伍――山草家の一室

 * * *


「ン、朝か?」

 薄く目を開け、早々に放たれた言葉にもう何というか堪らない気持ちになった。

「こおろぎさん!」

「どゎっ! 中学生男子!! 意外と重い! 骨が痛い!」

「こおろぎさんー……!」

「おい、河童、座敷童。コイツ、いつもこうなのか?」

 腹に顔を擦りつける俺を一瞥し、困った顔で聞くこおろぎさんに二人ともぶんぶんと首を縦に振った。

 わー、酒臭い。なのにこんなにもほっとするって不思議。

「ったく、この色男の首に抱き着いて良いのは美少女だけって親御さんから習わなかったのか?」

「習ってません! それと今は夕方です!」

「おや――マジか、そりゃ困ったな」

 今度のは別に困った風でも無い様子で頭をカリカリ。

 本当に、本当に無事で良かった……!

 そんな心配やら思いやらつゆ知らず、彼は俺を首にぶら下げたまま寝ぼけ眼で煮干しと牛乳を要求した。


 あの後俺らは明治街のとある路地に放り出された。

 こおろぎさんは腕やら手やらを青で真っ青にして、しかも白目をむいていたけれど何とか気絶だけで済んだ。

 そしてその後、これからどうするかという話になり、切り傷を沢山作った青塗れの男の人を病院に運んだらちょっとしたパニックになりかねないという事で爺ちゃんに迎えを頼んだ。


 そして今、座敷に敷かれた布団の上に至る。


「全く困った奴だな、お前は。これでここに来るのは何度目だ」

 要求に応じて直ぐにそのメニューを出した爺ちゃんにこおろぎさんがふわっと目を見開いた。(驚くには疲れ過ぎていた)

「あじゃ、爺ちゃんじゃん」

「ぶっ倒れた男の人が居るから早く来て欲しいとか言われた時は誰かと思ったよ。――まあ、取り敢えず生きてて本当に良かった。遠縁とはいえ血は繋がっているんだからな、これでも心配してたんだぞ」

