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 あまりに突拍子もない少女の申し出に、しばし逡巡した挙句、チセはどうにか口を開いた。


『ええと、その。もちろん、お手伝いはしたいんですけど……アーキェルさんを、どうやって探すんですか?』


 すでに亡くなっているのに、という言葉をどうにか呑み込み、こわごわと問うと、白銀の少女は片眉を上げた。


『人間は、旅立った者を、埋めるなりなんなりするのだろう。その場所に、連れて行ってくれればいい』

『わかり、ました。……ただ、わたしもあまり土地勘がないので、墓地をすぐ見つけられるかどうかはわからない、ですけど』


 ちょっと見てみますね、と告げて、チセは鉄柵に囲まれた建物の端まで走り、周囲をくまなく鷹のまなざしで見渡す。と、地上で蟻のような人影が、あちこちに逃げ惑っている様子が目に映った。


 原因は何なのだろう、と視線を巡らせれば、聳え立っていたはずの施設が、地下まで達するほどの大穴を穿たれ、無残にも二つに分かたれた光景を発見する。少女が振るった桁外れの力に唖然としつつ、チセは当初の目的通り、再び目を凝らして墓地を探した。


(……ジークたちは、無事、かな)


 廃墟と化した施設跡を目の当たりにしたせいで、否が応にも、彼らの姿が脳裡に浮かんだ。


 ――この五日間の記憶が、めまぐるしく頭の中を、通り過ぎてゆく。

 血液を提供し続けるのは辛かったが、おそらくジークが、自分を処分させまいと策を講じてくれたのだろう、とわかっていたから耐えられた。辛くなった時も、これを乗り越えれば姉に再会できるはずだ、と信じ続けていた。

 だから、地下で姉の姿を目にしたあの時、叫び出したい衝動を、チセは必死で堪えなければならなかった。


(……本当に、お姉ちゃんも、助けてくれたんだ)


 計算高い、裏切り者の混成種の演技をするのは、あの時が一番難しかった。ジークへの感謝の念が表情に、声に出ていないかと、何度も自分に問い続けて。


『――見つかりそうか?』


 逸れていた思考を見透かされていたかのような声掛けに、慌てて『もう少し待ってください!』と答え、今度こそチセは視界に意識を集中させる。


 右を眺め、続いて中央を、最後に左側を。


『……三か所は、見つけられました。でも、ここからかなり距離がありそうです。下は人でいっぱいみたいですけど、どうやって行きますか?』


 振り返って少女に報告すると、淡々とした口調で、問題ない、と告げられる。


『わたしを誰だと思っている? ――右から行くぞ、場所を正確に教えてくれ』

『ええと、あの白い建物の右横に広がってる草原と、黒い屋根の建物の間です』

『わかった。行くぞ』


 え、と問い返す間もなく。

 チセとシンシャの手を無造作に掴んだ少女は――建物の頂上からすさまじい勢いで跳躍し、さながら一陣の突風と化した。




 数十秒の浮遊、否、飛翔を経てようやく大地に降り立ったチセは、思わずその場にへたり込んだ。


「空を、飛んでみたいとは思ってたけど。……こんなに怖いなんて、想像もしてなかった」

『何か言ったか? ……どうだ、アーキェルはここにいるか?』


 こちらのぼやきも耳に入っていないらしい少女に問われたチセは、ひとつ深呼吸をして気を取り直し、探索に必要な情報を求めた。


『ええと、探してみるので、生まれた年か、名の綴りを教えてもらえますか?』

『星歴百十三年の白の月、八日だ。綴りは――――』


 少女が呟きながら宙に指を滑らせると、その軌跡を追うようにして、淡い光の文字が浮かび上がる。その幻想的な光景に、すごい、と吐息のような感嘆を零したチセは、「わかりました」と告げてから、早速墓地の南端へと駆け出した。

