10-2 天魔覚醒

「わかったか」


 十三年前のできごとを俺の心に再生し終わると、天魔がつぶやいた。


「私はお前を助けた。しかしそれは天魔にとっては恥だ。魔だからな。だからお前たちの心に手を入れ、私に関する記憶を封印した。自分の仮の人格も含めてな」

「……そうだったのか」


 十三年前の出来事から解放され我に返った俺は、天魔の瞳を見つめた。溺れたとき、天魔と出会った記憶はない。


 しかしアパートで最初にどつかれたときから、天魔人格に、なんとなく親近感がある。「ティラ」の姿だからと思っていたが、昔の邂逅が理由だったのか。


「なぜお前のところに神が『ティラ』を派遣したのか、考えたことがあるか」


 天魔がふと告げてきた。


「それは……」


 正直、詰まった。ただちょっと天然のほんわか天使が降ってきたくらいで、深く考えたことなんてないからなw 


「それは……俺が『現世をさまよう死者』だったから」

「それだけのはずがあるか」


 一笑に付された。


「悪縁あって現世に縛り付けられた死者など、世界中に数千はいる。お前が天魔と――この私と関わりがあったからだ」

「天魔と……」

「『ティラ』は天魔になりたくなかった。だから神も天使になれるよう協力した。天使になれれば、天魔人格が覚醒せずに済むから。しかしこいつは……」


 唇を歪めて笑みを作った。


「『ティラ』はなんといってもドジだからな。見習い天使から卒業できそうもない。もう天魔に育つタイムリミットが来る。そこに私と因縁のあるお前が、偶然『死にきれない死者』になった。どう思う」

「いやどうもこうも――」

「神にとって、こんな好機があるか? お前の魂は、表に出たばかりの私――つまり『ティラ』とも――、あのとき深いところで繋がったのだ。流されながらも助けようと、両手で必死に女の子を掴んでいた、けなげなお前に惹かれた」


 そんなもんかな。まあ天使だの天魔だの、まして神だのの考えは、俺には計り知れないところがあるのは確かだが……。


「それから私の心には、つまり見習い天使『ティラ』の心にも、常にお前としおん、野花がいた。宿命の存在としてな。だからお前の半端な死は、『ティラ』が守護天使として人間の役に立つ、最後にして最大のチャンスだったのだ」

「そのチャンスに神は賭けたってことか」

「そうさ」


 天を仰いで感慨に耽っていたが、存在をふと思い出したかのように、俺と仲間を見回した。

「――まあ失敗したがな、神も『ティラ』も。お前を天に導き天使として合格する前に、こうして私が顕現したから」


 手を差し伸べてきた。


「さあ行こう。ご主人様。世界をふたりの手に……」

「……だめだ」


 反射的に、俺は断った。


「ありがとう。俺としおん、のんちゃんまで助けてくれて。……でも、ティラのことを踏みつけにはできないんだ。それとこれとは別なんだ」

「お前……」


 炎のように輝く瞳が、かすかな悲しみを浮かべて陰った。


「だめなのか」

「……」

「あっちの『ティラ』でないとだめなのか。向こうが仮初めの存在だというのに……」

「……」

「天魔である私は愛せないのか、どうしても」


 俺は答えなかった。てか、この気持ちをどう表現していいかわからなかった。とにかく嫌だ。理屈を超えたところで、心がそう言ってるんだ。


「そうか……」


 俺を放すと、天魔は顔を伏せた。


 長い髪がばさりと前に垂れる。しばらく沈黙していた。それからゆっくりと頭を上げた。


「なら仕方ない」


 頭を傾け首を鳴らすと、天魔が嫌な笑みを浮かべた。


「むりやりってことになるな。……事を荒立てたくなかったが、やむをえん。何人か殺すことになっても、お前を連れて行く」

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