第2話 談義

 明眼寺みょうがんじは歩いて半刻ほどである。

 多くの武家は禅寺で幼少期の習いを行うので通例であったのだが、明眼寺は真宗であった。

 曾祖父親忠の四男の存牛(竹千代から見れば大叔父)が浄土宗総本山の知恩院において当世門主であったりと仏門にもつながる安祥の松平家である。縁ある寺となると浄土宗系の知恩院の末寺になるのだが、竹千代はこの明眼寺に習いに来ていた。

 竹千代からみれば禅寺だろうが、浄土宗だろうが真宗だろうが、書物の習う場所はどんな寺でも構わない。

 武家からみれば都合のいいお寺と交流がもてればいいと考えている。

 竹千代にとっては文物に興味があり、又得意とするところであったので学ぶ場を与えてくれることは喜ばしいことである。

 ひとしきり、本日の和尚からの習いを終えると、昨日から煩悶していた事を話することにしてみた。

「和尚様は父が家臣達から阿呆とか言われていることをご存知でしょうか?」

 和尚は少し驚くいたようだったが、一時、間をおいて答えた。

「知っては居るが、それが如何した?」

 それが何か問題か?とでもいう感じで和尚は答えた。

 竹千代は少しだが癪に障ったらしく、

「安祥松平の棟梁は父なのです。家臣は父を褒め称えるべき者であるはずなのに、さにあらず蔑称をもって評価するとは言語道断だとは思いませぬか。」

「ましてや家臣どもは父を差し置いて、祖父のもとへ足しげく通うのです。」

 と一気にまくし立てた。

「ふぅむ。竹千代殿は御父上が蔑ろにされていることが納得いかないのであろう。」

「しかし、先の今川との戦を見る限り御父上はあまり戦が得意なようではなく、それが侮られる事に繋がっているのであろう。」

「和尚様から教わったことに『勝敗は兵家の常』という言葉がありましたが、家臣達はしらないのでしょうか。兵を預かる身は一戦の勝ち負けに一喜一憂しないという意味だと思うのですが」

 竹千代は先日教わった大陸の国の三国志と呼ばれる古の戦記を引き合いに出した。

「竹千代殿それは、領主という立場の者が部下に対してかける慈悲の言葉じゃ。領主の立場のものがそれを言い出せば只の言い訳じゃろう」

 竹千代は納得し難く、

「しかし乍ら、父は初陣だったのですから、負けても仕方がなかったのでは無いでしょうか。相手は稀代の名将と聞き及んでいます。」

 しかめっ面で答えた

 和尚は少し和らいだ表情で、

「期待の裏返しなのじゃろう。道閲様が名君と誉れ高い方でしたのでその御子息であった御父上への期待が大きすぎた分、皆落胆したのですなぁ。」

「しかし皆が皆、御父上を快く思ってるわけじゃなかろうて。悪口雑言はすぐ耳に届く故に目立つのじゃ。」

 気にするなと言う感じである。

「しかしながら、祖父も父を軽んじております。家督を譲ったのならば、父を少しは立てないといけないのではないでしょうか?」

 和尚は黙り込んだ。少し考えたのち、

「御父上はご自分の事、能力の限界が分かって居られてるのかもしれませんな。道閲様に敵う訳がないと。」

 竹千代は黙り込んだ、想定内の答えが返ってきたからである。

 もとより、なんら解決を求めて問い始めた話ではなかったので、少しだが気分も落ち着いた。

「竹千代殿は分かっておいででしょう。ですが、御父上はもっとわかって居るんじゃよ。」

 竹千代は少し怪訝な表情をした。

 続けて和尚は

「御父上は勇猛ではないかもしれませんが、非常に賢明な方であるがゆえに客観的にご自身の力をご判断できるのでしょうな。」

「戦事は道閲様に敵う訳もなく、政事は家臣の酒井様らに任せた方が良いとお考えなのでしょう。」

 酒井とは松平家臣の酒井将鑑である。酒井家は松平の分家の中でも有力者であるため家臣の中でもまとめ役のような立場であった。

「それでは和尚はこのままで良いとお考えなのでしょうか?」

「そうですなぁ。領民たちが安らいでおり、家臣たちも松平家を支えている現状を考えるとこのままでいいのでは無いかと思われます。」

 竹千代はもどかしくもあったが、一通り会話をしたことで落ち着きを取り戻しつつある。

「父は運が良くなかったのかも知れません。戦と言えば初陣の今川との戦くらいです。その後の小さな戦と言えば祖父が出張っていましたので、挽回の機会を失っただけなのかもしれないでしょう。」

「きっとそうなのでしょう。」

 和尚はようやく同意した。その言葉を得て竹千代は満足した。

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