御柱様と御蛙様 5

 体育館では、青御蛙様と三人が戦っていた。

 青御蛙様の口からは石つぶてが放たれ、それを皆歌の錫杖が打ち返す。青御蛙様の長大な舌が鞭のように襲いかかり、熊神様がそれを突進してかわす。真白は攻撃の中を赤御蛙様の元まで走り抜け、その巨体をよじ登ろうとしていた。

 赤御蛙様の巨体は、さっきよりもさらに膨らんだようだった。より赤く染まり、その全身は球体へと近づいていく。あたかも破裂寸前となった風船のごとく。血でいっぱいに満たされ、弾けようとしているのだ。

 青御蛙様の口内に潜むミカエルは、いっそう蒼ざめた顔となって叫ぶ。

「朱美、まだか! ダーナの力は血の呪いを解くことができるはずだ!」

 皆歌が錫杖で青御蛙様に打ちかかってくる。巨体に似合わず敏捷に、青御蛙様は跳んでかわした。同時に、伸ばした舌を勢いよくしならせて皆歌へと走らせる。皆歌は錫杖を回転させて、舌の軌道を打ちずらす。錫杖に結ばれたリボンが外れて宙に舞う。それを素早く手に受け止めて皆歌は、

「お姉様。本気を出してもよろしいんですよね」

 リボンが外れた錫杖の先端部は、いかなる力か赤く輝き始めていた。熊神様は四つ足で床を蹴って皆歌の横まで一っ飛びし、

「お主、守語者じゃな。災厄の杖を人界で振るうのは止めよ。強すぎる焔は真白まで傷つけてしまうぞえ」

 むっとした皆歌は、

「あなた、誰なの。生徒じゃない子は学校に侵入禁止よ」

「夜に体育館で暴れるのはいいのかえ」

 熊神様の突っ込みに、

「お姉様のためだったら! どんなことをしたって! いいんです!」

 皆歌が雄たけびを上げる。応えるようにミカエルが高笑いをし、皆歌は眉を吊り上げた。

「なにがおかしいんです!」

 ミカエルは笑い、そして泣いていた。皆歌に向かい、

「あなたとて、愛する者のためにはどんな手段でも採るのでしょう。私と変わりはしない。だからお願いです。邪魔をしないで」

「勝手なことを!」

「大地は血に呪われた。私と朱美は自分たちの力を信じ、血の呪いを解こうとして世界を巡ったのです。御力さえあれば、物だろうが情報だろうが思いのまま。食料を分け与え、爆撃から街を救い、救世主と呼ばれたことまであった。その結果が、どうです! 赤御蛙様は血の呪いに弾けんばかり、私の力では朱美の痛みを和らげることもできない! 朱美が受けた呪いを私に回してくれれば、少しばかりでも楽にできるというのに!」

 ミカエルは慟哭する。

「なぜなんだ! なぜ朱美はこんな運命なんだ! どうしてこんな不運なんだ! 大地を血に呪って死んでいった人たちの、なにが悪かったっていうんだ! 運が悪かっただけじゃないか! 運! 運! 運! 朱美に白羽の運をよこせ! やつが幸運であるべき理由などない!」

「やつには世界を救う役割があるのじゃぞ」

「世界を引き換えにしてでも、私は朱美を助ける!」

 熊神様は哀れみの声で、

「もう間に合わぬ。我らカムイであれば、まとった肉を脱ぎ捨てればよいが、魂まで深く呪われた憑き神は柱とダーナにしか救えぬのじゃ。そして、その時はまだ来ておらぬ。せめて楽にしてやろう。赤も、青も」

 両手両足の爪を伸ばす。小さな体から、圧倒的な殺威が吹き荒れる。深淵へと続くカムイの目が、苦痛に唸りもがく赤御蛙様を捉える。

「待って!」

 真白の声だった。赤御蛙様の口元までよじ登っていた真白は、

「まだ方法が!」

「時が来ぬかぎり、血の呪いを解く手立てなどないのじゃ!」

 熊神様の応えに、真白は必死で、

「呪いは解かなくてもいいんです!」

「なんじゃと?」

 真白は、赤御蛙様のたぷんとした唇を持ち上げた。

「真白は旦那様の幸運を信じます。だから、行ってきます!」

 片手に杖を持って、そこに潜り込んでいく。すぐにその体は、外からは見えなくなった。二人を飲み込んだ赤御蛙様の膨張は、もはや天井を圧迫し、体育館そのものを破壊しかねないところまで来ていた。

