4

 部員達は止めた。


「危ないって! そういうのは止めろって、今発表があっただろ」

 聖は首を横に振った。


「逃走犯に近づくわけじゃない。世間の流れを、考察してみるだけ。こんな機会、人生に一度あるかないか、だから」


 聖の好奇心は、この場、このサークルにおいては当然に発生するものだった。

 

 彼女が椅子を立った瞬間から、学生達は次々と自身の考察を話し始める。日本最高学府であるここの生徒達もまた、天才的に頭は切れるのだ。


 勢いづく雰囲気に、勇次も活性化された。


「あの、俺は……」


 見解を述べようとした時、腕の袖が引かれた。


 勇次の真横に来ていた聖は、袖を握りつぶすように掴んで力強く戸口へと引きずった。


「ちょ、っと」


「行こう」


 聖が鉄扉を開けたところで、正子が勇次に言った。


「聖、暴走しないでね。勇次君も、ちゃんと見張ってるのよ」


 勝手に保護者にされた。


「大丈夫」


 聖は平然と答えて廊下へ出た。廊下に出ても手を放さず、勇次を引っ張る。


「ね、ねぇ、聖」


「勇次君の部屋、行きたいんだけど」


「……は、ぁ? なんで? うちは関係ない!」


 聖の足が止まった。


「関係ない……。って、どういう事?」


 真っ黒な瞳が振り返り、鋭利な刃と化した視線が勇次に振り替える。


 一歩足を引き、たじろいだ。


「……別に。うちに来たって、その、意味ないんじゃないかな」


「何の意味? 私が、何の意図を持って勇次君の部屋に行こうとしているか、推測できているの? だとすれば、それは何?」


「いや……」


 小柄な聖の顔が、ゆっくり近づいてくる。鼻が擦れるほどに近づいた。でも、吐息が全くない。


 怖かった。


「い、いいから! 今、散らかってるから来て欲しくないんだよ!」


 聖を突き飛ばし、強制的に腕を振りほどいた。


 どんな力で握りしめていたのか? シャツの袖が千切れた。


 破れたシャツの端を握りゆっくり確認した聖は、パッと手を開いて破片を宙にそよがせた。


「じゃあ、掃除をしないとね。私、悪魔祓いも、できるから」


 バレている。


 これは、絶対にバレている。


 と、同時に、勇次は思った。


 お前は、恋人じゃない。


 彼女は、度々甘えた素振りで幻惑する。ボディタッチも多く、顔を胸に埋めてきたり、手を握ってきたりもする。


 でも、キスはおろか、何もやらせてはくれない。


 美人には違い無いが、陰鬱オタクのような喋り方で、髪の手入れも化粧も雑。背丈も小さく、寸胴で、胸も無い。


 完成された美紀を抱いた今、これは、そこらの中高生と大差が無い。


 そういうところだ。そういうところが、能力主義の天才と、カリスマ的権力者の根源的な違いなのだ。


 能力というカテゴリーにおいて、実績、学力、知識の幅など、見た目やコミュニケーション能力という本能的に作用する価値観の前では、無力である。


 もう、今更、聖の保護者をする必要もない。


「あのさ、聖」


 言ってしまおうと思った。

 目の前の小娘が、田舎の猪にでも見えていた。


 その時だった。


 廊下の先の階段から、大きな足音が聞こえてくる。思い足音。体重がある。女性のものではない。踏み込む力が尋常じゃなく強い。まるで、柔道家の踏み込みのような音。


 とてつもない速さで上がってきたそれは、二人を見るなり声を張った。


「聖! どこに行ってた!」


 余計な時に、余計な人間が現れた。


 自称、美紀の彼氏だ。


 流石に、彼を前に交際事実を発言するわけにはいかない。

 女に手を上げるような輩だ。

 男の勇次に、ましてや、彼女を寝取った男には容赦が無いだろう。彼には、時期を見て言うべきだ。


「何? 劉生、慌てて」


 余裕を醸し出した。


「ん、あぁ、勇次か。どうした」


 劉生は、まるで今勇次が目に入ったとばかりに顔を向けた。


「え、いや……、用事かな、って」


「あぁ」

 劉生は一寸呆然となり、聖に顔を向けた。

 聖がこれに頷き、勇次に言った。


「時間も無いし、単刀直入に言う。警察の情報を得たい。目的は犯人逮捕。どうする? 勇次君」


「どう、って」


 唐突に言われても、


「駄目、だって。今、会見してただろ」


 そう答えるしかない。


 即座に聖は首肯した。まるで、予想していた通りと言わんばかりに。


「分かった。じゃあいい。劉生、行くよ。時間が無い」


 劉生は唖然としたままだったが、「あ、あぁ」などと言って首肯する。


 なんだ?


 どういう事だ?


 勇次の心を読んだかの如く、聖が言った。


「私達は、犯人を追う。さっき校門で劉生にそう言ったら、彼は即答だった。勇次君は、違う。そういう事なんだよ、全部」


 聖は踵を返して廊下を進もうとする。


 瞬間的に、脳が熱く燃え滾った。


「行くよ! 勝手に決めんな! 俺だって、警察官の息子なんだよ! やるに決まってんだろ!」


 聖は顔だけ振り返らせ、笑顔を見せた。


「うん。そう言うと、思ってた」


 途端に逆上した熱は、一瞬で冷めていく。ものの数秒の出来事にも関わらず、取り返しの付かない言葉を吐いてしまったと後悔した。


 これは、誘導尋問だった。


 うまく乗せられてしまったと、心の底から後悔した。

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