御柱様と御蛙様 4

 廊下を進む不気味な一つの影。

 一人しかいないというのに、誰かと会話するかのごとく話し続け、その背中に幼児ぐらいのサイズはあろう熊の縫いぐるみを背負っている。

「二人一組で回れって、俺だけこれかよ。もし誰かに会ったら、どう説明すればいいんだ」

 ぶつくさ言っている祐矢に、

「これ、とは失敬な! 無礼者!」

 祐矢の背中で紐に結ばれている熊神様が、足をじたばたさせてお怒りになった。

 祐矢は肩を落として、

「これ、というのは、この格好のことですよ、熊神様」

 背中に大きな縫いぐるみを担いだ男子高校生は、間抜けを通り越して気味が悪い。

「我に校舎を歩かれては、見つかったときに申し訳が立たぬと申したのは汝じゃぞ」

「そうなんですけどねえ」

 祐矢と熊神様は最上階の五階から、真白と皆歌は一階から校舎を回っている。意外にも警備員にはまるで遭遇しない。こうまでいないと職務怠慢ではないかと疑いたくなるが、都合は良かった。

 熊神様を背負っているのも実は都合がよくて、前方と後方を確認しながら進むことができる。今のところ、どちらの目も怪しい者を捉えてはいなかったが。

 暇になってきたのか熊神様は足をばたばたさせて、

「その真犯人とやらが、我らを警戒して姿を見せぬこともあるのじゃろ。分の悪い賭けではないのか」

 祐矢は力強く、

「真白からもらった運があれば、賭けには絶対に負けない」

 断言する。

「運が足りればいいんじゃがのう」

 熊神様は不吉なことを言い放つ。と、熊神様の鼻がぴくぴく動いた。

「ダーナよ」

 と祐矢を呼んで、

「気配じゃ」

 祐矢はくるりと後ろを向いて、通り過ぎてきた四階の廊下を眺める。差し込む月光でそれなりに明かりはあるのだが、熊神様の言うものを見つけることはできなかった。

 またくるりと戻って、

「熊神様、どこですかね」

「あっちじゃよ、あっち!」

 祐矢は振り返って見てみるが、熊神様の右前足がばたばたする様しか目に入らない。

「どっち、でしょう」

「ええい! やっとられん!」

 熊神様は紐を解き、祐矢の背中から一回転して飛び降りる。

「痛て!」

 背中を蹴られた祐矢は、振り返って目を疑った。そこに立っていたのは、熊のぬいぐるみではなかった。

 せいぜい中学生ぐらいの歳に見える小さな女の子が、美しい刺繍の入った白い装束姿でこちらをにらみつけている。頭には大きな熊耳がぴょこぴょこと揺れ、手と足の先にも毛皮と肉球、それに鋭い爪。頬を朱に染めた様はかわいいが、その瞳からは凶暴な怒りが発散されていた。

 祐矢は、目の前にいる子をじっと眺めてみた。頬どころか全身が赤く染まっていき、体が震えている。

 熊のぬいぐるみが消えて、代わりにこの子がいるということは、シンプルな答を出せばよいのだろうか。しかし。

 祐矢はおそるおそる、

「熊神様、ですか」

「我らは熊の姿こそが正装じゃ! このような格好でいるなど礼儀知らず、恥ずべきことなのじゃぞ!」

 凄まじい剣幕だ。

「はあ」

「これならば歩いていても文句ないじゃろうが! やっとられん!」

 祐矢は内心でため息をついた。熊の縫いぐるみを背負っているよりも、小さな女の子を連れているほうが、はるかに社会的立場は危うくなりそうだ。しかし真っ赤になって怒り、恥ずかしがっている熊神様にそんなことを言えば、あの爪で八つ裂きにされかねない。

 熊神様は低く唸るように、

「見よ、あそこじゃ!」

 窓の外、校舎の一角を指差す。

 この校舎は全体がコの字型になっていて、祐矢たちはその左下あたりにいる。指差された先は真ん中の辺りで、暗くてはっきりはしないが動いているものがあるようだった。

「行きましょう!」

 祐矢は走り出した。それをすぐ熊神様が追い抜く。さすが、野生の運動能力だ。

 二人は廊下を曲がり、闇の中に相手を見据えようとする。この辺りは影になっていて、他よりも一段と暗い。目を凝らしてみるが、人の姿はないようだった。しかし、確かにうごめく気配がある。祐矢はポケットに入れていた小型懐中電灯を点ける。明かりで廊下の奥を照らすが、やはり人はいない。明かりを動かし、天井、壁、床と来て、