「行ってらっしゃい、真白ちゃん。私はあなたと白羽君を信じる」

 皆歌は心の中で呟き、祈った。


 暗闇に浮かぶ祐矢。

 彼にはこの世界での理がつかめてきていた。

 この闇に漂う赤黒塊は、血の呪いが結晶となったもの。血の呪いとは、不運にして命を奪われた者たちが最後に残した呪詛。大地を呪う叫び。血塗られし言霊。

 望むと望まざると、赤御蛙様が吸い集める御力を使えば、大地に満ちた血の呪いをも吸い集めてしまう。

 赤黒塊は叫んでいる。

 痛い。苦しい。どうして。理由などないのに、なぜ。

 ある赤黒塊は、家族を銃撃で失い、その悲しみを敵兵の暗殺で晴らそうとして、果たせず散っていった母の苦痛。

 またある赤黒塊は、なにげない日常を一発の誤爆で文字通り微塵にされた、受け入れることのできない驚愕。

 突然襲った病に、友を、愛する者を奪われていき、己もまた命を奪われる恐怖。

 どれもが、訴えている。運がなかった、ただそれだけで幸せを奪われてしまう運命の理不尽を。

 彼らの流した血涙が大地を呪い、縛り上げる。大地は血で呪われた。

 祐矢の傍らに、少女が寄り添い立つ。

 真白、いや違う。真白によく似たその少女は、血塗れの顔で絶望の笑みを浮かべ、

「私は、真希はあなたのために殺されたのです。ほら、見て」

 少女が制服の胸元を開いてみせる。そこには、ぽっかりとした空洞しかなかった。

「どうして真希から奪わなきゃいけなかったの。なぜあなたが生きて真希は死ななきゃいけないの。返して。真希の心臓を返して!」

 祐矢は自分の胸に手を当てた。脈打つ心臓は授かった生命だった。祐矢は自分の体が発する声を聞いた。

 なぜならば、ダーナはあらゆる不運を背負う者、贈られ送る者、救いなき大地の救済者。ゆえにわたしは生命を贈った。わたしは真希、ダーナと一つになりて血を受け入れる大地の柱。

 光が走る。祐矢の脳裏に、十五年前の世界が浮かび上がる。

 まだごく幼い女の子が二人、深く両親に愛されながら育っていた。両親は喜びに満ちていながらも、どこか不安に追われてもみえる。

 女の子たちは、とてもよく似た顔をしていた。双子なのだ。そう、彼女たちが真希と真白。

 ある日のことだった。妹が姉になにかを告げ、姉がそれにうなづいた。真白の行くときが来た。妹はそう言っていた。

 妹を探す父の声。病院の検診が待っている。しかし姉の方が飛び出した。追う妹の前で、扉が閉められる。姉を乗せたピックアップカーは病院へと向かっていった。

 車は運命へと突き進み、信号無視のトレーラーに横合いから激突される。父は奇跡的に無事、しかし娘は脳死状態。

 病院で回復不能を告げられた父は、真希が自ら入れ替わったことを知り、そして日本にいるはずの白羽頭矢と同じ病院で出会い、あらゆる希望を失う。娘は頭矢氏の曾孫を救う運命に自分から命を差し出したのだと。その運命から、もう一人の娘も逃げ出すことはできない。いや、逃げ出しはしない。

 父から引き渡され、真白は日本へと去っていく。

 祐矢は知った。運命に逆らうのでもなく、流されるのでもなかった魂が、自ら選んだ運命で祐矢を生かしているのだと。

 祐矢の傍らに立つ血塗れの少女は、姿を変える。それは三月朱美だった。朱美は血眼でにらみ、叫んだ。

「救えるものか! 私はなにもできなかった! 自分すら救えず、兄さんを苦しめている!」

 朱美の体には、無数の棘が刺さっている。赤黒塊の棘だ。そこから流れる血に、朱美の体は塗れている。

 祐矢は、その苦痛も知った。与えられた御力を信じて世界を呪いから救おうとし、己が呪いに囚われてしまった悲痛。かなえられぬ希望。苦痛は溜まり、血の海となる。

「どうして、たった一人で引き受けてきたんだ」

 祐矢の言葉で、朱美の目が怒りに燃えた。暗闇の世界に点在する光が強く輝く。その光は暖かかった。

「ぬくぬく育ってきたお前に、分かるものか! 兄さんにそんな運命は背負わせない! 兄さんだけは守る!」

 祐矢に届く光は、ミカエルとの記憶だった。朱美を守り、慈しんできた兄との思い出。

「お前の運をよこせ!」

 朱美が叫ぶ。あらゆる方向から、叫びが聞こえてくる。

 運をよこせ! 運、好運、幸運。それさえあれば、こんな苦痛を受けはしなかった。お前の運さえあれば!

