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 弾かれたように振り返り、身構えたジークの視界に入ったのは、見覚えのある黒衣を纏った、人形のごとき無表情の集団。

 唯一の出入り口である扉を中心に素早く散開した十三人の男たちは、感情の読めないまなざしと銃口を、一斉にジークに向けた。


「……たかが鼠一匹に、ご苦労なこったな」


 内心で舌打ちしながら、まずいな、と冷静に現在の状況を見極める。

(この部屋には、あの扉以外の出入り口がない。――脱出するには、こいつら全員を倒すしかないってことか)

 さりとて、一対十三では、端から勝負は見えている。仮に煙幕弾を放って視界を奪ったとしても、数に任せて捕縛されるのが落ちだった。


(他に何か、手はないか? 考えろ)


 時計台を爆破して脱出しようにも、そもそも厚い木の壁を破壊できるほどの火器など今は持ち合わせていない。どうにかして相手の空気銃を奪えたとしても、この壁を貫けるほどの威力は望めないだろう。


(……まだチセにも謝れてないのに、こんな所で捕まるわけにはいかないよな)


 ちら、と鮮やかな撫子色の髪の少女の後ろ姿が浮かび、その面影を振り切るように、口を開いた。


「――俺がここにいると、どうしてわかった?」


 完全に、時間稼ぎが目的だった。敵にもジークの意図は明白だったはずだが、意外なことに、包囲していた取締官の一人が銃を下げ、懐からおもむろに何かを取り出した。


「わざわざ置き手紙で、我々に居場所を知らせてくれたからな。おかげで楽に辿ることができた」


 男の言葉に、その指先に握られた見覚えのある紙片に、どくん、と心臓が騒ぎ出す。


「手紙の盗み見か? さすが天下の科学技術取締官さまは、いい趣味してんな」


 内心の動揺を悟られぬよう、不遜な笑みを浮かべて吐き捨てる。


(……チセは? 無事、なのか?)


 自分が捕まる分には、まだいい。政府に何らかの思惑がある以上、すぐに殺されることはないはずだ、とジークは踏んでいた。問題は、チセの方である。施設を脱走して追われる身である彼女が、取締官に〝捕獲〟されれば、どんな末路が待ち受けているか。


(最っ、悪だ。……あいつは、無事に逃げおおせたのか?)


 しかし、彼女の存在をみすみす敵に伝えるわけにはいかない。まだチセが捕らえられていない可能性に賭け、ジークは空とぼけることを決意した。


「まさか鼠風情が文字を解するとは驚きだったが、この字では相手も読むのにさぞ苦労したことだろう。――本人に、聞いてみるか?」

「本人? 俺が誰に宛てて書いたかなんて、あんたらは知る由もないだろ」


 告げて鼻で笑ってやれば、ずっと無表情を貫いていた相手は、初めて顔を歪めた。――それは、怒りゆえに、ではなく。

 憐れむように。あるいは、蔑むように、呆れたように。鼠をいたぶる猫の名にふさわしい、残忍な獣じみた表情を浮かべて。


「――おい、連れて来てやれ」


 不吉な予感にジークの心臓が早鐘を打つ中、男の一声で黒衣の群れが割れ、その奥から引き立てられるようにして、撫子色の髪の少女が現れる。

 すがるように琥珀の瞳を揺らし、途方に暮れたような声音で、ジーク、と彼女は呼び掛けてきた。


「……チセ」


 呻くように呟き、チセに駆け寄ろうとした途端に取締官に取り押さえられる。床に這いつくばるように抑え込まれ、全身で抗うも、多勢に無勢で何度も殴りつけられ、やがて両手に縄が巻かれた。


「おいてめえら、チセに何した? もし怪我の一つでも負わせたら、お前ら全員ぶっ殺すぞ!!」


 ジークが吼えると、束の間黒衣の集団を、奇妙な沈黙が覆った。やがて、くすくすと、堪えきれなくなったような嘲笑が、自由を奪われたジークに降り注ぐ。



「――まさか、まだ気付いてないの? さすがに呆れちゃった」



 その馴染みのある、よく通る声の主が誰か、すでにジークは悟っていた。

 ……けれど、認められない。否、理解したくなかった。


「わたしの心配をしてくれてありがとう、お優しいジーク。……ねえ、本当に、今まで一回も、おかしいとは思わなかったの?」


 彼女は、あんなに敵愾心に満ちた顔を、瞳を、自分に向けていただろうか。

 視線が合った瞬間、思いがけないほどの痛みが胸を貫き、息も、瞬きすらできなくなったジークに、毒を注ぎ込むような声音で、なおも彼女は続ける。


「大人に三人がかりで追いかけられて、子どものわたしが逃げ切れると思う? 見ず知らずの相手に、混成種のわたしが、助けなんて求めると思う?」


 言葉を切った彼女は目を閉じて首を振り、否、と身振りで示した。


「……全部、嘘、だったのか? ――チセ」

「そうだよ? 決まってるじゃない」


 絞り出すような声でジークが問えば、チセは小首を傾げ、何を今更、と不思議そうに目を瞬かせた。


「こっちはいつばれるかひやひやしてたのに、ジークってば疑いもしないんだもん。わたしに自分の境遇を勝手に重ねてたのかどうか知らないけど、正直拍子抜けしちゃった。修繕師って、もっと人を疑ってかかるものかと思ってたのに」

「……弟子になりたい、って言ったのも、嘘か?」

「嘘だよ」


 間髪入れずに答えたチセから視線を外さぬまま、深く、息を吐く。怒りかそれとも他の感情によるものか、勝手に身体が小刻みに震えていた。


「おい三〇二号、そろそろいいか? お前に裏切られた可哀想な鼠が震えて――」


「チセ、あと一つだけ答えろ。――ユーディスたちの居場所も、わざとこいつらに知らせたのか?」


 周りで何か雑音が聞こえた気がしたが、内容は全く耳に入ってこなかった。

 あの涙も、あの表情も、あの笑顔も、すべてが嘘だったのか、と地に伏したまま睨めつける、ジークの問いに。



「言ったでしょう。――お姉ちゃんを助けるためなら、何でもするって」



 無慈悲な答えが返り、思わず身を起こそうとした瞬間、首の後ろに鋭い痛みが走り、ジークの意識は途切れた。


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