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 降り注ぐ陽光と頬を撫でる風の気配を、ジークはおぼろげな意識でぼんやりと感じ取る。


「……い、……ク!」


 先程から、何か騒がしい音が、鼓膜を揺らしている。だが、何を言っているのか、まったく聞き取れない。どうかこのまま、ゆっくり眠らせてくれ――と押し寄せる猛烈な睡魔に、身を委ねようとしていると。



「――さっさと起きんかっ、この馬鹿弟子!」



 とんでもない痛みとともに、強制的に覚醒させられた。

 呻きながら目を開けると、視界には馴染み深いムジカの青眼と、ロウニの赤褐色の瞳が映る。その背後に広がる蒼穹を眺めつつ、何度か瞬きを繰り返していると、ようやく気を失う前の記憶が脳裡に蘇ってきた。


「――チセ! それに、チセの姉貴とあの子は? 全員、無事なのか?」


 矢継ぎ早に問いを発しつつ飛び起きると、全身がずきりと痛み、思わず顔をしかめる。煤と埃に塗れた二人は少しだけ顔を見合わせて、やがてムジカが口を開いた。


「ジーク、落ち着いて聞け。……おそらく、お前の弟子と、その姉じゃったか? おそらく二人は、〝シェリエ〟なるあの少女に、連れ去られたようじゃ」

「――は?」


 想定外の返答に呆けたのは一瞬で、ジークはすぐさま痛む身体を叱咤して立ち上がった。どっちに行った、すぐ追いかけないと、と踵を返そうとすると、背後から腕を掴まれた。


「少しだけ話を聞け、ジーク。今の状況だけ伝えておく。……全員気を失っておったから詳細はわからんが、あの白銀の少女の身体から立ち昇った光の柱のような何かが、この施設に大穴を開けたようじゃ。わしはたまたま位置がよかったのか、真っ先に意識を取り戻したが、チセさんもチセさんの姉も、すでに姿が見当たらなんだ。……チセさんが縛られていた椅子と、チセさんの姉が横たわっていた寝台はそこに転がっとるから、おそらくあの少女に連れて行かれたんじゃろう。一通りこの辺りを探した後は、お前が起きるまで物陰に身を潜めておったが、猫どもはなぜか全員目覚める気配がない。――ジーク、わしらはこれから同胞を逃がして回るが、後はお前に任せてよいな?」


 まっすぐな信頼のこもったまなざしを向けられて、ジークは大きく頷いた。


「ああ、任せとけ。――どこかに、チセの仲間たちもいる。できれば、全員解き放ってやってくれ」


 黙って頷いたムジカと一瞬だけ視線を交わし合い、ジークは今度こそ、重い身体を引きずるようにして、崩れかけた螺旋階段へと駆け出した。




 * * *


 降り注ぐ陽光と、頬を撫でる、涼やかな風。

 久々に感じる外界の気配に、うっすらとチセが目を開けると――視界の中央で、淡い光がきらめいた。


『……ようやく起きたか』

「――っ!」


 清かな星辰の、冴え冴えとした声音に、意識が一瞬で覚醒する。


 ――白銀の、少女。混成種の、比類なき頂点。


 己を睥睨する天満月のまなざしに、その絶対的な存在感と重圧に、勝手に全身が震え出す。失神する直前の記憶を刹那の間に取り戻したチセは、半ば無意識に、周囲に視線を巡らせて――。