「なんだ?」

 懐中電灯を持つ手が止まった。光を当てられた床が、ちろちろと無数の光を反射する。光の群れは揺らめき、低く宙を跳ね、こちらへと進んできた。

「来るぞ」

 熊神様が手の爪を伸ばす。攻撃体勢だ。

 光が間近まで迫って、ようやく祐矢は対象を認識した。蛙だ。無数のガマガエルが廊下を跳ね、こちらに近づいてくるのだ。蛙たちはいずれも青い色で、丸々とした大きなものばかり。愛嬌のある顔で、結構かわいく見えないこともない。最近、祐矢はこれとそっくりなものを見た記憶があった。蟾蜍神社に祭られていた蛙の石像、それも青い方だ。

 熊神様は唸る。全身からは、最強の猛獣たる殺威があふれている。空気が張り詰め、祐矢の肌にぴりぴりと緊張が走る。

「ダーナよ、柱たちに知らせる約束ではなかったのか」

「安全と分かったらです」

 廊下の奥、闇の向こうから、這いずるような音がする。なにかが近づいてくるのだ。祐矢たちの足元は蛙に囲まれ、足の踏み場もない。

 祐矢は待った。闇から生まれ出でようとしているそれは、ゆっくりと像を結び、そして遂に姿を現した。廊下の床から天井まで埋め尽くさんばかりの巨体。ぬらりと蒼ざめた表皮。つぶらな瞳がぐるんとこちらを向く。

「蛙の化け物!」

 祐矢の言葉に、それは巨大な口を少し開いた。口からは人間の頭が覗いていた。その目が祐矢を捉えて、

「失礼ですね、白羽君。青御蛙様とお呼びしなさい」

 三月蒼、またの名をミカエルの声でしゃべった。

 生首、ではない。御蛙様が口を大きく開く。その奥にあるべき口内は見えず、深い闇が覗く。その中にミカエル三月は立っていた。

 熊神様は構えながら、

「蛙の憑き神じゃ! 人に依り憑きて力を贈るのが憑き神。気を付けよ、かなりの力を贈られておるぞ」

「ダーナの力、我が妹のためにいただかせてもらいましょう」

 ミカエルの声が響く。

「真白の運なんかを、なんでそんなに欲しいんだ!」

 憤る祐矢をミカエルは冷たく見下ろし、

「恨みを残して死ぬと、この世を呪って幽霊になる、と言いますね。では、先の世界大戦では数千万人が死んだ。わずか一日で十万人以上が命を奪われた都市もある。だのになぜ、この世は呪いの幽霊だらけではないのでしょうね?」

「なんだって?」

 ミカエルは侮蔑の表情で、

「先代の御柱様と旦那様が、血に塗れた大地の呪いを補陀落に送りなしたからです。数千万人分もの呪いをですぞ! これがどれほどの力か分かりませんか! 御柱様と旦那様とはそうした特別な存在なのです! その力が私は欲しい!」

 青御蛙様はいったん口を閉じ、大きく頬を膨らませると、その大口から突風を噴出した。耳の割れるような大音響で蛙の鳴き声が轟き、窓ガラスにひびが入る。

 風に乗って、小さなつぶてが全身を打ってくる。煙草の刻み葉だ。祐矢と熊神様は、顔を腕で覆って風に耐える。

「こうやって、学校中にばら撒いていたのか!」

 祐矢の叫びに熊神様は、

「煙草の匂いじゃな! これでは、やつの天敵を呼び出せん」

 青御蛙様、もしくはミカエル様が高笑いをして、

「幸運でしょうと、熊神様でしょうと、こう煙草の匂いに覆われていては、蛇神を呼ぶことなど無理ですなあ!」

 蛇は煙草の匂いを嫌う。ミカエルはあらかじめ戦いに備えて、天敵の入れない陣地を作っていたのだ。今日の出会いとて、彼にとっては罠に餌食が飛び込んできただけのこと。

 青御蛙様が近づいてくる。その巨大な軟体で廊下を床から天井まで埋めている青御蛙様だ。向こうに通り抜けられないのはもちろん、このままいれば押し潰されるか飲み込まれるか。

