08

 

 沙惠の状態は、つぐみが思うよりひどかった。


 過激派の団体から逃げる際にアスファルトで擦れただろうかすり傷はまだ良い方だった。問題は彼女の右手だった。彼女の右手は、つぐみと同じようになくなってしまったのだった。もう駄目だと、つぐみの頭の中で声がした。もう彼女に甘えるのは駄目だと。


「沙惠……」


 沙惠には、バスからはじき出されたあの日から、いやそのずっとずっと前から甘え続けていた。彼女の許しに甘えて、彼女の強さに甘え、彼女の握り返す手に甘えていた。


 その手を、つぐみのせいで失わせたことが、つぐみのこころを静寂に沈めた。


 静かな心で、つぐみは沙惠から離れようと考えた。予定より少し早く、名残おしいが、もうつぐみは沙惠に甘えることはできなかった。


「沙惠……。沙惠……」


 これで最後だからと。そう言い訳して彼女の四本指の左手を、残った右手で握った。つぐみにとってはその触れた温度だけが確かなものだった。


 これから沙惠と別れて、つぐみ一人になったとしても、その指の温かさだけで生きていけると思った。


 つぐみは立ち上がると、沙惠の起きないうちに支度を始めた。安静を言い渡す医者を説得し、少しばかりの食料と松葉杖を分けてもらった。そのお礼に、無理を言ってつぐみは自分の血液を採ってもらう。これを差し出してつぐみの行き先を言えば、万が一民間団体に狙われても、彼ら彼女らは自分を追うだろうと。そう言えば医者は、なぜか苦虫をかみつぶしたような顔になった。


 最後に、つぐみのベッド脇に立てかけられていた銃を、肩にかけた。少しその重さによろける。こんなに重いものをずっと沙惠は持っていてくれたのだと、つぐみは嬉しくなった。


「沙惠、ばいばい」


 寝息が返ってきたのがかわいらしくて、つぐみは思ったより明るい気持ちで彼女と別れることができた。


 これから先は、つぐみの一人旅だ。


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