鈴蘭の王国は瓦礫の下に

 一分後、僕はきれいなままの手でドアを開け部屋を出る。どうせこんなことだろうと思ってあらかじめ手袋を着けていたので、血まみれのそれを外すだけでよかった。

 廊下を進み階段を登り、屋上に出ると濃紺色の車が雨に濡れている。このホバーはヴィゴのもので、先日からは僕もユーザ登録されていた。窓硝子に仕込まれたセンサーが僕の顔、虹彩、耳の形などで認証を行いロックが解除される仕組みだ。

 僕はシートに身を預けると、先ほど引き出した眼球から――正確に言うと眼球に繋がる人工視神経の束に接触ダイレクトアクセスして生体脳から――読み出した座標の圧縮コードをステアリングにタップした。怒りで音が刺々しくなっているのが自分でも分かる。

 車体はドアを閉じながら既に垂直上昇を始めている。風を読み雨を測り、方位を読み座標と照合。表示は目的地まで三十四分。システムが発進許可を求め、僕はゴーサインを与える。

 加速開始を感じさせないほど滑らかに、僕を乗せたホバー自動運転オートパイロットで夜空へ走り出した。


 恐らく、この釣りは成功する。キトリ・ザンデルリングの狙いを知り、ヴィゴが段取った。全く無謀なことを言い出すものだが、ヴィゴには勝算があったらしい。近年キトリは増長から油断が出てきており、僕を見つけ次第、雑な段取りで仕掛けてくるだろうという見立てだった。

 キトリは前にも同じことをしているという。つまり、親しい人間の偽者を送り込んで対象を怒らせ、自分の所まで乗り込んでくるように仕向けて捕獲する。

 さっきバラした『ヴィゴのような何か』は、人造骨格に霍見ツルミ・拾弐式ツヴェルフを使っていた。旧式の人造骨格ホネに最新の外装スキンというちぐはぐな組み合わせは、すぐ壊す前提の製造だからコストを掛けたくないせいだろう。キトリは怒った僕がを拷問または破壊、ひょっとすると懐柔することを期待して送り込んできた。ぶち殺したい。

 一見しただけでも、自己平滑化セルフレベリング素材導入前のモデルでパーツが多い昔の設計のため、動き次第で表面組織をわずかに引っ張るところがあった。それに、上手く作っても細身の十代を得意としているツルの型落ちモデルだ。長身の成人男性、軍人上がりで分厚い身体のヴィゴをやるにはうまくない。

 三次元計測に基づいてサイズと外装スキンがカスタマイズされたはずだが、それでも要所の寸法にわずかな差があった。

 対象とアンマッチな古すぎる人造骨格ホネでこの僕を釣ろうとは。外形さえそっくりならだませるとでも思ったのだろうか。僕はこの分野についてずぶの素人ではない。あんな出来では気付いてしまう。

 キトリ・ザンデルリングはそのくらい調べてから僕に手を出すべきだった。



 キトリは別名の方が世間に通っていて、その世間とは違法なヒト型AI――偽装人形ドッペルゲンガーの作成と売買に関わるものだ。

 かつて、AIは機能も外見も明らかに人間ではなかった。しかし人は長い間、ヒト型の人造生命の夢を見続けてきた。アンドロイド。ヒューマノイド。サイボーグ。レプリカント。軟質ソフト外装スキンの実用化、やがて生体様外装リヴィングスキンが実現し、機械脳ではなく生体脳を積めるようになり、ヒト型AIの製造メーカーは『ヒトに似た』を超えて『ヒトと見分けがつかない』を目指すようになった。

 真正人間オーセンティックとの区別が素人には不可能なレベルに達し始めると、ある意味では当然の倫理規程違反が始まる。

 本物の人間と思わせたい。

 そして、様々な動機から倫理規程を無視した技術者たちの努力の果てに、実在の人間と見分けがつかないほどそっくりな偽者が産み出せるようになった。法律で禁止された心理迷彩カモフラージュシステムも実装された。見る者の認知を微細に狂わせて違和感を打ち消すものだ。


 そもそも、昔からそうした需要はあった。

 例えば国家元首や大富豪が身の安全やプライヴァシーを守るために隠れ蓑として自分の影武者ダブルを欲しがった。使い捨てにできる工作員も求められた。法律が禁じても、いくつもの国が秘密裏に研究を進めたという。

 また、金に糸目をつけないタイプの狂人は、自分の執着する人間のを作り、飼うなり壊すなり好きに扱う欲望を持った。

 あるいは詐欺や何かの犯罪を目論む者が、特定人物の代わりに全く見分けのつかない偽者を欲しがった。

 夜の裏町も同様で、『あの女優そっくりのSM嬢』『どんなに痛め付けてもいい奴隷』『食べられる恋人』などの路線で会員制の非合法店舗を開けば必ず金になるということに気付かないはずがなかった。

 そして、失踪願望を持つ個人が自分の偽者を欲しがるようにもなった。

 以上の各現象は、違法ヒト型AIが極めて高価だった時代から、かなり頑張れば一般の個人にも手が届くくらい値段が下がっていくに従って順番に起きた。

 そうした違法ヒト型AIは、俗にこう呼ばれる――偽装人形ドッペルゲンガー。本物を殺し偽者にすり替えて意のままに操ろうとする犯罪が何度か報じられた頃に定着した呼び名だ。がいるということは、本物は死ぬということだから。


 さて、偽装人形ドッペルゲンガーを作るには何が必要だろうか。実在の人間として擬態させるのに必要なものは?