 顔を左右に向け、視界をぐるりと巡らせる。それでも見えない範囲を網羅するために右に左に、前に後ろにと足を動かし、素早く各列の墓標に刻まれた文字を確認していく。

 幸いなことに、この墓場は小ぢんまりとした規模だったので、ほどなくしてチセは捜索を終えることができた。


『……ごめんなさい。ここには、いらっしゃらないみたいです』


 おそるおそるチセが報告すると、意外なことに、少女は嘆くでも怒るでもなく、腕組みをして鷹揚に頷いた。


『お前が気にすることはない。……では、次に向かうか』

「え、」


 チセが安堵する間も、心の準備をする間もなく。

 再びチセとシンシャの腕を掴んだ少女は、すさまじい勢いで大地を蹴り、天空へと跳躍した。




 結局二つ目の候補地でも探し人は見つからず、三つ目の墓所を一周したチセは、白銀の少女の下に戻り、躊躇いつつも重い口を開いた。


『……こちらにも、アーキェルさんは、いらっしゃらないみたいです』

『――そう、か』


 わずかに目を伏せた白銀の少女の華奢な体躯が、その時不意に、ふら、と傾いだ。咄嗟に少女を支えたチセは、その身体のあまりの軽さに、なぜか背筋がひやりとするような感覚を抱いた。


『大丈夫、ですか?!』

『平気だ、まだ動ける。――すまないな、助かった』


 その顔色は、元来の肌の白さを割り引いてもなお、ひどく蒼褪めていた。かすかに寄せられた柳眉が、ほんの一瞬だけ触れた身体の冷たさが、彼女が無理を押して気丈に振舞っていることを、チセに悟らせた。


『……どうして、アーキェルさんに、逢いたいんですか?』


 気付けば、チセの口からは、問うつもりのなかった疑問が零れ落ちていた。


『約束、したからな。戦が終わったら、世界を巡る、旅に出ようと。……戦が終わったことを、わたしが約束を果たしたことを、戻ってきたことを――あいつはまだ、知らない』


 少女が答えを、返してくれたことにではなく。

 ただひたすらに、誰かを想う感情にあふれたその表情に、チセは目を瞠って。

 気付けば、少女を鼓舞するように拳を胸の前で握り、口を開いていた。


『……じゃあ、他の場所を探してみましょう! わたし、高い場所に行って、もう一度上から探してみますね!』

『――なぜ、そこまでする? 首の玩具が外れた以上、わたしと居てもお前に利はないだろう。……それとも、わたしの力を恐れているのか? それなら安心しろ、お前たちが逃げようと、同胞を手に掛けるつもりはない』


 助力の申し出を切り捨てるように淡々と言い置いて、踵を返した少女の華奢な背に向けて、チセは反射的に叫んでいた。


『そんなの、怖いに決まってるじゃないですか! 本当は今すぐ、逃げ出したいに決まってます! ――でも、逢いたいんですよね? 二百年も眠っていたのに、起きて真っ先に名を呼ぶくらいに。そんなに無理を押してまで、動き続けるくらいに。……だったらそんなの、協力しないわけにはいかないじゃないですか! それに、わたしの師匠も言ってました。一人で全部抱え込むな、って』


 そうだ、ジークは言っていた。一人で何でもかんでも背負い込もうとするな、って。


 だから、ジークに。そして先程は、この人にも。

 姉を救ってもらった、このわたしが――黙ってこのまま、見過ごせるはずがない。そんなの、冗談じゃない。


 どれだけ無力でも。戦うための、力がなくたって。



 今度は、わたしが。

 誰かの、力になる番だ。



『これは、わたし自身のために言ってるんです! 師匠の一番弟子として、ただのわたしとして、己に恥じないために。今、できることをしたいだけなんです!』


 半ば一方的に、チセがそう宣言すると。


『――本当に、馬鹿なやつだな。……なら、力を貸してくれ』


 振り返った白銀の少女は、苦笑を浮かべて、チセに片手を差し出した。



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