第3話 井田野合戦

 和尚は納得した様子の竹千代をみて、

「少し予定より長くなりましたな。そろそろお帰りになるがよろしい。」

「いえ、もう少し良いでしょうか?折角なので今川との戦について教えて頂けますか?」

 気分が良くなってきた竹千代は、もう少し和尚と話の話を聞きたいと思った。三河の国で起きた大きな合戦と言えば先ほどの会話でも出た戦いであるが、まだ十年程昔の話なので多くの人が鮮明に記憶している。文書ではなく、実際に当時三河に住んでいた人から話を聞くことがより一層、戦を深く知ることが出来ると思う。

「しかし、儂は僧侶の身であるからして、竹千代殿を満足させらる話が出来るかどうかわ分りませぬぞ。」

「いえ、武門ではない和尚からお話を聞きたいのです。どうも武士というものは、自らの武勇ばかり誇りますので戦の大局の話はあまり聞けないのです。」

 和尚は真っ白い顎鬚を触りながら、

「そうか、ならば拙僧でよろしければ今川との戦のお話をさせて頂きましょう。」

 実は館に住む者や来訪者から聞く今川家との闘いに疑問点がいくつかあったのである。

 竹千代は再び姿勢を正し、聞く体制を整えた。

「さて、竹千代殿も大体のあらましはお聞きかと思いますので、今川が岩津を取り囲んだところから始めましょうか。」

「はい、それで結構です。」

「岩津は道閲様の兄殿がおわす城で御座いました。今川はその兵力一万という大軍であったそうです。」

 さて、一万という大軍という話は聞いては居るが、本当にそのような大軍であったのかどうか。まず、竹千代は疑問なのである。

 今川はそのとき駿河、遠江、東三河を領する大国であったときく。接している国境が多いため、多方面に目を光らせておく必要があるのに、三河の国にそこまで大軍を寄越すことが出来たのだろうか。

 疑問点は他にもある。当時は岩津の松平が所謂宗家といった立場であったはずだ。なぜ取り囲まれるまで放置されていたのだろうか。

 竹千代はそれら疑問をもっていたのだが、まだ話の冒頭である。自分からお願いした話の腰を折るのも申し訳ないので、何も言わずにいた。

「信忠様と道閲様は安祥松平の家臣のみならず、他の三河の松平諸家にも宗家を救うためと大義を用いて軍を御集めなさいました。」

「その数五百。」

 これも疑問である。三河の国はそこまで小国ではない。安祥だけならまだしも他の領地の松平からも集まっているのであるから、三千は集まったのではないだろうか。

「集まった軍を前に信忠様、道閲様は大桶になみなみと酒を注ぎ、家臣や諸将に振る舞い、士気を高めたのじゃ。」

「今川軍は今津の城の南側の大樹寺というところに本陣を構えておったのじゃが、松平軍は南の方から矢作川を越え、北の方へ向かい進軍ました。安祥から岩津を結ぶ戦場に大樹時はございますので、矢作川を渡らずに北へ向かえば本陣を回避し岩津の城を向かう事は出来たのじゃが、本陣は手薄であったのでしょう。松平軍は岩津へは向かわず、本陣に向けて進行したのですな。」

 ここは納得できる。岩津の城へ向かってしまえば、今川は本陣からの加勢もあるであろう。ほぼほぼ総攻撃という形になる。巷間に広まっている兵力をそのままあてはめれば一万対五百である。どんだけ士気の差があろうが適うはずもないのである。もっとも岩津の城にも五百名ほどの兵が籠城していたために合わすと千にはなる。ただそれでも十倍の戦力差がある戦など勝ち目があるのであろうか。

「大樹時に近づいていたのだが、さすがに近くまで来ると後詰の接近を気付いたのじゃろう、今川軍は本陣から出陣し双方とも井田野で相まみえたのじゃ」

 伝わっている井田野合戦である。ただし、さらにさかのぼること四十年前にも今川との闘いが井田野であったので、今話している合戦は第二次井田野合戦である。

「井田野に出陣してきた今川軍は東三河の領民が多くてな、同郷のものと戦うことも忍びないとあまり士気も高くなかったそうじゃ。対する松平の士気は万全であった。戦は長引くことも無く、一瞬にして決し大将の伊勢新九郎は岩津を囲んでいた兵も含め、駿河の国へと逃げ帰ったのじゃ。」

「これが、井田野合戦のあらましじゃ。」

 竹千代はじっと黙って聞いていた。が今まで聞いてきた話と変わりがなかった。

「和尚様、私はこの話に疑問があるのです。」

「ほう、なんであろう?」

「単純です。一万の兵に五百で勝てるはずもないと思います。」

「古今の戦でこのような寡兵で勝ちを拾ったものは無いのではないですか。」

 具体的に名前を出さなかったが、平家物語を習った時に話に出た倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が勝った戦いはあったとは思うが、これほどの少数の兵力では無かったはずだ。

「ははは、確かにのう。しかし、一つ話を修正すれば無くはないのじゃと思いますぞ。」

「なんでしょう?」

 竹千代は前のめりになって和尚に質問した。

「松平が五百と伝わっている話は、これは安祥松平の兵が五百であったのだと思う。そして実際は三河全体から集まった兵力は数倍、もしくは十倍はあったのではないかと思っているのじゃよ。」

「それだと、安祥松平が嘘をついているという事ですか?」

「嘘ではないぞ。五百集まったと言っているだけじゃ。」

 竹千代は納得していない。が、次の疑問を出した。

「そうだとしましょう。それで、五千の兵がいたとしても二倍もの兵力差を覆せるものでしょうか?」

「なかなか難しいじゃろうな。しかしな、兵は実際は岩津と本陣に二分していたのじゃ。岩津には兵法どおりの場合、少なく見積もって五千で囲んでいたはずじゃ。」

 兵法とは孫子の兵法である。確か謀攻篇に

 十なれば、則ちこれを囲み、

 五なれば、則ちこれを攻め、

 倍すれば、則ちこれを分かち、

 敵すれば、則ちよくこれと戦い、

 少なければ、則ちこれを逃れ

 若からざれば、則ちこれを避く

 とある。岩津が五百であれば囲んでいたのは五千の兵で囲むのが妥当であろう。

「本陣に残っているのはそうすれば五千以下ということになろう。」

「こうなれば、勝敗は時の運という言葉どおりになってくるのじゃな。」

 竹千代は何か鮮やかな勝敗を決した理由を考えていたのである。しかし和尚は五百という数が嘘だというのである。

 あまりいい気分もしない。

「ですが、それですと五百という数をちゃんとした形で伝えるべきなのだと思います。」

 和尚は微笑んで

「竹千代殿も先ほどいったとおり、武門の人は自らの武勇ばかり誇るのじゃ。数を少なく伝えた方が印象が良いじゃろう。」

 竹千代はあまり納得した表情はしていなかったが、一通りの談義は終わった。あくまで和尚の見解を聞いたのだからこれで満足としよう。

 最後に確認したかったがあったので口にした

「今の井田野の合戦で、父の愚行や卑怯な振舞いなど特に目立ったことはなかったのでしょうか?」

 和尚は眉を顰め乍ら。

「それがのう、具体的に何をしたのかは良くわからんのじゃ。逃げ帰ってきたという話も、噂でしか聞かないのじゃ。」

 肝腎の所が聞けない。何か隠しているようにも見えない。

「竹千代殿、そろそろ館に戻られては如何かな?」

「そうですね。今日はありがとうございました。」

 竹千代は和尚と長々と話をできたことにより、来た時よりは少しばかりは晴れやかな気持ちになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る