 精巧な人造骨格や生体脳もさることながら、本人の生体情報と、行動情報だ。

 遺伝情報を盗まれれば疾患リスクや出生時の生物学的性など様々な重要因子が暴かれる。行動情報を盗まれれば何を買い何を食べ生活圏はどこかが分かるなど、セキュリティリスクが高い。本人のふりをさせて資産を動かすことも可能になってしまう。人殺しのアリバイだって作れる。

 だから、本人に無許可でそれらの情報を収集することも、収集したデータを生体脳に書き込んだり外装スキンを作製したりすることも、法律で厳格に禁じられている。

 だが、それが何の障壁になったというのか? 実際には生体情報は勢いよく盗まれ続け、悪用されている。禁止されて表社会では出回らないモノだからこそ、裏では高値で売れる。

 やがて、農場ファームと呼ばれる偽装人形ドッペルゲンガーの工場ごとに得意分野ができてくる。

 中でも『鈴蘭ミュゲ』は、主に虐待用の可憐な少年少女を得意とする。鈴蘭ミュゲはまた農場主の二つ名でもあって、つまりそれがキトリ・ザンデルリングの通り名だ。

 



  *  *  *




 ホバーを降りると、規制線の向こうにいた顔見知りの捜査官が片手を上げた。雨は降り続いている。


「やあジーク、協力ありがとう。首尾よくいったよ」


「何より。ヴィゴは?」


「元気に押収してる。入るといい、鈴蘭ミュゲはロビーにいる」


 ありがとう、と答えて建物に向かう。内部見取り図はここに来るまでの間に受信し頭に入っている。

 急いで歩きながら、ヴィゴが無事だったことに何よりほっとしていた。そうだとは思っていたけどね。化け物みたいな戦闘能力があるから。




 拘束された鈴蘭ミュゲ――キトリ・ザンデルリングはロビーで何か高圧的にわめいていたが、僕に目をとめるとそのままぴたりと静止した。

 向こうは事前に僕の外見をチェック済みだろうが、それはこちらも同じだ。獲物の姿は頭に叩き込んである。

 拘束された中年女は中肉中背、緩く波打つブロンドに褐色の眼。

 対する僕は彼女よりずいぶん長身で、ヴィゴいわく『ストロベリーブロンド』のベリーショート、眼の色はブルー。

 何も言わず目の前まで進むと、ごくりと唾を飲み込んだあとキトリは言った。


「マルグリット」


「寝ぼけたことを言うな。あの子は死んだ」


 僕はキトリを見下す。キトリの眼の中に、僕の影が映り込んでいる。


 そうだ、マルグリット・ザンデルリングは死んだ。

 は耐えられなかった。金と暴力と偽装人形ドッペルゲンガーに取り憑かれた母親キトリ。きょうだいたちが偽装人形ドッペルゲンガー改良の実験台になること。作られては潰されあるいは売られていくたくさんの。あたかも同一人物であるかのように行動するたくさんの。やがてお互いの区別がつかなくなっていく

 わたしたちが逃げ出したのは六年も前のことだ。

 母親キトリが自分を探すであろうことは分かっていた。家を出る時、わたしたちは農場ファームに保存されていたマルグリットの情報をすべて壊したからだ。オリジナルデータがなければ、マルグリットの偽装人形ドッペルゲンガーからいわば孫引きの偽装人形ドッペルゲンガーを作るしかなくなる。二世代目は生育不良が有意に多くなるので、キトリは激怒するはずだった。

 改良実験のために作り出したマルグリットは、キトリの虐待用でもあったからだ。キトリが吊るし、鞭打ち、手足をあぶり、首を絞めるのは、マルグリットそのものでなければならなかった。ノイズの乗った二世代目の不良品などキトリは赦さない。だから、一世代目の新規作成を不可能にしたのことを絶対に赦さず、捕らえて残虐な拷問をするだろう。


 逃げ出してから思う。

 のうちの誰かがオリジナルだったのだろうか?

 それすらも知らされてはいなかった。オリジナルはどこか安全な場所に大切に隠され、のようにショーとして自殺させられたり自分の脚を料理して食べさせられたりはしていないのかもしれなかった。


「わたしたちは死んだ。あんたに殺され続けた。わたしたちはもうどこにもいない。あんたが探しているってことは、あんたはマルグリットオリジナルを逃がしたか殺したんだろう。あれだけの複製ドッペルゲンガーがいて本物を失うとはね」


「違う。マルグリット、おまえは」


はマルグリットじゃない。

 知ってるか、鈴蘭ミュゲ偽装人形ドッペルゲンガーは生体脳への書き込みが甘いんだ。すぐに殺されるか気が狂うからこれまで問題にならなかったんだろう、でも狂わずに長く生きるとわたしたちの意識はオリジナルからどんどん離れる。。一緒に逃げた他のわたしたちも、生きていれば別の誰かに変わってるはずだ」


「これまで二十七人捕まえた。どれもマルグリットオリジナルじゃなかった」


「そう」


「おまえがオリジナルだよ、私には分かる、髪を切っても、身体を切り開かなくても」


「違うね」


 僕は偽装人形ドッペルゲンガーで、

 僕はにせもので、

 僕はジークリット・シュレーディンガーだ。


 そう告げると、キトリは何か妙に愕然としたような表情になった。

 もういい、と手振りで告げると、取り囲んでいた捜査官たちがキトリを連行する。

 その間にもキトリは、何度も振り返る。執着した人間の顔で。醜い感情を晒して。

 おまえがオリジナルだよ、どんなに別人に擬態しても、おまえがマルグリットだ、とわめきながら。――音の割れたスピーカみたいに不愉快なサウンド。


 そうして、偽装人形ドッペルゲンガー農場の主人、鈴蘭ミュゲことキトリ・ザンデルリングは狂った楽園を追われた。


 僕はそれを眺めながら、早くヴィゴにくっつきたい、とぼんやり思う。







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