 赤黒塊が溶け、血の球となる。命の暖かさを持たず、ただ冷たいだけの血。血は震え、叫びを上げる。暗闇の世界は今や、血の海に変じようとしていた。


 体育館は震え始めた。赤御蛙様の表皮は波打ち、内部で血の踊る様が見てとれる。真っ赤に染まった目から血が噴き出す。

 熊神様は、この揺れが体育館に止まらないのを見て取った。

「これは赤神が揺れているのではない。呪いに大地が震えておるのじゃ」

 ただでさえ脆くなっていた体育館の柱がきしみ、壁にひびが入っていく。窓ガラスが砕ける。

「朱美! だめなのか!」

 ミカエルは蒼御蛙の力を解き、人身に戻った。跳躍して、一息に赤御蛙様へと取りつく。

「戻るんだ、朱美!」

 ミカエルは訴えかけるが、

「ウアアアアアアッ」

 赤御蛙様は苦悶し、暴れるのみ。身をよじり、前脚を叩きつける。重みに耐えかねた床は陥没し、天井からは砕けた構造材が降り注ぐ。

 熊神様は哀れみの声で、

「戻しても無駄じゃよ。とうの昔に限界だったのじゃ」

「朱美!」

 声がもう届かないことを悟ったミカエルは、赤御蛙様の口に潜り込んでいく。

 瓦礫の降る中、皆歌は仁王立ちをしていた。彼女よりも大きなコンクリート片が落ちてきたのを、錫杖で弾き飛ばす。逃げはしない。皆歌は信じ、待っているのだ。


 真白は暗闇の世界にあった。

 無数の赤黒塊が漂い、かすかな光が真白を照らす。

「旦那様! どこです!」

 真白の叫びは反響することなく、返事もない。

 真白は感じる。赤黒塊は不運ゆえに不幸を得た人々の、絶望ではなく、希望。かなえられなかった儚い希みが、この世を去っても彼らの魂を苛み続ける。

 赤黒塊は血球に変じ、膨らみ、この空間を満たしていく。満たされ終わったとき、ここは弾け潰えるのだ。

 血球は流れ、渦となり、一点へと集まっていく。凍りつきそうに冷たい血の流れ。真白も流れに乗って、そこを目指した。

 中心には祐矢と朱美がいた。血は祐矢の運に惹かれ、集まっている。

「真白!」

 気付いた祐矢が叫ぶ。

「旦那様!」

 真白は応える。流れてきた真白の手を祐矢が受け止める。

 朱美はその手に、赤黒塊の鋭く長い結晶を掴み取った。槍のように持ち、

「邪魔するな!」

 真白の胸へと投げつける。必中の距離だった。祐矢は身を投げ出そうとし、間に合わない。

 結晶は、胸に突き立っていた。降り立ったミカエルの胸に。ミカエルは妹へと微笑んだ。

「私たちは呪いに敗れた。お前を守れなかった。だからせめて、お前自身が血の呪いを生み出すのは止めよう、朱美」

 ミカエルは自分の血を吐いた。倒れ流れようとする体を抱きとめた朱美はその血に塗れる。呪いの血ではない。熱い生命の血だ。ミカエルの目からも熱い滴があふれる。

「いや、いやだ、兄さん!」

 朱美の腕に抱かれ、ミカエルの体からは命が失われていく。

「お願いだよ、朱美…… わ、私は、この運命を、呪ったりなんか、しない」

「黙るのよ、兄さん!」

 ミカエルの涙が虚空に流れ、血の流れに混じる。ミカエルの目は力を失っていく。

「二人で、す、過ごした、いい、人生、だった。お前には、幸運を」

「いらない! 運なんていらない! だから死なないで!」

 血の呪いが満たす空間で、祐矢は感じていた。自分に持って生まれた幸運など何もないことを。この世でもっとも不運であるがゆえに、世界を覆いつくす呪いに向かうことができる。何もないがために、贈られる資格を持つ。真白と、そして真希から贈られた幸運、生命。それを人々に分け与えるのが送る者、旦那、即ちダーナ。

「真白。二人で送ろう」

 真白は祈る。既に失われた者たちの呪いは、いかなる運を得ても解かれることなどない。呪いを癒し、いつか生命へと導くのが真白の役目。呪わしき苦しみは全て、真白が引き受ける。

