07


手の痛みで目を覚ました。けれど、痛みを感じたはずの左手はもうそこにはなかった。


「痛いかい?」


 大人の声だった。つぐみはびくりと身をこわばらせた。大人に警戒する習慣がついてしまっていた。視線をむければ、簡素な椅子に白髪の老人が座っているのが見えた。即座に、自分でも引き倒せそうか考える。考えて、左手の腕の痛みで無理だと悟る。


「……ぁ」


「あんたずっと寝てたから、すぐ声はでんよ」


 水を飲みなさいと、半ば無理矢理水差しを口につけられる。つぐみは顔を左右に揺さぶりそれを振り払った。何が入っているかもわからないものなど飲めない。水差しの水がつぐみの襟元をしとどに濡らした。


「心配せんでもなにもいれとらんよ。あんたを追ってた、なんだ、過激派の団体か? あいつらにも引き渡さん」


「なんで……」


 つぐみの問いに、彼はカーテンも壁も白だらけの部屋の唯一黒い扉を示すことで答えた。その扉は少し隙間があき、そこから幼い子供が顔をのぞかせていた。ここまで幼い子供をつぐみは久々にみた。大人たちが疫病で死に始めてから、子供は産まれた途端、政府か民間団体にとりあげられ、隔離されるものだからだ。


 嘘か本当か定かでないが、彼は自分を医者だと言った。そしてつぐみに、つぐみたちを通報したら子供もとりあげられること、子供が彼の姪であること、だから決して通報はしないことなどを、丁寧に言い含めていった。幼い子供に話すような彼の口調は、つぐみの脳の混乱を少しずつ大人しくさせた。


「あの子、あんたたちが倒れているのを見つけてきたんだ」


 医者の「あんたたち」という言葉で、つぐみは自分の片割れについて思い出した。今までなぜ忘れていられたのだろうか。


「……沙惠は!?」


「まだ寝とる」


「沙惠に会わせて!」


 つぐみの怒声に近い声に驚いたのか、視界の端で子供が逃げていくのが見えた。それに対し、医者が渋面をつくる。つぐみはそれにかまっていられなかった。沙惠の安否で頭がいっぱいだった。


 無理に立とうとして、ごろりと転がるように床に倒れ伏す。重心がおかしかった。それが腕がないせいだと気がつくのにあまり時間はかからなかった。視界に医者のつま先だけが広がる。


「会いたいなら会わせてやるが……。自分で立つのはしばらく無理だ。安静にしておけ」


 幻肢痛もしばらくあるだろうしな。という医者の言葉の意味は分からなかった。ただその言葉でようやく、少しばかり、その大人を信用する気になれた。

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