11 男の闘い

11-1 二宮和也という「男」

 気がつくと、俺は父親の頭の中にいた。異物として。


 奇妙な体験だった。


 父親が経験するすべてのことが、ビデオの早回しのように流れてゆく。個々の出来事は一瞬だからよく見えないのだが、俺が注目する事象だけは、しっかりとこちらの頭にも入ってくる。


 今、父親は高校を卒業して、とある工科大学に入ったところだ。貧しい家の生まれながら、高校時代はバイトをしながら勉学に励み、なんとか学費の安い大学を探して受験した。


 父親の頭の中を、大学時代の思い出が走っている。勉強、バイト、実験、飲み会……。そこにちらちら女の笑顔が挿入されていることに、俺は気づいた。若い頃の母親だ。友人に紹介されてデートするようになったようだ。


 卒業すると、諏訪に本社がある精密機械の企業に就職し、設計開発に従事した。結婚は二十六歳、五年間付き合った末だった。


 やがて、俺としおんが生まれた。顔をまっかにして声を限りに泣く赤ん坊の自分を目の前にするのは、不思議な体験だった。


 この子を守れるなら死んでもいい——そう考える父親の思いが伝わってくる。その思いの強さに圧倒された。


 卒業当時は不景気で、就職には婚約者の実家の世話になった。海士家は長野の旧家だったからだ。貧しい家に生まれ、これまで自分の力で進路を勝ち取ってきた父親にとって、それは大きなコンプレックスだった。休日は疲れた体に鞭打ち、家族サービスに努めた。


「なんとしても自分の力で家族を幸せにするのだ」——そう考える強い願いが伝わってくる。その思いが滲み出た真面目な働きぶりで、三十一歳にして本社工場の生産管理に大抜擢された。


 皮肉なことに、それが転機となった。


 機器のメンテや交換は、どうしても盆暮れゴールデンウイークにせざるを得ない。その時期に工場張り付きとなるので、長い休暇が取れない。


 休みなく働き残業と休日出勤だけが積み上がり、精神が疲弊してゆく。帰宅は深夜で我が子の笑顔もなかなか見られず、父親の心は次第に荒んでいった。


 成績が認められ、一年後、首都圏の工場に転勤。現地工場の生産管理をたったひとりで担当することになり、ますます休めなくなった。


 三十四歳のときだ。同僚の子である野花を含め、子供を連れて近場の川に遊びに行った父親は、疲れ切って居眠りしてしまった。気がつくと子供たちがいない。必死の形相で探すと、ぐっしょり濡れた三人が、草むらで泣いていた。川に落ちて溺れかかったのだ。


 そう。流された俺としおん、野花が天魔ティラミンに助けられた日だ。


 父親の心に大きな衝撃が走ったのを、俺は感じた。


 深い傷が生まれ、そこからは血が流れ、いつまでも心の裏で流れ続けた。自分の力で守ると誓った家族を、死なせかかった——。「父親失格」という言葉が、生真面目な父親の心を揺さぶった。


 それでも、なんとか考えを変えて対応した。家族を守るために「仕事で成果を出すのが自分の役目」と判断し、家庭は連れ合いに任せて力の限り突き進んだ。


 罪滅ぼしとばかり、がむしゃらに働いた。行き帰りの電車の中で、吊革に掴まったまま居眠りする父親の姿を、俺は我が事として体験した。


 洗面所の鏡に映るのは疲れ切った顔で、視線だけは鋭い。鬼気迫る姿だった。


 父親は身も心も疲れ切っていた。しかし外面的には優秀な人物だった。工場管理を任せて破綻がない。しかもたったひとりで対応している。


 その功績を認められ、海外工場への単身赴任を命じられた。三十八歳のときだ。自分に安らぎをもたらしてくれる家族と離れるのは嫌で仕方なかったが、単身赴任すれば多額の手当てが付く。子供のためと笑って快諾する父親を、俺は見た。


 そのときのことを、俺は現実にもよく覚えていた。もう八歳だったからだ。海外に出る前、父親は「お前は男の子だから、母さんを守ってくれよな」と笑っていた。


 子供の頃は普通に聞き流していたその言葉に、父親の重い決意が込められていたことを、十年越しに知った。


 向こうには野花の父親が先に赴任しており、なにかと面倒を見てくれたが、海外で文化の違いと孤独に悩み、俺の父親は心身症を発症。わずか二年弱で帰国させられた。


 歯を食いしばって戦い会社の期待に応えてきた父親にとって、それは、決定的な蹉跌だった。会社からもある種の烙印を押されたからだ。


「これまで馬車馬のように働いてきたんだから、まずは体第一で養生して……」と、上司はなぐさめてくれた。連れ合いも優しく接してくれて、ひさしぶりに戻ってきた父親に子供たちも大喜びだったが、それを素直に受け取れなかった。


 本人にとっては「会社員失格」「父親失格」「家長失格」を、一気に押された気分だったのだ。川の一件以来流れ続けた父親の心の血が、枯れるまで噴出するのを、俺は感知した。脳の中から見ている俺ですら、心が痛むほどの勢いで。


 四十一歳で休職――。


 家族が優しく接してくれればくれるほど、家庭に居場所がないと感じた。いつの間にか、なるだけ帰らず外をさまよい歩くようになった。


 ……そこからの転落は速かった。ふと入った店で女に優しくされてたちまち入れ上げ、ついには家庭に戻らなくなる。


 俺が中学校に進んだ頃、父親は離婚届を送ってきた。それは父親の中では「家庭を守るため」だった。


 家長として「だめな男を家庭から追い出す」べく、しっかりけじめをつけたのだ。家長・二宮和晃の最後の決断だ。


 その後の一家は、三人で父親からの慰謝料と養育費、母親の実家からの援助、さらには単身赴任などで貯まっていたこれまでの蓄えで生活した。二年後、実家からの呼びかけがあり、中三ですでに受験勉強に入っていた俺だけを残し、ふたりは長野の実家に迎えられた。


 ここから、父屋の記憶は、現実の俺が知らない部分に入った。


 父親はその後、退職し、退職金はすべて母親の元に送ってきた。償いだと。


 その件を、俺は母親から聞いていなかった。おそらく、受け止められる年齢になったら父親との経緯をすべて話そうと思っていたからだろう。


 残った家族に全財産を送った父親は、退職後に、水商売の女性にあっさり捨てられていた。それからは、いろんな仕事を手がけながら、各地を転々とした。不動産の営業、スナックの雇われマスター、配管工見習い、旅館の送迎運転手――。


 宿舎付きの仕事が多かった。家賃を浮かしてなるだけ多く、家族に仕送りするためだ。父親が、俺としおんの成長する姿を日々想像し、それを生きる糧としていることを、俺は知った。家庭を捨てた自分だが、それでもまだ家族のためにできることはあると。


 父親の想像の中で、俺は今は立派で真面目な高校生だった。物理と数学が好きで、その力で世界を良くしようと考えている。数年後、立派な社会人に育った俺としおん、そして連れ合いの姿を、どこか陰から一度でいいので目にしたい――。


 それが、今の父親の望みだった。

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