「ここは引きます!」

 突進しようとしている熊神様をひょいと抱えて、祐矢は反対側に駆け出す。足元の蛙たちは結構賢いらしく、祐矢の足が迫るとすばやく跳んで逃げる。

「蛙に遅れを取る我ではないぞ!」

 熊神様がわめく。祐矢は走りながら荒い息で、

「蛙の、正面にいるのは、不利。もっと、広いところへ!」

「ふむ」

 熊神様は祐矢の手を払いのけて降り、同じ方向へと走り出す。階段を飛び降り、廊下を駆け抜け、体育館に飛び込む。強い光を当てれば、ひるんでくれるかもしれない。祐矢は暗い体育館を配電盤まで走り抜け、電灯スイッチ前に陣取った。

「ダーナよ。まずいぞ」

 熊神様が告げる。体育館の入り口に、青御蛙様の巨体が現れた。ぬめぬめした液体を擦り付けながら扉を潜り抜ける。その後ろに、真白と皆歌が続いていた。二人は杖を構えている。

「挟み撃ちですよ!」

 祐矢は一斉に電灯のスイッチを入れた。突然襲ったまぶしさに、青御蛙様の動きが止まる。

 今だ! 立てかけられていたモップを手に飛び出した祐矢は、しかし、真白と皆歌の奇妙な様子に気付いて動きが止まる。二人の視線は御蛙様を越え、祐矢を通り越し、体育館の一番奥へ。祐矢は視線を追って振り返り、大きく見上げた。体育館の天井までもある巨大な赤い蛙がそこにいた。開いた口からは、三月朱美らしき姿が見える。