 真白の持つ杖を通じて、彼女のきゃしゃな体に、苦痛が、悲鳴が、絶たれた希望が流れ込む。

「……あ!」

 真白があえぐ。真白の全身を、血の呪いとなった人々の思いが渦巻き苛む。痛い。苦しい。つらい。なぜ、どうして。

 真白の杖は伸びていく。真白に絡みつきながら、枝を伸ばし、葉を茂らせ、根を血流へと生やす。

「う…… ああっ!」

 死の記憶が真白の肉体を駆け巡る。刃物が柔らかな体に突き立てられ、ゆっくりとえぐられる。抵抗もできずに肉を引き裂かれ、神経をちぎられる。首を絞められ、血も息も奪われて、痙攣しながら目の前が暗くなっていく。

 真白の杖は、真白をその枝で包み込んだ一本の古き大樹と化していた。その根は呪いの血流に浸されていた。

 枝は、真白の腕を、脚を、体を、呪いの苦しみで縛り上げる。締め付ける。

「っ!」

 真白は体を引きつらせ、天を仰ぐ。

 真白の双眸から涙があふれる。苦悶の涙ではなかった。思いに応える涙だった。

「お、送りましょう、旦那様!」

 真白の苦痛は、祐矢を苛む。助けたい。解放したい。だが、苦しむ真白こそが真白。彼女は祐矢を信頼している。歯を食いしばって、祐矢も真白を信頼する。守るのでも、守られるのでもなかった。二人は一つなのだから。

 冷たき呪いの血を吸い上げ、大樹はこの空間を埋め尽くさんばかりに伸び広がっていく。中心には真白を包み込む大樹、祐矢は寄り添い立つ。

 根元にミカエルが横たわり、朱美は絶望に沈んでいる。

 大樹の枝には、あたかも花のように白い水晶が輝いていた。その一つ一つが暖かき記憶。

 大樹の絡まりあって伸びる根が土となる。大地だ。大地を通じて、祐矢の足から腹へ、腹から胸へ、胸から頭へ、そして頭から心へ、力が伝わってくる。脈動する生命の力。祐矢の心と体は、真白から贈られる力に満ちた。

 祐矢は、片手を大樹へ。片手をミカエルの胸を貫く結晶へ。祐矢の震えが止まる。力が連環したのだ。

 祐矢は感じる。無数の可能性へと、世界の未来は線のように分岐していくのだ。祐矢には、それを選び取ることができる。

 御柱様は贈り、旦那は送る。託されたこの力をもって、旦那は送りをなす。送るとは、幸運の力をもって、不運なる者をあるべき姿に戻し救う業。

 ミカエルの胸を貫いていた結晶が霧散した。体内の血が激しく噴出する、はずだった。しかし祐矢の選んだ未来は、ミカエルの切り裂かれた体組織をありえない偶然に導き、ブラウン運動に奇跡を起こす。祐矢は運命を選択する。分子腕が手に手を取り合って結合し、細胞が再融合していく。

 そのとき、消え去りかけていたミカエルの意識は光り輝く蛇、世界蛇ウロボロスを見た。大地と生命がつながったことを知った。

 朱美も知った。この力を奪うことなどできようはずもなかった。それは贈る力だったからだ。

 大樹の花が果実となる。果実は割れ、熱き滴を降り注がせる。

 朱美は言葉もなくミカエルを抱きしめ、ただ兄の胸から響いてくる心臓の鼓動を聞く。滴は朱美の体から赤黒塊を流し去り、傷も拭い去られている。その目からあふれるのは、透き通った熱い涙だった。


 赤御蛙様の体は一瞬で膨れ上がり、爆発した。

 破裂音が鼓膜を打ち、次いで液体が衝撃波となる。熊神様は壁に飛びついてよけ、皆歌は錫杖の一閃で波を吹き飛ばした。

 半ば崩壊した体育館に雨のごとく液体が降り注ぐ。

「間に合わなんだか」

 と言いかけて、熊神様は妙な顔をする。体を濡らすのは、赤い液体ではなかった。熱く透明な液体だった。舌でぺろりとなめてみる。

「しょっぱい! 塩水か?」

 床は一面が水浸しとなり、陥没した箇所に水流が流れ込んでいく。

 赤御蛙様の姿は水と化したらしかった。流れ去った後には四人の姿、それと、床から伸びて天井まで茂る大樹が残されていた。

 皆歌は駆け寄った。ミカエルを抱きかかえて座る朱美、真白を抱いて立つ祐矢。真白は意識を失っている。

 祐矢は皆歌に笑顔を向けて、

「もう大丈夫」

 真白が規則正しく息をしているのに、皆歌もほっと息をつく。大樹がさらに伸び続けて天井まで突き破ろうとしているのを見やり、

「もうここは駄目よ! 逃げる!」

 真白を抱えて祐矢は壁に空いた大穴へと駆け出す。熊神様はミカエルと朱美を両手で軽々と抱え上げて運ぶ。

 全員が脱出した直後、体育館は穏やかに崩壊していった。まるで精密なビル爆破による撤去作業のように、瓦礫を周囲に撒き散らすこともなく。後にはただ、静かに大樹が生い茂っていた。その成長も止まったようだった。

