集が出来たら、自宅にお送りしますよ」


 横山がそう言うと、夕夏は名刺入れから名刺を取り出し、横山に手渡した。

 横山は目を細めて名刺に目を遣ると、夕夏の顔を見つめ、にこやかに手を振った。


「じゃあ、出来たら早速送りますね。今日はありがとう、小百合さん」

「え?」

「アハハハ、あまりにも似てたからさ。ちょっと言ってみたかっただけだよ。じゃ、元気でな、夕夏さん」


 そういうと、横山は手を振りながら夕夏に背を向け、そそくさと歩き去っていった。

 夕夏はしばらくポカンとした表情を浮かべたが、カブにまたがり、後ろで結んだ髪をなびかせて帰って行く横山の姿を見送ると、今日一日のことが走馬灯のようによみがえった。

 そして、両手には、カブに乗っていた時に掴っていた横山の背中のぬくもりが残り、バッグの中には、横山からもらった力餅家の「力餅」の箱が残っていた。

 夢から醒めた後のような不思議な気分が拭えないまま、夕夏は観光客でごった返す横須賀線の上り電車に乗り込んだ。


 電車を乗り継ぎ、夕夏が大田区馬込にある自宅に到着したのは、夕闇が辺りを包み込んだ午後7時過ぎであった。


「おかえり、夕夏。おそかったじゃない。鎌倉に行ってたんじゃなかったの?」

 母親の玲子が出迎えてくれた。


「ごめん、途中色々あって当初の予定を大幅変更したら、到着が今になっちゃった。はい、お土産」

 夕夏は頭を下げつつ、玲子に横山から貰った力餅の箱を見せた。


「あら?これ、力餅じゃない?」

「え、知ってるの!?力餅…」

「うん。鎌倉の名物だよね?昔、鎌倉によく遊びに行ってたけど、そのたびに食べてたよ。餡子がまろやかで口当たりがいいのよね。早速、夕飯の後のおやつタイムに食べようかな」


 玲子は、力餅の箱を嬉しそうに持って、早速冷蔵庫の中に保管していた。


「お母さん……この力餅、買ってもらったんだ。横山っていう人に」

「よ、横山!?」


 玲子の動きが、金縛りにあったかのように突然止まった。


「どうしたのよ?急に…」


 夕夏が呼び掛けても、玲子はピクリとも動かなかったが、しばらくすると何事もなかったかのように落ち着いた表情に戻り、夕夏は一安心して、矢継ぎ早に話を続けた。


「今日出会ったばかりなのに、いきなり、こんなに笑顔を作るのが下手な私をモデルに写真を撮りたいって言いだしてさ、あっちこっち連れまわされたんだ。自分が昔好きだった人に、私の雰囲気が似てるって言われてね。ちょっとおかしいでしょ?」

「アハハハ、そうよね……あなたも私と似て、カメラ向けられると、緊張しちゃうもんね」


 玲子は、リスのように手を押さえてクスっと笑ったが、言われてみれば夕夏だけでなく、玲子も、記念写真を撮る時や旅先での写真で、何度も「笑って!」とか「スマイル!」とか催促されていた記憶があった。


「そうそう、その人さ、小百合がどうとか…って、言ってたよ。小百合って誰?私は夕夏なんですけど~って」

「ハハハ……小百合ねえ。まだそんなこと言ってたんだ」

「え?ど、どういうこと?」


 驚いた夕夏の問いかけに対し、しれっとした表情で玲子は答えた。

「だって、小百合って、私のことだもの」


 玲子の言葉を聞き、今度は夕夏の体が凍り付いたかのように動きが止まった。

 次の瞬間、鬼のような形相で玲子に近づき、両手で玲子の肩を押さえながら問いただした。


「小百合?だって、お母さんの名前は、玲子でしょ?それに、何で横山さんと小百合さんの話に、お母さんが絡んでくるのよ…?」

「横山さん、私がまだ若かった頃、鎌倉に旅行した時に声をかけられたの。その時、今日の夕夏のように、私をモデルに写真を撮っていたんだよ。横山さん、私が吉永小百合に似てるからって、ずっと『小百合』って言ってて、いつの間にか私の名前は小百合になってしまってたの。あの時、私のことをちゃんと本名で呼んで、って言ったんだけど、結局、私の事を小百合の名前で覚えてたんだね……」


 夕夏は、全身の震えが止まらなかった。

 まさか、横山のアルバムに写っていた「小百合」が、実の母親だったなんて。

 けど、思い返すと、たしかに写真の中の小百合の顔は夕夏に似ていたが、自分の身内だと思うと、十分に合点が行った。

 そして玲子は、娘の夕夏と同じく、カメラを向けられると緊張し、表情がぎこちなくなる癖があった。

 おそらく横山は、夕夏の中に玲子の面影を感じ取り、昔のことを思い出して声をかけ、玲子の時と同様に撮影に連れまわしたのだろう。


 夕夏は、ここまでの一連の流れに納得するようになったものの、たった1つ、腑に落ちなかったことがあった。

 それは、横山が話していた小百合…つまりは玲子が、収入が不安定だった横山を振って、他の男性(つまりは夕夏の父親だが…)と結婚したというエピソードである。


 夕飯を食べ終えた後、玲子はお土産の力餅と、冷たいお茶を用意してくれた。

 玲子は夕夏が手を付けるよりも早く、濃し餡にくるまれた力餅を口いっぱいに頬張った。


「わあ!美味しい!やっぱこの餡子が美味しいのよね。夕夏、ありがとね~!」


 子どものような歓声を上げながら、玲子はまた1つ力餅を口に入れた。

 夕夏は、玲子が食べ終わるタイミングを見計らうと、単刀直入に思っていることを尋ねた。


「お母さん、どうして、どうして横山さんと結婚しなかったの?」

「え?いきなり何よ?横山さんに言われたの?」

「うん。横山さん、当時、小百合さんとの結婚を考えてたって」

「そうね。でも、うちは親が銀行員で堅実な家庭だったからさ。カメラマンの収入でどうやって生活していけるんだって言って、お付き合いは全く認めてくれなかったのよね」

「横山さんも、同居してるお母さんも、いつか一緒に暮らせると思ってたみたいだよ。横山さんのお母さん、私の顔を見て、何度も『あなたは小百合さんでしょ?』って、繰り返し言ってたわよ」

「……」


 さっきまで子どものような笑顔を見せていた玲子は、黙り込み、そっと立ち上がった。


「その話はもういいでしょ?私ももうあまり思い出したくないの。先に風呂に入るわね。夕夏も今日は疲れてるんでしょ?明日は仕事だから、早く寝なさいよ」

「ちょ、ちょっと、お母さん!」


 玲子は何も言わず自分の皿とコップを片付け、そそくさと浴室に行ってしまった。

 

 その後も、夕夏は玲子と鎌倉の思い出話をする機会はあるものの、横山との思い出話に話が及ぶと、玲子は固く口を閉ざし、何一つ語ってくれなかった。

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