 前には青い御蛙様。後ろには赤い御蛙様。

「挟み撃ちじゃな」

 熊神様がぼそりと言う。祐矢は自分の作戦失敗を知った。

 一方、怪しい巨体を追ってきた真白と皆歌はシュールな光景を目の当たりにして困惑状態だった。

 体育館の奥には天井ほどもある赤蛙。その手前には、赤に比べれば小さいものの、車並に大きな青蛙。それに挟まれて旦那様と熊耳の女の子。

「夜の体育館は、不思議ですね」

 真白が感嘆する。

「こういうのは専門外なのに。お姉様に聞いておけばよかった」

 皆歌は困り顔だ。そこに祐矢の叫びが届く。

「逃げろ! こいつらが犯人なんだ!」

「犯人? 蛙が?」

 戸惑う皆歌に青蛙が向き直り、大きく口を開いた。口中には人の姿があるではないか。その人は泣き顔の哀れな声で、

「飲み込まれる。皆、飲み込まれてしまう……」

「人食い蛙! 今、助けてあげるから!」

 皆歌は錫杖を振りかぶり、青蛙に飛びかからんとする。だが真白は、

「先輩! あれは旦那様を罠にはめた人です!」

 その人、ミカエル三月の表情がするりと変わった。人を小ばかにした目で、真白と皆歌を見下す。

「皆さんは、赤御蛙様に飲み込まれてしまうがよろしい。やりなさい、朱美!」

 赤御蛙様が、その象でも飲み込めそうな口を開いた。青御蛙様と同様、その奥には果てしない闇が広がっている。

 闇に浮かぶ三月朱美は、

「いや、いや! もう耐えられない!」

 顔を手で覆い、かきむしる。顔からは血涙が滴り、着ている制服は血に塗れている。

 ミカエルは必死の形相で、

「ここまで来たんだぞ! もう一息だ! やれ! やりなさい!」

 朱美は大きくのけぞり、大量の血を吐き出した。一人の体にこれほどの血が収まっているとは信じられないほどの量だ。赤い肉塊まで混じっている。

 吐き終わると朱美は、真っ赤に充血した眼で兄のミカエルをにらみ、

「もう抑えられないのよぉ! 出てくるのよぉ!」

 ミカエルの顔が、苦痛の感情に歪む。

「お願いです、朱美。お前を助けたい」

「に、兄さん……」

 朱美は大きく肩で息をした。そして息を大きく吸い込むや、赤御蛙様の腹が急激に膨らみ始めた。

 祐矢たちは突然の苦痛で耳を押さえた。耳が鳴り、鼓膜が痛む。体育館の空気が赤御蛙様に吸い込まれ、空気が急激に薄くなっていく。

 真白と皆歌を助けるため駆け寄ろうとした祐矢は、その足が宙に浮いた。全身が吸い上げられ、赤御蛙様のぽっかり開いた口に近づいていく。

「吸い込まれる!」

 抵抗するが、空中で手足を動かしたってどうにもならない。手にしていたモップが引き剥がされて、先に吸い込まれる。

 熊神様が、真白と皆歌の元に駆け寄っていく。その様を見下ろし、

「みんな、逃げろ!」

 その言葉を最後に祐矢は口の中へと吸い込まれた。かすかに、旦那様、白羽君、と叫ぶ声が聞こえたような気がする。口は閉じられ、周囲は闇となった。


 あらゆる方向に広がる暗黒。遠方に白く光る輝きが点在し、それがわずかな明かりとなって祐矢を照らす。重力は感じられない。

 宇宙遊泳とはこういったものだろうか、貴重な経験だな、と考える余裕が祐矢にはあった。真白たちは吸い込まれていないし、皆歌と熊神様がいれば真白を守ってくれるだろう。

 目が慣れてくると、ただの虚空ではないことが見えてくる。様々なものが宙に浮かんでいた。煙草の山に、壊れた蟾蜍神社の社。書類の収まった大型ラックに、車、銃器といったものまで。さらに目を凝らすと、赤黒い塊のようなものが目に入った。血が凝り固まって棘だらけの結晶とでもなったような赤黒塊だ。漂ってきたそれに、祐矢はそっと触れてみた。

「!」

 触れたところから血が噴き出す。自分の血ではない。赤黒塊からだ。血は祐矢を覆い、視覚、聴覚、あらゆる感覚が赤黒塊に引きずり込まれていく。抗えないままに、祐矢はまた異なる空間へと入っていった。

 今度の景色は、古い街並みのようだった。地に足はついているようでもあるが、幻なのか感触はない。

 石造りの街は建物の多くが崩壊し、瓦礫が通りに散らばっている。建物のガラスはほとんどが割れており、ここが住民から放棄された街であることを示していた。祐矢には読めない文字で描かれた看板やポスターが、ここは異国であることを示している。

 そこに動く者の姿が現れた。まだ若い少年と少女。三月蒼と三月朱美だ。その服はあちこちが破れかけ、汚れている。後ろを警戒しながら荒い息で走る彼らの姿は、逃走中であることを物語っていた。

 妹の朱美が苦しそうにあえぎ、立ち止まる。

 三月蒼、ミカエルは、朱美をひょいと背負って走り出す。その前方に数人の兵士が現れた。構えた銃は全てが二人に狙いをつけている。兵士の鋭い誰何に、ミカエルは朱美を背負ったまま跳躍する。驚き乱射する兵士を後に、三階建ての建物屋上にまで一息に跳ぶ。銃弾の一発がミカエルの足をえぐり、血を流させた。

 空気を叩きつけるような爆音が空から迫ってくる。ヘリコプターだ。ミカエルと朱美のいる屋上に迫ったそれは、狙いを定める。

 朱美は叫んだ。彼女の体があたかも本のページであるかのようにぱらぱらと分かれ、凄まじい勢いでめくられていく。そこからにじみ出るように、赤い体が姿を現してくる。朱美の体は引き込まれ、新たな体が取って代わる。車ほどもあろう巨大な赤蛙がそこに現れた。

 ヘリコプターは機関砲弾を発射する。そのことごとくが、赤蛙の口に吸いこまれる。ヘリコプターそのものが吸い寄せられていく。懸命に離脱しようとするヘリコプターは、ついに観念して回転ローターを爆散させ、コックピットからパイロットを射出する。ヘリコプターの機体は赤蛙に丸呑みされた。

 逆の経過をたどって、朱美の体が戻ってくる。朱美はのた打ち回り、血を吐いて泣き叫んだ。

 ミカエルは朱美を抱きしめ、

「もういい! もう血の呪いを溜めるな! 私に呪いを回せ!」

 小康状態になった朱美はうつろな目でミカエルをながめ、

「馬鹿じゃないの。耐えられるわけ、ないでしょ。兄さんが」

「やせ我慢するな!」

 朱美は血塊を吐き出した。

「破裂でもしたら…… 私たちの努力は、なにもかも無駄よ」

 屋上に兵士たちがたどり着いた。ミカエルは青蛙に変じ、その口からコンクリート塊を打ち出す。兵士たちは銃を弾き飛ばされ、一斉に逃げ出した。人の姿に戻るや、ミカエルは朱美を抱きかかえて高く、空高く跳躍する。

 祐矢がそこまで見たときだった。ここでのあらゆる感覚が引き剥がされていく。街が消え、ミカエルと朱美が消え、兵士が消える。元の感覚が戻ってくる。

 そしてまた、闇に光点の浮かぶ世界へと戻ってきた。

 さきほどの赤黒塊はもう流れていった。別の塊を見つけた祐矢は、体がそちらに引き寄せられるのを感じた。今度の塊は透き通っており、白く輝いている。祐矢は近づいてきた塊に手を伸ばす。

