7-5 初体験で煩悩消化だ!

 食後は、全員でトランプをした。それが一時間ほど続いてややだれてきた頃、カリカリケーキを延々食べ続けていた猫が、ミントの足元に擦り寄った。にゃあと鳴きながら体をこすりつけている。


「かわいいわよねえ、猫ちゃん」


 野花の瞳が、さらに垂れている。猫の目をじっと見ていたミントは、軽く頷くと、古海の裾を取った。


「ねえ……」

「なによミント。今勝てそうなんだからちょっと待って」

「ねえ、お出かけしたい」

「はあ? 待ってったら」

「ケニーズ行こう……」

「ファミレス? 今から?」

「うん」

「どうしたのよ。ミントがそんなこと言うなんて珍しい。そもそも……」


 言いかけて、古海は頭を押さえ、ふるふると振った。猫がじっと見ている。


「そ、そうね……。行こうか。あたしもなんだかあそこのラズベリーアイスが食べたい気がしてきたし。——ティラも来るでしょ」

「えっ? 私も」

「そうよ。あんた、甘いもの好きじゃない」

「でっでも、今日はケーキ食べたし。あの……」

「いいから行くわよ」


 古海はティラの手をひっぱった。


「悪いけど下僕、あんた留守番しててよね。野花はお客さんなんだから、きちんともてなしてなさいよ。あたしの友達なんだからね」


 俺の幼なじみ設定より自分の友達設定のほうがいつの間にか古海の中で優先順位が上がってやがる。あきれるわ。


「わかったけど、早く帰れよな」

「わかったわよ」


 三人がばたばたといなくなってしまい、賑やかだった部屋は急になんだか寂しくなった。


「ご、ごめんな。なんだかお客さん放り出して」

「ううん。いいの」


 散らかっているトランプを、野花は片付け始めた。


「私が押しかけたんだし。みんなにはみんなの生活リズムがあるもんね」

「いや夜にファミレスなんて、めったにないんだけどさ」

「お茶淹れるよ。今度は私が淹れるから、なおくんはゆっくりしてて」

「う、うん……」


 湯気を立てる湯呑みを前に、ふたりはソファーに並んだ。


「ねえ、さっき……」


 口を開いた。


「さっき、お姉ちゃんって呼んでくれて、うれしかった」

「そう言ったっけ」

「言ったよ」


 瞳を覗き込んでくる。澄んだ瞳に見つめられると、なんだか蛇カエル状態だな、俺。


「昔はよくそう呼んでくれたじゃない」

「……そうだったかな」

「忘れたの?」

「いや……覚えてる」

「ほらやっぱり」


 野花は直哉の手を取った。


「……こうして手をつないで、ふたりでどこへでも行ったわ」


 おいおい……。野花の手を握ったのは、小学校以来だ。あの頃と違って、きれいに指が伸びているのにすべすべして柔らかい。


「そ……そうだよな。むっ昔はまだこの市も田舎だったから、川もきれいだったし山だって」

「なおくん、あの頃はおちびさんだったのに、生意気だった」

「そうだったかな」

「うん。お医者さんごっことか……」

「あの……」

「なおくん、年下のくせにすぐお医者さん役やりたがって……。お姉ちゃん、どこが痛いですかって」

「……もうその話は」


 過去の恥の晒し上げを、これ以上食らってたまるかw 手にじっとり汗が滲んできたので、それを悟られるのも恥ずかしいしな。


「ねえ、なおくん」

「なんだよ」

「なおくんは昔のままだけれど、変わったところもあるよね。前は……もっと素直だったじゃない。学校さぼったりなんか絶対しない子だったのに、今は留年のボーダーライン」

「……それは」

「わかってる」


 手をぐっと握ってくる。


「わかってるよ、お父さんのこと。なおくんが怒るのも無理ないと思う。でも、お父さんにだって事情があったのよ」


 野花の手を、俺はそっと外した。


「もうやめよう、この話題」


 野花はほっと息を吐いた。


「そう……。わかった。また今度ね」

「どうしてそんなに俺のこと気にかけてくれるのさ」

「そ、それは……幼なじみだし。その……」


 ちらっと視線を走らせてきた。


「な、なおくん、かっこ良くなったし……。それに元のなおくんに戻って……あっ」

「お姉ちゃん……のんちゃん」

「なんで肩なんか抱くの……」

「のんちゃんこそ、変わったよ」


 問いには答えず、俺は勝手に続けた。


「えっ、私が……」

「そう。こんなにかわいくなって」

「……」

「あの頃は手の届かないお姉さんだったのに、今では俺のことをこんなに気にしてくれる。俺だけのかわいい人……」

「なおくん……」


 野花の肩は柔らかい。ぴったり密着した体から、熱い体温が伝わってくる。


「俺、もうすぐいなくなるんだ」

「……ほんとう?」

「本当さ。あと何か月かで。そうしたら、のんちゃんも、俺とこうしていたことは忘れちゃうんだ。再会なんて、なかったことになって」

「それ、どういう……」

「だから地獄の責め苦を受ける前の、せめてもの思い出として……」

「あっ……」


 肩を抱く手に力を込めた。野花が倒れ込んできて、俺のすぐ前に唇が来る。


「なおくん……だめよ」


 かすれ声で囁いたが、俺が顔を近づけると、誘われたように瞳を閉じた。


「だめ……」


 熱い吐息。唇がかすかに震えている。


「お姉ちゃん……」


 連られて俺もまぶたを閉じた。まあ初体験だしな、当然だ。

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