「あらまぁ、寛次様愛してる。今夜焼酎飲みましょ」

「おいおいまたか。祭りでもねえのに、好きだねぇ」

「だって俺の身内で一緒に飲めるのは爺ちゃんしかいねーもん。な? こういう時位しかないんだからさ。良いでしょー?」

「しゃーねーなー」

 困ったように笑いながら熱燗? と聞く。

 一升瓶! と元気に言いながら小魚をぱり、と齧った頭に爺ちゃんの拳がごーんと激突した。

 アイタタ、と言って頭を押さえる様子がどう見ても某五人組コントのそれだ。

「ア! そういえば爺ちゃん、こおろぎさん、お昼からもう飲んでるよ!」

「あにぃ!?」

「ちょ、和樹、しーっ、しーっ!」

「もっと言うと昨日から飲んでるってよー!」

「ちょっ、お前まで!」

 ナナシが面白そうに加わってきた。

 こおろぎさんが口を塞ごうと身を乗り出して直ぐにガタが来た。ゆらりと血の足りない体が大きくぐらつく。

 そういう体調みたいなのも加味して爺ちゃんの判決が下った。

「ハイ、今夜はお酒無し! 大人しく療養しろ!」

「ええええ、酒は百薬の長って言うじゃん!」

「それは適当な量を飲んだ場合の話だろ? その昔張飛は酒に飲まれて大失態を犯したんだぞ! さっさと寝てろ!」

「ヤダ、一升瓶!」

「駄目! 今夜は卵がゆだ!」

 ぴしゃんと突き放されてしまった。

「トホホォ……」

 肩を落として畳に敷かれた布団に再びごろりと寝転ぶ。

「俺ァ、これ以上生きていけないやァ」

「自由だなぁ、全く」

「そう言えばこおろぎさん、爺ちゃんと知り合いなの?」

「まあね。長良から勘当されました、食べ物恵んで下さい! ――が最初。一か八かで転がり込んでみたけど大正解だった。よくよく世話をしてくれたよ」

「へえ!」

「でも親父も酷いのなんの。ったく、バス乗る金だけでもせびってから勘当されれば良かったや。お前も勘当されそうになったら交通費だけでもせびっとけよ」

「――え、湯羽目からここまで歩いてきたの!?」

「真逆! 俺の家は分家だからさ、実家はこっからだとちょっと遠いけど門田にあるよ」

「そうなんだ」

「兄弟多いからねー、皆で湯羽目に集結しちゃうと長良だらけになっちまうんだ」

 そう言ってカラカラ笑った。

 それはそれで面白いかもしれない。

「そんで。こっからどうする? 想像以上の難敵だった訳だが」

「……」

 ふと戻った本題に皆で黙りこくった。

 出来れば二度と会いたくない。――それがアイツに関する一同の一致した意見だった。

 青が滲む包帯を腕いっぱいにぐるぐる巻きつけたこおろぎさんは特にそう思っている事だろう。掲げて見てはうわぁとか言っている。

「こんなになっても相手に傷が付かないとかそうそうないぞ? おい」

「でもアイツはまたやって来ると思うよ」

「だよなぁ」

「何せ果たし状が出ているもの」

「そうとなればやり遂げるだろうな」

「うん」

「マジかー」

 話せば話す程絶望的な内容にしかならない。

「じゃあマジでどうする? 五日間ここに居続けるか?」

「それは止めといた方が良いと思う。五日間の内に魂を頂戴するって言ってる以上、何かしらの対策は取ってくると思うよ」

「なんせ冷酷無比なんだろ? あの組織。下手すりゃ寛次達を人質に取るかもしれん」

「「そんなの駄目!!」」

 ふとこおろぎさんと声が被って「ん」と顔を見合わせた。

「そうしたらいずれここを離れなきゃならんのだが――問題はその後だ」


「即ち、来るのか、で来るのか」


「ふーむ……十分な用意が出来てない内に不意打ち喰らったら非常に迷惑だ。下手すりゃ死ぬぞ、次は」

「とはいっても出現を予言するなんて出来るのか?」

 ここで暫し一考。

 ポツリと黒耀が呟いた。

「んー……名前さえ分かれば……」

「名前?」

「ん、ほら。ウチ、『記憶の宝石館』だから。名前が分かればその人の記憶を覗く事が出来るんだよ」

「ひえー、なるほどなぁ」

 小首を傾げたこおろぎさんに説明をする。

「それじゃあソイツの名前を探り当てて記憶を覗き見すれば……」

「これからの予定、及び弱点。更にはどうして君達を狙わなくてはならないのかというのも分かる」

「おおお」

「あ、でもでも」

「何だ? 和樹」

「もしさ、見つけ次第こっちに挑みかかって来てたらどうする? その、予定とかじゃないとしたら」

「あ、確かに……」

「計画があったとしたらかなりこちらの内情が知れていることになるが……」

「そんなのは物理的に無理だね」

 話が振り出しに戻った。

「それに名前を知る為には最低一回はアイツに再度接触する必要があるぞ」

「あー、どっちみち戦わずして勝つは無しかあ」

「というか何を以てして勝ちになるの?」

「そりゃあ退けたら、だな」

「つまりは君達を殺す事に彼らが無意味を見出さなければ永遠につき纏われるって訳か」

「嫌すぎるよぉ!」

 しかも物凄い難易度じゃないか!