 今度は、蟾蜍神社だった。まだ小学生ぐらいとおぼしきミカエルと朱美が、社に正座して神主から教えを受けている。

「朱美の憑き神様は赤御蛙様。宝を吸い集める力が授けられる。蒼の憑き神様は青御蛙様。朱美の集めた宝を受け取り、与える力が授けられる。お前たちの受け継ぐ力は、二人で一つなのだよ」

「父さん、いえ、宮司様。宝とは何を指すのでしょうか。具体的な意味を教えてください」

 神主は軽く苦笑いをして、

「蒼は賢いな。宝とは物であり、心であり、善きもののことだ。およそ赤御蛙様に吸い集められぬものはない」

「悪しきものを吸い集めたら、どうなります」

 ミカエルの問いに神主は厳粛な表情を浮かべ、

「そのつもりがなくとも、赤御蛙様の御力はあらゆるものをお吸い集めになるだろう。お前は青御蛙様にお願いして、善きものは善き人に分け与え、悪しきものは人のいない処に捨て去るのだ」

 神主は次に朱美へと、

「お前にはまだ難しいかもしれないが…… 悪しきものを溜め続けると、それは腹の中で赤黒塊に育って棘になり、いつか腹を突き破ってしまう。悪しきものは溜め込まずに兄さんへと渡すのだよ」

「おにいちゃんは、あしきものをもらっても、おなかいたくならないの?」

 心配そうな朱美に神主は、

「血の呪いでなければ大丈夫。呪いだけは、吐き出すことはできないからね」

「じゃあ、のろいは、すみのものね」

 神主は突然厳しい表情となって、叱りつけた。

「だめだ! 血の呪いには決して近づくな! 呪いを吸い集めるな! 呪いはお前たちを滅ぼすぞ! 血の呪いに関わってはならん!」

 祐矢が見ることができたのは、そこまでだった。闇の世界に帰ってきた祐矢は、次の赤黒塊へと向かう。

 今度の世界では、さきほどの神主が血の池に浮かんでいた。

 神主は瀕死の吐息をもらしながら、仰向けで闇夜を仰ぐ。

「この社で、すら、血の呪いを、清めることが、で、できないのか」

 池のほとりに、ミカエルと朱美が駆けつける。歳は中学生ぐらいとおぼしい。

「父さん! 今行きます!」

 ミカエルの叫びに、神主は最後の力で応えた。

「来てはならん! ここから去れ! は、早く、呪いが薄いところまで逃げろ! 大地は、血に、呪われた。誰にも、もう、解けない」

 そこで神主は力尽きた。血の池が彼を飲み込んでいった。

「お父さん! お父さん!」

 朱美の叫びがこだまする中、祐矢は闇の世界へと引き戻される。そしてまた、次の世界へ。

 荒れ果てた草原。

 薄汚れたテントが密集し、汚物が散乱している。難民キャンプだ。

 その前に、晴れやかな顔のミカエルがいた。数年前なのだろうか、今よりは若く見える姿だ。

 そこには大量の食料に医薬品が積まれている。さきほど青御蛙様が口から出したものだった。

「この地は特に呪いがひどい。大地が真っ赤に染まっている。でも、こうやって癒していけば」

 ミカエルが呟く。傍らの朱美が、

「そうね、兄さん」

 笑顔でうなずく。と、その朱美が突然くずおれた。顔を苦痛に歪ませ、体を折り、吐き始める。

「血じゃないか! 朱美! 早く医者を」

 朱美の背中をなでるミカエルの顔が、みるみる蒼ざめていく。朱美の吐く血の量は常軌を逸していた。全身の血を集めても足りないほどの血を吐き続ける。

「そんな、まさか、呪いが」

 空気を切り裂く音が走った。次の瞬間、キャンプの中心から来た爆風が二人を転がす。爆煙が立ち上り、テントは中にいる人ごと燃え上がる。叫びと泣き声は、続く爆発にかき消される。ミカエルの運んできた食料に医薬品も吹き飛び、炎上していた。この非戦闘員しかいない無力な難民キャンプが、砲撃を受けているのだ。

 苦痛にのたうっていた朱美が、空を見据える。彼女の体が赤御蛙様へと変じていく。

「止めろ、朱美! 呪われてしまう!」

「兄さん! 救うためにあたしたちは来たのよ!」

 ミカエルの制止も聞かず、赤御蛙様は飛来する砲弾を吸い込み始めた。赤御蛙様の体は、真っ赤な血に塗れていった。

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