第17話 子ども時代の食卓

 私が子どもの頃の食卓は「いただきます」はよーいどんの合図だった。


 母はご飯とみそ汁と大皿料理一品を出す料理がほとんどで、「いただきます」という名のよーいどんが始まると私は必死でおかずとご飯を掻き込む。


 するとすぐに、ストップと言う名の強制「ごちそうさま」になる。


 小学校高学年くらいまでの私の食事はこういう感じだった。


 何故そのような食事なのかというと、料理を小皿に分けるのが面倒な母が大皿で出し、私が食べ過ぎて父の分が無くなってしまわないようにストップをかけていたらしい。


 そんな事を分かっていなかった子どもの私は、すぐにかけられるストップの前に出来るだけ早く多く掻き込まないとご飯にありつけないと思っていて必死だった。


 よく、一人っ子だと兄弟とおかずの取り合いが無いから良いねと言われたが、取り合いは無くともこうやってストップがかかるので、それまでが勝負だから好きなものなんて特に先に食べないといけないと思っていた。


 なのに友達の家にお泊りに行った際の食事は、食べきれずに残すという申し訳ない事をいつもしていた。


 多分、ゆっくり食べれるから満腹感が早くやってくるんだろうね。

 太ってはいたが、身長は低く食にも本当はそれほど執着も興味も無かったので本来の私は小食だったのかもしれない。


 大皿一品料理がほとんどだったので、野菜を食べる感覚もあまり無かった。

 なので今でも野菜料理とかサラダとか、どうやって作ったらいいか調べないと簡単には想像出来ない。


 完成形が分からないから、どういうのが普通なのかが分からない。


 母は外で食べてくる事もあったようで、あまり一緒に食べる事は無かった。

 母は昔から良く外食していた。

 だから母こそ、それらしい献立を知っているはずなのだが、それらが再現される事は無かった。



 今でも「いただきます」と言うと、必死に食べなきゃいけないような記憶が蘇ってくる事がある。


 そして食事はあまり楽しいものではなく、私が食への興味が薄いのは、もしかしたらこういった子ども時代の事が関係しているのかもしれない。

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