御柱様と瘧様 1

 もうクリスマスシーズン、ましてや山上ともなれば冷え込みも一際だ。

 祐矢と三月兄妹の三人がいるのは、緑宝山の頂き近辺にある御柱家の墓地だった。春の頃、飛鳥先生に無理やり連れて来られた場所だ。今回やって来たのはミカエルの発案によるもので、彼の推論を確かめるのが目的である。

 祐矢は、携帯カイロを大量に押し付けて送り出してくれた真白に、感謝の念を捧げた。新しいパックを取り出してから、隣のミカエルと朱美に渡す。

「旦那様、ありがたくいただきます」

 ミカエルが伏し拝むように受け取る。祐矢は、そうとしか呼んでもらえないのにはもう諦めたというか、認めたくないのだが慣れてきていた。

「旦那様に用意していただくなんて、兄さんは気が利かないったら」

 朱美は一歩踏み出し、

「ありがとうございます、旦那様」

 祐矢の目を見つめ、手を握るようにして受け取った。朱美が顔まで近づけてくるのに照れてしまい、祐矢の頬は少し熱くなってしまう。

 朱美は赤茶色の髪を伸ばし続けて、最近は肩まで到達していた。どこか真白に近づきつつある印象だ。真白の腰まで伸ばした艶やかな黒髪に、朱美が対抗しようとしていると感じるのは気のせいだろうか。もともときつめの美少女だったのが、最近はずいぶん明るく生き生きとしてきて、それがより美しさに磨きをかけていた。華やかさをも感じさせる。もっとも、性格のきつさはそう変わらない。

 朱美は墓碑の前に中腰で座り、石畳に拳を当てた。その手には小さな紙の束が握られている。

「兄さん、こっちの準備はいいわよ」

「いいぞ、やれ」

 ミカエルが返事をすると、朱美は手にした紙の束に言葉を込めた。

「御蛙様、赤御蛙様。蛙中在天、天中在蛙、式王子出天!」

 朱美が拳を開くと紙の束のページが開き、ひとりでにぱらぱらとめくれ上がり、そこから脚が、体がにじみ出てくる。紙の束は小さな赤御蛙様と変じた。

 祐矢は何度見ても慣れない不思議に驚きつつ、

「本当に、呪いはもう大丈夫なのかい」

 朱美の代わりにミカエルが、

「この場所には、全く呪いを感じませんので」

 言葉を取られた朱美が不機嫌そうに、

「兄さんもさっさとやりなさいよ」

 ミカエルも、同じような手順を踏んで小さな青御蛙様を呼び出した。

 祐矢は朱美に、

「小さな御蛙様は呪文で呼び出すんだね」

 間髪入れずにミカエルが、

「呪文は集中するための手続きにすぎません。人間の体を生きた本とするか、もしくは言霊の記された本を使うか、依代の選択が要なのでして」

 また言葉を取られた朱美が、

「そう、集中が大事なのよね! に、い、さ、ん。うるさいから黙って」

 解説を中断させられたミカエルが、残念そうに黙り込む。朱美が目を閉じて意識を赤御蛙様に集中した。ただでさえ小さな赤御蛙様が、見る見るうちに縮んでいく。砂粒ほどになると、石畳の隙間からもぐりこんでいった。

 青御蛙様はサイズそのまま、口を大きく開いている。ときどき口から土や砂粒を吐き出した。赤御蛙様は地中を進むのに邪魔なものがあるとそれを喰らい、それを青御蛙が御力で受け取って吐き出す、という寸法だ。

 以前、真白のロッカーに煙草を仕込んだり鍵を壊したのは、この手を使ったのだった。あのときの事件は、火事場泥棒で捕まった窃盗犯がロッカーの鍵を持っていたことから、動機は不明ながら犯人に違いないということで決着している。ミカエルがそう仕組んだのだった。ひどい話ではある。