 嗚呼、某リズムゲームの最高難易度の方がまだましだ! ――鬼だけに。

「じゃあ無理に戦闘を回避する事は考えないようにしよう。例えばあの『アメジストの少女』」

「ほう、座敷童も気になるか」

「そりゃ、彼女が出て来てから突然異空間に放り込まれたんだもの。気にならない方がおかしいでしょ」

「それに美人だったしな」

「……、……無限に小魚食って脳に早く血を回してあげてください」

「冗談だよぉ」

 泣いて縋りつく。

 うん、そうだ。こおろぎさんってこういう人なんだ。

「ナンパ小魚のことは置いておいて」

「何だ? それ俺の事か!?」

「確かにあの少女の出現タイミングとかは明らかおかしかった」

 華麗なる無視。

 横になってめそめそ泣きだした。

「とするとあの子が異空間の鍵を握ってるって事?」

「んん、まあ……。そう考えてもおかしくはないんじゃねぇか?」

「じゃああの子が現れたら警戒すれば良い、と」

「しかし、さっきの和樹じゃねぇけどよ。それこそまぐれだったらどうする?」

「まあ、確かに……」

「それに、あんな小さな女の子が死神の一味だとしたら、それこそ大きな罠に見えなくもない」

「罠?」

「はにぃとらっぷ、傾国の美女っていうだろ。もしかしたらあの子が一番の親玉かもしらん」

「んんー」

 考えれば考える程ネガティブ方面に想像が膨らんでゆく。

 話せば話す程心配を深めていくだけで、決定打となる証拠は全く無いのだとようやく悟って、そこで会話を切った。

 疲れ切ったこおろぎさんが仰向けに転がり直してふうと息を深く吐く。

「それじゃあ仕方ないから僕、ウチの書斎漁ってみる。死神関連で何かはあるでしょ。二人は今の内に体力を温存してて」

「了解、そっちは任せた。ぐうたらは任しとけ」

「そいじゃあ俺は推し金花を補給してこようかな」

「アンタは『怪異課』に相談だろ! 果たし状を持っていけ!」

「ああああ、冗談だよおお……」

 黒耀に足を引きずられてトッカは退場していった。

 ああ言ったけど多分音葉池に寄ってくな、間違いなく。

「……」

「……」

 静かな部屋に二人残った。

 騒がしい二人が居なくなると途端に口が重たくなる。

「こおろぎ、さん」

「……ん?」

「疲れたね」

「そうだなぁ」

 ……。

「こおろぎさん」

「何?」

「あ、助けてくれて、ありがとう」

 ふと、目を見開いた。

「今度は俺、頑張る、から。頼りないけど、何かは出来るようになるから」

「……」

「だから、あの、えっと。ええ、頑張るから」

「……、……ふ」

 不意に口元で笑んで、身をふらりと起こし、俺の手を引いた。

 酒のにおいに包まれて、優しく抱き締められた。

 こおろぎさんは、とっても大きかった。

「大丈夫、大丈夫。お前はやれば出来る子だ」

 耳元に囁かれた低い声がくすぐったくって、背中をとんとんと規則正しく叩く手が温かくって、何だか


 ――これ、大丈夫の魔法だ。


「ほれ、和樹。婆ちゃんに呼ばれてるぞ」

「ふぁ」

 ふと気づいたら外はさっきよりも随分暗い。蒸し暑さが引いて過ごしやすくなる時間。

「あれ、寝ちゃってた……?」

「ははは、そら寝よだれ垂らしとるぞ」

「んぐ!」

 慌てて口元を拭う。

「ほら行ってこい。俺の卵がゆが俺の事待ってるんだ」

「給仕さんみたいな扱いだなぁ、大人でしょ?」

「とはいえ仕方ねぇだろ、病人だし、何より今回は俺がお客さんなんだから」

「むう」

「ほら、俺の卵がゆを頼んだぜ。ウェイター和樹」

 にいと笑って舌なめずり。

 背中をばしっと叩いて向こうにやった。

「いった! もう、ウェイターじゃない!」

「和樹ー! 早くおいで!」

「ああ、もう! はあーい!! 今行くー!」

 寝た後特有のちらちらとした覚めた感覚を喉の奥に感じながら台所に走っていった。

 湿気は凄いけどまだ涼しい廊下にはあったかい湯気と卵のとろけた良い香り。


 * * *


 その夜。

 何故だか寝つけなくて、布団を抜け出し、ふとあの座敷を訪ねた。

 母さんと接点のあるこおろぎさんが何だか物凄く気になったっていうのが本音だと思う。

 そっとふすまを開けると彼は布団に居なかった。

「こおろぎさん?」

 か細い声で呼びつつ座敷に入るとその人は縁側に腰を下ろし、月を見ていた。

「……」

 寂しそうな哀愁漂うその背中に声はちょっとかけづらかった。

 ――つと。


「見せばやな雄島の海人あまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず」


「和歌……?」

「ん。和樹、起きてたのか?」

「あ、まあ。ちょっと寝つけなくて」

「ふうん。じゃあ眠くなるまでここに居なよ」

 そう言って自分の近くをぽしぽしと叩いた。

「うん」

 遠慮せずに駆け寄る。


「ねえ、こおろぎさん」

「ん?」

「母さん、どんな人だった?」

 瞬間、ちょっと眉を悲しそうにハの字に曲げた。

「……素敵な人だった」

「優しかった?」

「優しくもあり、厳しくもあり、かね。全くお前のお父さんが羨ましい」

 はにかんだように笑ったその顔に我慢できず、零れ落ちるように聞いてみた。


「……好きだった?」


「……」

 ふと口をつぐんで、また月を見上げた。

 そのまま暫く時間が経った。

 ――ちょっと意地悪だったかな。

 謝ろうと思った矢先、薄い唇がぱくっと開いた。

「そうかもな」

「……」

「でも、もう今は分からなくなっちまったよ。どれだけ大事だったのかとか、どれだけ入れあげたのかとか」

「そうなの?」

「んー。そうだな」

「へえ……」

「和樹はどうだ。好きな子とか居るのか」

「……内緒」

 腕に甘えるように抱き着いて涼やかな滑らかな風を顔に受けて――。


 ――次目を覚ました時はこおろぎさんの為に用意された布団の中だった。

 東のもやけた空に日が差して、小鳥が鳴く。


 夢?


 朝ご飯の目玉焼きの匂いが既に心地よく香っていた。


(つづく)

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