「……お姉ちゃん!」


 手が届くほどの距離に横たわる、血に染まった白衣を纏った姉の姿を認め、転がるように駆け寄った。


「お姉ちゃん! お願い、目を開けて! わたし、チセ、だよ……」

『――お前の、姉、か』


 音ひとつ、長い白銀の長髪を揺らす気配すら、微塵も立てず。

 夢中で姉の身体を揺り動かすチセの背後に佇む、死そのもののような強大な存在が、ゆっくりと、迫って来る。

 震える腕に、爪を思い切り突き立て――チセは全身を震わせながら、最凶の混成種の前に立ちはだかるように、両手を広げる。


『お願い。――お姉ちゃんだけは、見逃して、ください』


 恐怖に途切れ途切れの声で、それでも怯むことなく、まっすぐに。

 近付いてくる白銀の少女の、感情の読めない黄金の瞳を見つめて、チセはきっぱりと言い切った。

 しかし、まるで何も聞こえてなどいなかったかのように、少女の真っ白い繊手が、彫刻のようなうつくしい指が、チセに向かって、優美に伸ばされて。


 死を覚悟したチセが、ぎゅっと目を瞑った瞬間――キン、と高い音を立てて、首に嵌められていた黒い金属環が、砕け散った。

 え、と瞬きをしたその時、続けざまに、右耳にばち、と鋭い痛みが走る。


「――っ!」

『わざわざ同胞を殺すつもりはない。……お前の首と耳に着いているその玩具は、ひどく目障りだな』


 呟きながら、あっさりとチセの横を通り過ぎた白銀の少女は、そのまま静かにしゃがみ込み、シンシャの首周りに触れた。


『弱く、何の力も持たないお前が、よくぞわたしの前に立ちはだかったものだ』


 儚い音とともに、嘘のように呆気なく粉砕された姉の首輪の残骸を見下ろし、チセは小さく息を呑んだ。


(……ジークでも、壊したら爆発するかもしれない、って外せなかったのに)


 はたと我に返り、自分たちを長年苦しめ続けていた軛から解き放ってくれた少女に、慌ててチセは頭を下げた。


『あの、ありがとう、ございます。……どうして、わたしに攻撃能力がないって、わかったんですか?』

『わたしの身体に流れる血の大半は、お前のものだろう。匂いでわかる。――よくもまあ、わたしの身体をこれだけ勝手に弄ってくれたものだ』


 静かな怒りの滲む声に、恐怖で膝が折れそうになるのをどうにかこらえながら、チセはおそるおそる、白銀の少女に問うた。


『ええと、……どうして、わたしたちを、助けてくれたんですか? 同じ、混成種だからですか?』

『――〝混成種〟? どうして我らが、そのような蔑称で呼ばれなければならない? 本来我らに授けられた名は、〝創世種レスタ〟のはずだが』


 わたしが眠っている間に何があったのか、と訊かれ、チセは言葉に窮したものの、自分が理解している範囲でその問いに答えた。


 二百年前に『大災厄』なる事件が起き、争っていた二大国が滅びたこと。

 復興を遂げる過程で、技術を政府関係者以外が知ることは禁じられたこと。

 知識を奪われた民からの不平の矛先を逸らすために、混成種への迫害が始まったこと。


 たどたどしい説明を聞き終えた少女は、呆れ果てたようなため息を漏らした。


『――結局いつの世も、人間は愚かしいということか。まったく救いようがない。……こんなことなら、あの娘と戦った時に、すべてまとめて滅ぼしてやればよかった』

『……あの娘って、どなたのことなんですか?』


 束の間恐怖も忘れてチセが問うと、ああ、と合点が行った顔をして、少女は苦笑を浮かべた。ずっと無機質な表情を保っていた少女が、初めて感情を面に滲ませたことに驚き、チセはわずかに目を瞠る。


『そうか、あの娘の名は、歴史に残っていないのか。……あの娘は、本当に強かった。人の身でありながら、魔法とでも呼ぶべき力をその身に宿し、わたしと互角に戦ってみせた。寂しがりで、意地っ張りで、戦が嫌いで――わたしと、どこか似ていた』


 遠い目で、遥かな過去を懐かしむように、束の間天を仰いだ少女は、時間がないから単刀直入に告げる、とチセに向き直った。


『――わたしは、アーキェルを探している。お前の眼で、見つけるのを手伝ってくれ』


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