「そんな!」

 朱美が呟く。額には汗が流れている。

「でも、間違いないわ」

 朱美が天を仰いだ。長髪が後ろにばさりと流れる。石畳から赤御蛙様が飛び出し、紙の束に戻った。それを宙で受けて朱美は、

「ここの下には、土と石しかない」

 ミカエルが芝居がかったうなずき方で肯定した。

「予想通り。ここは埋葬の場所ではないのです。御柱様を送るという表現は、実は文字通り移動を示しているのではないか、という私の推論が裏付けられました」

 自慢そうなミカエルに朱美が、

「じゃあ、どこに行くのよ」

「それは次の研究課題だ」

「つまり全然不明なのよね」

 ミカエルが詰まった。これで互いのために命を投げ打とうとするほど仲が良いのだから、この兄妹はよく分からない。

 祐矢としては、どうであれ真白をどこかに送るつもりなどない。なんとか御柱様について少しでも把握し、運命を選択したかった。

 ミカエルは御柱真希の墓碑を眺めて、

「本物にも八歳とあるとは。記録の間違いではないかと疑っていたのですが」

「どういうことですか、先輩」

「事故死は六歳のはずなのに、こちらには八歳とありまして」

 真白の墓碑には十八歳とある。真白はまだ十六歳だ、御柱様が隠れるという十八歳までまだ時間は残されていると信じてきたが、誤差があるのかもしれない。祐矢の背筋に寒気が走り、体を震わせる。

「調査は終わったし、そろそろ戻りましょう」

 祐矢は掃除道具を片付け、車道へと山道を戻る。ミカエルと朱美も後に続く。ヒールの高い靴を履いた朱美が転ばないように、ミカエルは手を取ってあげている。祐矢がなにげなく振り返ると、朱美は顔が心なしか赤くなった。それでも手を振り払ったりしないところを見るに、やっぱり仲はいいらしい。

 車道の脇には大型のワゴン車が停まっている。運転席に座っているのは飛鳥先生だ。最近買ったばかりの新車だった。

 ドアを開け、全員が乗り込む。社内はエアコンがよく効いていて暖かい。飛鳥先生は車を発進させて、

「で、どうだった」

「私の導き出した推論が証明されました。先生も見ればよろしかったのに」

 ミカエルが答える。飛鳥先生は気難しそうな顔で、

「もうあそこには行きたくない。風邪も引きかけだしな。ところでまさかとは思うが、幸運なことはなかっただろうな」

 質問の意図をつかみかねたミカエルをおいて祐矢が、

「一切なかったですよ」

 飛鳥先生は安堵のため息を漏らした。来るたびに熊神様のようなことがあっては、たまったものではない。

 先生は風邪をうつさない様にマスクをしている。元気そうな祐矢に、

「白羽はずっと皆勤だったな。病気知らずでうらやましい」

「やたら健康だった曾祖父譲りですかね」

 祐矢はなにか心に引っかかるものを覚えながら返事をする。しかし、先生の話はそれでおしまいだった。

 山道は快調に飛ばせたものの、街に入ると例によって休日の帰宅渋滞に巻き込まれた。蟾蜍神社近くにある三月兄妹の家を経由して御柱家近くにたどり着くまで、二時間ほどを要してしまった。

 季節は冬、明日はクリスマスイブ。そう遅くもない夕食前の時間だが、日はとうに落ちてもうすっかり暗い。

 夕食に誘われて、しかし約束があると先生の車は走り去った。祐矢は一人で家に戻る。と、家の前に人影がある。こちらから顔は見えないが、たった今、家から出てきた様子だった。一瞬、見知った者かと親しみを感じそうになったが、よく見ればそんな訳はない。ずいぶんと薄汚れた格好で、ずたずたの布を身にまとった男だ。あからさまに普通の客ではないし、見たこともなかった。

 用心しつつ近づいて声をかけようとした祐矢は、ぎょっとした。男の方から近づいてくる。それも、向こうを向いたまま後ろ歩きで迫ってくるのだ。思わず身をかわした祐矢は、さらに驚いた。祐矢とすれ違った瞬間に男は体の向きを変えて、今度は祐矢に背を向け去っていく。あくまでも顔を見せないらしい。徒歩にしては異様に早い速度で男は遠ざかっていき、やがて見えなくなった。