 地震も既に収まっている。

 真白は芝生に横たえられていた。どこにも傷などはなく、疲れきっただけだと見て取った祐矢は、ほっと安堵のため息をもらした。

 ミカエルは祐矢にひざまずいて、

「旦那様、責任は全て私にあります。どうか私めを罰してください」

 朱美もまた、

「旦那様! 兄さんは嘘つきなんです! あたしが悪いんです!」

 祐矢はがっくりしながら、

「じゃあ、お願いがあるんですが、その呼び方だけは勘弁してもらえませんか」

「お断りします。三月兄妹は生涯、旦那様にお仕えすると決めました」

 兄妹の声がハモった。

 皆歌が元体育館の瓦礫を見上げてぼやく。

「校則違反はもう数え切れないから気にするのは止めとくとして、あれは困った。ごまかしようがない。ああ、お姉様、怒るだろうなぁ」

「体育館ですか。そんなことでよろしければ、すぐにご用立てします」

 ミカエルが軽く答えた。朱美も明るい声で、

「御蛙様の御力は、もともと財集めだから」

 そのとき真白が、

「ううん……」

 目をゆっくりと開いた。

 暗かった世界に、柔らかな光が射し込んでくる。真夜中、頭上に広がる星空と、覗き込む皆の姿で真白の視界はいっぱいとなった。

 頭上には夏の星座、さそり座が輝いている。もう夏が来ていたのだと、真白は感動する。

「旦那様。すごいです。星がすごくきれいですよ!」

 真白の第一声に、祐矢が笑う。皆歌も笑い、ミカエルも朱美も笑う。

「なんで笑うんです? 下なんか向いてる場合じゃないのに!」


 校舎の屋上から、彼らを眺める姿があった。その数は二つ。

 輝ける銀髪の少女と、その傍らに控える黒いコートの女性。

「終わりましたね、綾様」

「いえ、終わりはこれから始まるのです。瑞希」

 憂いに満ちた深い翠色の瞳で、銀髪の生徒会長、文原綾は高みから真白の目覚めを見やる。控える飛鳥瑞希先生は、

「救う方法は、本当にないのでしょうか。守語の力を持ってすれば」

 綾はそっと飛鳥先生の肩に手を置いた。先生が着ている黒いコートには、細密な文字が文様として織り込まれている。守りの言霊を織り込んだ、彼ら守護者専用のロングコートだ。

「守語を司る我ら言霊のしもべにできるのは、伝承を導いていくことだけ。あなたが宿りの杖から読み取った最古の伝承が語るとおり、御柱様とは地の母、クシチガルバ、あまりにも多くの言霊によって語られてきた存在です。この伝承を書き換えることは私にもできません」

「守語の王よ! 真白は、宿りの杖まで失いました。次にはもう、真白自身が」

 食い下がる飛鳥先生に、

「瑞希。救われるのは我々の方なのです」

 綾は静かに告げ、詩を詠むかのように、

「二人の偉大なる神が天下った。一人は力もて地に祝福を望みダーナとなった。一人は力を贈りて地の癒しを願い、身を捨てて地の母となった」

 サイレンの音が近づいてくる。体育館崩壊の通報を受けた消防車が、学校に駆けつけようとしているのだ。

「私は皆歌を連れて帰ります」

 綾はそう言うや柵をふわりと越し、屋上から飛び降りた。ゆっくりと落下していき、音もなく着地する。なびいた銀髪は、月光の陰だというのに光り輝いて見えた。

 飛鳥先生は、

「地の母は誓った。我が一族最後の一人となる日まで、地の母は補陀落に至る大地の柱となりて血の呪いを受け入れん……」

 そう呟き、星空を一人仰いでから階段を下りていった。


 その月、世界各地の火山帯において地質活動の活発化兆候が観測された。日本においても東日本火山帯で地震が頻発。最悪の場合は大規模な噴火および大震災クラスの地震もありうるとして、専門委員会による災害対策シミュレーションが開始された。

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