9-2 例の夜の約束ってどうなんだ

「ところで」


 思わず愚痴が出た。俺、汗まみれじゃん。


「なんで俺がみんなの荷物持ってるんだよ」

「だって……」


 ティラは野花を見た。野花はミントに視線を送った。ミントは古海に目をやった。古海が口を開く。


「男でしょ、あんた。おまけに召使いなんだから当然というか」


 胸を張った。


「いやでもお前、いくら標高三百メートルかそこらったって、一応山だし。関東百名山にかろうじてしがみついてるくらいの」


 自分の登山ザックに全員分の食料やケルちゃんのカリカリを放り込まれた上に、両肩に古海とミントのショルダーまでかけさせられている。


 ケルちゃんまでザックに放り込まれ、頭を出してにゃあにゃあ鳴いている始末だ。


「仕方ないわね」


 古海はほっと息を吐いた。


「従者が倒れるのは主人の恥だし。ここでちょっと休憩しましょう」


 登山道脇のベンチに腰を下ろした。古海が直哉のザックからお茶のペットボトルを手早く取り出して、皆に配る。俺はタオルで首の汗を拭った。


 低いとはいえ、ここは霊験あらたかな聖峰、権現山。期末試験を無事(w)こなした俺と一行は、試験休みを利用して遊びに来ていた。七月頭にしては暑い日で、午前中というのに気温は早くも二十五度を突破している。


「やめとけば良かった俺。そもそも『自主』試験休みだし」

「ほら愚痴らないの」


 凍らせてきたタオルを、野花が首筋に当ててくれた。軽量ウインドブレイカーにVネックのシャツ、ボトムの上から巻きスカートを穿いて、全体に「山ガール」といった雰囲気だ。


「気持ちいい?」

「ありがと……」


 野花が通うのは短大までエスカレーターのお嬢様学校だから、なにかにつけ優雅だ。週休二日で、試験休みまである。


 古海は私立女子中で校風が厳しく、週休一日。その分、試験休みがある。


 俺は県立進学校。昔は公立ゆとり教育の週休二日だったらしいが、今は土曜日午前中は授業で、午後も希望者に自習や補習がある。


 もちろん試験休みなどないw 期末試験の成績が予想以上だったので、これ幸いとサボっているだけだ。


 ベンチは木陰なので、だいぶ楽になってきた。ティラはなにかもぐもぐ食べながら、デイパックから顔を出した猫をからかっている。暑いので涼しい天使服を着て、透湿ナイロンの軽登山用ブルゾンを羽織っている。


 デニムにTシャツ、ジャージの古海は、スマホで写真を撮っている。水色のワンピースを着たミントは、大きな杉の樹に腕を回し耳を着けて、なにか樹の声でも聴いているような仕草だ。


 平日だし地味な山なので、登山道にはほとんど人がいない。ここまですれ違ったのもひとりだけだ。


「ほら行くわよ。みんな。はいはい」


 古海が手を叩く。


「……なんだよなあ、あいつ。いちばん年下なのに偉そうに」

「あら。年下はミントちゃんでしょ。中一かそこらなんだから」


 野花が首を傾げた。


「そうか。そうだったな」


 一万歳だか百万歳か引けばな。


 ふと思い出した。「期末テストでいい点取ったら」と、野花は約束してくれた。続きをしましょうと。あの晩、キスしかかったし、一瞬とはいえ胸を触らせてくれた。となると、「あの続き」ってどこまでだよ。


「なに。見つめちゃって」


 野花が垂れ目で覗き込んだ。


「べっ別に……」

「ふふっ。変ななおくん」

「し、試験が……」

「えっなに?」

「い、いや。なんでもない」


 やっぱり言えない。野花はじっと見つめたままだ。口を開いた。


「……今度ね。今度、ふたりでお話しましょうね」

「うっうん」


 どういう意味だよ、それw


 どうにも解釈に困るわこんなん。


「夜にお話?」

「……」

「……」

「こら。あんたたち、なにやってるのよ」


 すぐ前に、古海が仁王立ちしている。


「見りゃわかるだろ。『ご主人様』さんよ」


 邪魔すんなや。今、いい感じだったのに。


「立ちなさい奴隷。頂上でたっぷり休ませてあげるから」


 俺の手を取ると、ぐっと引いた。


「神社があるんでしょ、上には」

「……そうらしいよ。なんとか言う奴」


 仕方ない。俺は立ち上がった。


 まあ、これが俺の運命だな。必ず邪魔されるっていうw


 なるようにしかならないだろ。どうせ期待の「夜」だって、のんちゃんといい雰囲気になりかかったとたんに、時間切れで偽空間が破裂して地獄に落ちるとか。そんなんがオチに決まってる。


「この山はパワースポットだもんね。昔は修験道者が聖山ひじりやまとして崇拝してたとか」

「そんならこの疲れも取ってくれっての」


 なにもかもすっかり嫌になって、俺は頭を振った。


「ほらほら、愚痴らないの」


 歩きながら、野花が肩を揉んでくれた。気持ちいい。


「……上手だね、のんちゃん」

「お父さんの肩揉むので慣れてるもの」

「そうか……」


 俺は思った。父親の肩を揉んだのなんて、何億年前だろうと。まったく……。

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