 なんだあれは。呆気に取られていた祐矢は、我に帰ると慌てて扉の鍵を開け、家に駆け込む。

「真白、無事か!」

 祐矢は明かりの点いていた床の間に飛び込んだ。真白はきちんと正座し、テーブルに並べたパンフレットとにらめっこしている。いつものブラウスにロングスカート姿だ。

 真白はきょとんとして、

「お帰りなさい、旦那様。どうしたの?」

「今、変な奴が来てなかったか?」

 険しい表情の祐矢に、

「今日は保険のおばさんしか。あっ」

 真白が珍しく罰の悪そうな表情で、テーブルの上に並んだパンフレットを集め始める。祐矢は見咎めて、

「生命保険のチラシじゃないか」

「ひどいんですよ。女子高生だと保険金が下りてもすごく安いんです。就職と結婚が大事なんですって」

 祐矢はテーブルに着いた。

「生命保険には反対だと言っただろう」

 にらむ祐矢を、覚悟を決めたのか真白は真っ向からにらみ返してきた。

「真白のお小遣いをどう使おうと、真白の自由です」

「保険金の受取人は誰なんだよ」

「旦那様」

 真白はしれっと答えた。祐矢はかっとして、

「真白になにかあったのと引き換えで、良い目を見たくなんかないんだよ!」

 それを聞いて、真白の瞳が潤んだ。まずいことを言ったかと祐矢はあせる。

「真白はいちゃいけないの?」

 真白の頬に涙がこぼれ始める。

「どうしてそうなるんだよ!」

「……真白の不運は、旦那様の幸運、なのに」

 それを否定するのは、真白の存在そのものを否定するのに等しい。真白はふらりと立ち上がって、

「ご飯、作ってきます」

 そう言いながら、力なくよろけた。そのまま倒れかける。祐矢は心中で無礼を謝りながらテーブルを飛び越え、危うく真白を抱きとめる。真白の体が熱い。熱すぎる。

「熱があるじゃないか!」

 力の入らない真白の体を抱きかかえて、まず真白の部屋に運ぶ。いつもの和風な寝巻きに着替えさせた。また一階に運び、床の間の隣部屋に布団を敷いて寝かせる。目のつく場所でないと、心配だったのだ。

 熱を測ってみると、これが四十度近いではないか。すぐにかかりつけの医院まで連絡を取り、往診の手はずを取り付けた。額に濡れ布きんを載せ、氷嚢を枕にする。こういうとき、祐矢の体は反射的にてきぱきやってくれるから便利だ。

 真白が無理に元気そうな声で、

「今日はご飯当番だったのに、ごめんなさい」

「いいから寝てろよ」

 台所でお粥を準備していると、玄関で呼び鈴が鳴った。往診の先生がやってきたのだ。二十代後半ぐらいと結構若い男の先生だった。まだ学生っぽい雰囲気を残していて、しかしいかにも頭の回転が速そうな印象がある。真白が小さい頃からかかりつけの、仁能医院は仁能先生だ。祐矢は挨拶し、真白のところに案内する。

 真白は目を開けると寝ぼけたような声で不思議そうに、

「あれ? 仁能先生に髪がある」

 仁能先生は苦笑した。

「うちのはげ親父は忙しくてね。真白ちゃんには何度も会ってるはずなんだけどねえ。覚えてもらってないかなあ」

「すいません、熱でぼけてるんです」

 祐矢が代わりに謝る。

 先生はいくつか真白に質問をし、喉を確認する。一言断ると寝巻きの胸元を開いた。素肌が覗き、先生は胸に聴診器を当てる。祐矢は誘惑を懸命にはねのけて、向こう側に顔をやった。先生はそれに気付いたのか、ちょっとおかしそうな顔をする。

「終わったよ」

 仁能先生に声をかけられて顔を戻すと、真白は寝かしつけられていた。

 仁能先生は優しげな表情で、

「やっぱりインフルエンザだね。薬を用意してきてよかったよ。ところで、君はなんともないのかい」

「はい?」

 仁能先生はついでだからと、祐矢も診断する。そうこうしながら世間話をしたところでは、先生は塔之原学際エリアの衛生疫学研究所に勤務しているのだが、親の旅行中、仁能医院を代理でみているそうだった。親のためにわざわざ休暇まで取らされているとは、なんとも気の毒な話だ。衛生疫学研究所では伝染病関連の研究をしているからインフルエンザなんかはお任せだよ、と先生は笑った

 祐矢は先生が驚くほど、まるっきりの健康体だった。

「感染を防ぐため、マスクはしておくように。それと、もちろん真白ちゃんはしばらく休みになるだろうけど、友達も呼ばないようにね。インフルエンザは怖い感染症なんだから。クリスマスだからって遊ぶのは厳禁だよ」

