第3話



 来たか――。


 思っていたより、ずいぶんと早いな。頭上に瘴気が凝り固まる気配を感じた刹那、俺は美登里の肩をつかんで、リビングのソファーの上を狙って放り、その反動を利用して、男前の鳩尾を蹴っ飛ばした。リビングの隅に吹っ飛んだ男前は息が詰まったらしく、ゴホゴホとやっていた。痛みで暗示が解けたのだ。

 男前が立っていたところを巨大な毛むくじゃらの腕が薙いでいった。俺が蹴飛ばさなかったら、上半身が無くなっていたところだ。

 感謝しろよ。


 振り仰げば、天井から、〝鬼〟が上半身をぶら下げる形で生えていた。

 赤黒い肌、大きく裂けた口からは、2対の牙がはみ出している。額には1対の角。まさに鬼だ。恨みを湛えた、血走ったまなこ

 天井から突き出した半身だけで、男前を凌ぐサイズだ。全身なら、当然その倍はあるだろう。

 だが、奴は俺を見てはいなかった。鬼はずっと美登里を睨んでいた。やはり、美登里に恨みがあるのだろう。

 美登里の表情が凍りつく。こんなものを見るのは初めてだろうからな。視界に入っていた男前の顔も同様だった。2人とも、体が強張っているようだ。

 まったく、世話の焼けるこった。


 鬼が獣に似た雄叫びをあげて、美登里に腕を伸ばした時、俺は2人――鬼を1人と数えるならだが――の間に割り込んだ。鬼の腕が、戸惑うように止まった。だが、それも一瞬で咆哮とともに、再び腕を伸ばす。積年の思いが籠ったような切実な叫び声であった。

 俺は美登里の腕に手を回し、ソファーから立たせると、後ろに押しやった。今度は僅かな抵抗すらしなかった。無用な抵抗は命取りだと理解したらしい。


 鬼が力任せに繰り出す拳を、俺は避けもしなかった。

 鬼の拳は、俺の顔面の手前、50センチほどのところで止まっていた。

 別のに掴まれて――。

 鬼が。美登里と男前が。目を剥いた。

 俺の眼前で鬼の拳を掴んでいるのは、サイズこそ、男前と鬼の中間――俺の1・5倍ほどだが、鬼に引けを取らないほど筋骨逞しい、金剛力士――仁王だった。

 これは俺の護鬼だ。

 護鬼というのは、読んで字の如く、俺を――式神だ。鬼そのものでもいいんだが、この姿を取らせているのは、他の人間の目に触れた時、怖がられないためだ。いちいち説明するのも、面倒だからな。


 仁王が掴んだ鬼を、天井から引きずり出した。どっ、とリビングの床に打ち付けられる鬼。だが、鬼もすかさず立ち上がり、仁王とがっぷり、4つに組んだ。

 謀らずも、鬼と仁王が力比べをする形となったが、およそ五分の勝負で、互いに譲らず、膠着状態に陥っていた。

 だがな、まだ、こちらには手があるんだ。

 俺が手を挙げるや、もう1体の仁王が現れた。護鬼は1対で用いるのが基本だ。そして、仁王は二王におう。つまり、護鬼は2体、いるのだ。

 もう1体の仁王が近づく前に、鬼は掴みあっていた仁王の手を振りほどき、何とか拘束から逃れ、一声咆哮するや、姿を消した。

 分が悪いと判断したらしい。

 まあ、いいさ。こっちもとどめを差すためには準備不足だったしな。


 俺は辺りを見回し、状況を再確認した。男前は……玄関を差して、う這うのていで出ていこうとしていた。そりゃあ、あんなものを見れば、ビビっちまうわな。

 美登里は唖然とした表情で、俺を見ていた。


「あ、あれは何……⁉」

「あれは鬼です。望さんの成れの果て……と見てたんですがね」


と、俺は少々引っ掛かるものを覚えながら、そう言った。

 あの感じ。あれは――?


「お、鬼⁉」


 俺は美登里の声に、軽く思考を中断された。


「ええ、そうです。俺はをどうにかするために来たんですよ」


 そこまで言った俺は、美登里に対して少し悪戯心を起こした。この女をちょっと試したくなったのだ。


「あれが片付いたら、頂ます」


と、俺は指を、立てて見せた。さて、どう応えるか。


「ちょっ……⁉ 何言ってんのよ!」


と、美登里はあからさまに異議を唱えてきた。やはり、そう来たか。


「そんな大金、払いませんからね!」

「そうは言っても、もう雇われましたからねぇ。対価は支払って頂かないと」

「そんなこと、あたしは知りません! お金なら、美鈴から貰いなさい!」


 美登里は憤慨して、自室に消えた。その後ろ姿を見送りながら、俺は苦笑が浮かぶのを感じていた。薄々判っちゃいたが、やっぱり金に執着するタイプか。


 そこではたと、俺は美鈴の姿が見えないことに気付いた。

 部屋中を探してみれば、美鈴の自室へと向かう廊下で倒れていた。先ほどの鬼が逃れる際に、遭遇でもしたか。抱き起しながら、呼びかけると、すぐに気が付いた。


「あ……。さっきのは……?」


と、聞いてきた。やはり、出会でくわしたらしい。が、何か気になるな。まだ、どこが、とはっきり言えないが。


「鬼ですよ。望さんかどうかは、怪しくなってきましたがね」


 俺はそっけなく言った。ただ、事実を告げたのだ。


「じゃあ、望はやっぱり死んで……?」

「それは分かりません。これから、それを確かめてきますよ」


 俺はそう言って、美鈴に手を貸し、立ち上がらせた。



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