 仁能先生はそう言った後、思い出したように、

「君たち、二人暮しなんでしょ」

「はあ。親戚でして」

「がんばれよ」

「え?」

 先生はいたずらっぽく笑ってから、帰っていった。その意味が分かったのは翌日だった。


 翌朝、祐矢は学校に電話して、二人ともインフルエンザなので休むと伝えた。看病で休むとは言いづらいし、離れると真白に危険が及ぶことは説明できない。

 熱でぼんやりしている真白に体温計をくわえさせる。昨日よりも上がっていた。後ろから抱え起こし、座椅子を当てて座らせる。お粥をスプーンですくって、真白の唇に差し出した。

 焦点の定まらない目で真白は、

「食べたくない……」

 だだをこねる。普段の真白だったら絶対に言わない我がままだ。こうも熱があっては食欲があろうはずもないが、食べさせないことには薬も飲ませられない。点滴と注射を頼むべきだったかと後悔しつつ、

「少しでもお腹に入れたほうがいいから」

 祐矢の言葉に、のろのろと真白は唇を開いた。祐矢がスプーンを差し込むと、ゆっくり口に入れて咀嚼する。用意したお粥を半分も食べないうちに、真白はいやいやをした。

 仕方なく、今度は薬を飲ませる。種類が多くて、これがまた一苦労だった。嫌がる真白に飲ませようとするのは、いじめているような気分になってしまう。

 ようやく一通りの儀式が終わり、寝かせつけようとしたときだった。

「旦那様……」

 小声で呼ぶ真白に体を近づけると、細い両腕が祐矢の背中に回された。懸命に力をこめて、抱きしめてくる。

 薄い寝巻きの生地越しに柔らかな素肌の感触が伝わってきた。相変わらずきゃしゃに見えるけど、確実に成長しているようだ。

 いかん! 祐矢は自分を叱咤した。いったいなにを考えているのだ。自分よ、恥を知れ!

「どうかしたのか」

 真白の熱い頬が祐矢の頬に触れた。真白は熱い吐息で、

「気持ち悪いの」

「吐くならその洗面器に」

 真白は祐矢の耳元に小声で告げた。

「汗でべとべとする。拭いてほしい。下着も替えたい」

 祐矢は心中で叫んだ。がんばれって、このことか! 誰か、助けて!

 それでも反射的に体は動く。真白の腕をそっと外して立ち上がり、準備に向かう。通りすがりの床の間では、熊神様が新聞を広げていた。そうだ、頼めばいいのだ。

「熊神様、お願いがあるのですが」

 熊神様は新聞から目を離しもせず、

「それがカムイにものを頼む態度かえ」

 祐矢は床の間の畳に土下座した。

「お願いです! 真白の体を拭いてもらえないでしょうか」

「その話なら聞こえとったよ。お断り、じゃね。カムイに穢れを祓えとは、なんたる言い草じゃ」

 熊神様は、新聞を読み続ける。今日の見出しは、世界規模の地震活動激化とインフルエンザ大流行の兆し。

「そこをなんとか!」

 祐矢は頭を畳にすりつける。熊神様は初めて祐矢を向き、

「汝がやればよいだけじゃ」

「でも」

「柱はそれを望んでおる」

 そこで熊神様は会話を打ち切ってしまった。一心不乱に新聞を読みふける。

 真白の望み、祐矢にとってそれが問題なのだ。送りを重ねて、真白と祐矢の心は一つになるほど近づいた。そのつもりではあるが、あくまでも柱と旦那としてであって、真白個人との距離は近づいていない。どこか一線が敷かれている。それを踏み越えようとすると拒絶される。

 熱を出して倒れている真白は、その一線を失っているようだった。あんなに甘えてくる真白は初めてだ。むしろあれが本来の姿であって、普段が鎧をまとった状態なのではないだろうか。そういう無防備な隙をついてよいものか。

 ふと我に帰ると、祐矢の体は準備を着々と進めていた。お湯を沸かし、洗面器で適温にぬるくする。タオルを用意。そこで、さすがの体も自動行動を停止した。昨日はまだ元気だったから、真白は自力で着替えることもできた。しかし、今日はどうする。着替えはどこにあるのだ。二階にある真白の部屋で、祐矢は立ち尽くした。

 真白の部屋は、質素で古めかしい。桐の箪笥に桐の座机、持ち主が数代に渡っていそうな化粧鏡。ベッドはおろか、ポスターや人形の類もない。調度品の骨董的美しさがあるので殺伐とはしていないものの、十六歳の少女が住まうとはとても信じられない部屋だった。主がいないときに入ったのは、今日が初めてだ。

 論理的に考えて、下着のある場所は箪笥に確定だろう。真白の要請に応えるのも純粋に論理的行動なのだ。恥ずべきことなど一点もない!

 祐矢は箪笥の一段目をおそるおそる引き出した。シャツが丁寧に畳まれ収められている。ここではない。

 二段目を引き出す。寝巻きは発見できた。次々と見ていき、ついには最後の段。ずっしりとした重さだ。力を込めて引き出すと、衣類ではなく葉書やアルバムなどが収まっていた。外れだ。戻そうとして、アルバムの名前が目に留まる。白羽頭矢。曾祖父の名だった。曾祖父の写真であれば、見せてもらっても構わないだろう。なにげなくアルバムを取り出し、開いてみた。そして後悔することになった。

 最初のページは、ずいぶんと古い白黒写真だった。真白によく似た制服姿の少女が微笑んでいる。結婚する前の曾祖母、御柱真耶だろう。次は結婚写真、曾祖父の出征写真へと続く。結婚写真の曾祖母は、最初の写真とさして見かけが変わらない。昔とはいえ、また若い頃に結婚したものだ。

 次のページをめくって、祐矢の手が止まった。写真ではなく、手紙が綴じられていたのだ。それなりに黄ばんだ紙だが、先の写真と比べればごく新しい。手紙の宛先は真白だ。送り主は御柱頭矢。曾祖父から真白への手紙だった。これは純然たるプライバシーの侵害だ。開くべきではなかった。しかし、書かれた文字はもう祐矢の目に飛び込んできていた。

 それは曾祖父が、御柱様と旦那様の伝承を打ち破ろうともがいた記録だった。

 曾祖父のさらに前の代から既に、白羽一族は御柱一族を負い目としていたらしい。遠ざけようとして、しかし出会う。旦那様と呼びかけてくる少女に。少女の力は、欲を持つ者には与えられず、望まぬ者に贈られた。

 白羽一族には禁忌があった。御柱様を娶るなかれ。いずれ送るが故に。しかし自分に命まで贈ろうとする可憐な少女を愛さぬことができようか。曾祖父は送らぬことを誓った。禁忌を破って真耶を妻とした。そして報いを受けたのだった。

 戦争が始まり、曾祖父は出征した。戦争こそは運の悪い者が倒れ、ついている者だけが命をつかむ世界。曾祖父の乗る輸送船は沈まず、同行の輸送船は魚雷の直撃を受けて全滅した。戦地では弾が曾祖父をよけ、爆弾はことごとくが曾祖父のいない場所にのみ落ちた。戦友は曾祖父の幸運をうらやましがる。曾祖父は魂を引き裂かれる思いだった。自分の幸運は妻の不運であることを知っていたからだ。どれほどの苦難が妻を襲っているのか。

 その戦争がついに終わった。曾祖父は運良く輸送船を乗り継いで、故郷へと戻ってきた。再会した妻は、柱を送れと告げたのだった。大地は死にまみれ、血に呪われた。それを送り癒すのが柱の役目。荒れ果てた大地を導くのが旦那の役目。生まれていた子を残し、妻は去った。曾祖父が自ら送った。詳しい記述はない。祐矢にとって一番知りたい部分なのだが、書くに耐えなかったのだろう。

 曾祖父は書いていた。これが柱と旦那の運命なのだと。故にこの運命は終わらせるべきだと。曾祖父が祐矢になにも告げてくれなかったのは、否応なく巻き込まれることを知っていたからだろうか。それでも真白を導こうとしたのは、愛した人の面影を見たからだろうか。

 手紙はそこで終わり、しばらくは生まれた息子の写真がページを埋めていた。さらにその息子、そして遂に祐矢の写真。

 祐矢はそこで直感した。なぜ御柱一族に真白の代まで女が生まれていなかったのか。曾祖父の後、白羽一族が代々男子一人だけである理由。これが柱から贈られし旦那たる力なのだ。運命に介入し、柱となりうる女児の誕生を妨げようとした。終わりに導こうとした。しかし祐矢と合わせるように真希と真白が生まれ、祐矢を救うために真希がドナーとなったとき、曾祖父は力の限界を悟ったはずだ。

 最後のページには、また手紙があった。真白に十分な財産を遺すこと、最後の御柱様となるべきこと、そうした連絡や注意の最後に、奇妙な記述があった。

 大地は血に呪われた。顔なき者が訪れるとき終わりが始まる。

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