肆――夜の森の強敵

「良い夜ですね」


 に、と笑んだ男は直後すたっと地面に降りてきた。その一つ一つに無駄が無い。

 何者……?

「特にそちら……河童はまだ神棚に飾られて居ないのですねぇ」

 じろりと一瞬見開いた細い目にトッカがぶるりと震えた。

「アイツ……!」

「何、知ってるの?」

「金花の事件の時、こっちの池に来た方だ!」

「何だって!?」

 じゃあ、アイツは――。


『今回の騒動の黒幕は死神だ、しかも二人組。お相手は茶髪の髭と考えて全く問題ないだろう』


「死神の、もう一方の方……!」

「んふふふ、とうとうそこまで辿り着いて頂けたのですね。知って貰えるというのは例え承認欲求人間でなくとも嬉しいものです」

 終始笑顔で穏やかそうなんだけど、それが糸目によるものだと気付くまでにそう時間はかからなかった。

 直後、腰に提げていた物騒な大太刀を引き抜いたからだ。

 月光に銀が鈍く反射する。さぞよく切れる事だろう。

 ドライな言い方も相まってその冷酷さを嫌という程こちらに突き付けてきた。

「お前、何者ナニモンだ」

 こおろぎさんが俺達を庇う様に前に出ながら静かに言い飛ばす。

 その質問に小首を傾げつつ彼は

「先程から死神と言ってますよね?」

とだけ言った。

 仕草だけは可愛いんだけど、その他の要素が全く可愛くない。

「そうじゃねぇ、名前だ名前。先ずは名乗るのがことわりだろうが」

「すみません、武士道はあいにくながら持ち合わせていないもので……」

「知ってんじゃねぇか!!」

 こおろぎさんのキレのあるツッコミに糸目眼鏡は袖で口元を押さえふふふと笑った。

 な、何だか楽しそうだな。

「じゃあ取り敢えず名前は良い。――目的は」

「勿論、貴方方の魂を頂戴する」

「ほう? 神が容易く生き物の命を蹂躙しても良いのかね。死神も変わったねェ、以前は魂の安寧を約束する者として称えられていたはずだが」

「はは、それならばどうぞご安心を。こんな事、貴方方限定ですので」

「やれやれ。こちらには人権すら認められていないのかね」

「未来の命の人権を守る為に貴方方に死して貰うのですよ」

「屁理屈、理不尽。正にこれだな。どんな最もらしい誰かの為の素敵な理由でも、それで命が簡単に奪えるとは思って頂きたくありませんな」

「なら実際に現場のビフォーアフターを見て頂くというのはいかがですか? あの世で未来観光といきましょう」

「はっ、御免だね。俺は生き延びるよ。その未来とやらは生きて見に行くんだ。誰かも言っていたけれど、俺が生きているのは未来じゃなくて今、だからさ」

「……」

 一歩も譲らない二人の言葉の応酬がふと止まり、男の眉が少しだけ上がった。

「……これは困りました。こうなったら最後、細切れにするしかありませんね」

 そう言ってデカイ太刀をびゅっと振った。

 しかしこおろぎさんはそれに怯む姿勢は見せない。寧ろ笑った。

「そのバカでかい太刀で、でか? なめられたにも程があり過ぎるな、その大きさと形状は馬上戦を想定しているものなんだよ。――こちらの鬼道の方が徒歩での戦いには向いている」

「……」

 男は表情を崩さない。

「それでもやれるってんならやってみろよ。こっちが返り討ちにしてやる」

「ふ」


 瞬間――ザ。


「……!」

「ほうら、切った」

 つ、とこおろぎさんのざらざらの頬に一筋の線が入る。

 そのすぐ横には日本刀にはおよそ似合わない「突き」の構えがあった。

「は……?」

 白い歯を見せて相手がにい、と笑んだ。

「あ、そうだ。言い忘れてたがな。奴、天国直属の風神さえ難儀してたから注意しろよ」

「ハアア!?」

 こおろぎさんが瞬間「ガチ」の顔で、付け足したトッカに迫る。

「そういうのは早く言えよ!! 威嚇した俺が馬鹿みてえじゃねぇかよ!!」

「や、余りに強気に出るもんだから、お前も知ってるんだと思っ、てた」

「知るわきゃねえだろうがっ!! 野生の世界では相手に負けを認めた瞬間食われるんだよ、それ位お前なら知ってるだろうがあああ!」

 河童の肩を揺さぶりながら涙目で叫ぶ。

 さ、災難続き。

 それを面白そうに一笑した後、相対する男が楽しそうに言った。

「そうら、いきますよ!」

「……! 下がれ!!」

 こおろぎさんが叫び、こちらを突き飛ばしたのとほぼ同時に男は太刀を戻して構え、踏み込み、青白い三日月を空間に記憶。後ろに退けつつ守護が如く構えたこおろぎさんの腕に濃い飛沫しぶきが爆ぜた。

「ぅぐ!」

 後ろ姿が大きく揺らぎ、右腕を強く押さえる。

 ぼだぼだとそれは地面に落ち、右手の指が微かに震えていた。

「こおろぎさん!」

「お前らは寄るな!」

 大声に、駆け寄ろうとした足が止まる。

 彼は二本の足でしっかりと地面を捉えていた。

「まだまだ、ですよね? それとももうお手上げですか」

「ンな訳!」

「それは良かった」

 瞬間彼の姿が揺らぐ。

 一迅、二迅、細かく振るい、大きな撃を叩き込む。

 それを青白い光がまばゆく跳ねた。

 腕からどくどくと絶え間なく流れる血を鬼道に転換したものだった。

 しかしその一撃でこおろぎさんの血がごそっと減ったらしく、体が大きくぐらりと揺れる。

 そこに刀を構えた男が再度突っ込んでくる。

「危ない!」

 黒耀が前に飛び出し、右手を青く発光させる。

Praesidio!守護せよ!

 膨大なエネルギーの放出がぶつかり、弾け飛ぶ。

 凄まじい反動たる爆風がこちらに砂塵と共に襲いかかってきた。

「当たった――!?」


 と思ったのも束の間、爆炎の向こうから大きく跳躍した男が飛んでくる。


「「……!?」」

 そこにいた一同が思わず息を呑み、目を見開いた。

 勿論感嘆とはかけ離れていて、かつ、それに近い物。

 真逆だなんて!

「ぐ――、【弾けろ】!!」

 こおろぎさんが死に物狂いの勢いで黒耀を抱き寄せて、直後前に突き出した右掌を握った。――瞬間刀の切っ先に付いていたこおろぎさんの血にエネルギーがほとばしり、刀の軌道を大きく歪める。

 転がり避けたこおろぎさんが黒耀の手を引きながらこちらに向かってきた。

 その後を太刀の男が間髪入れずに迫って来る。

「座敷童、目くらまし!」

「宝石だって安くはないんだからね!!」

 黒耀が懐にしまっていた黒い石――黒耀石を地面に勢いよく投げつける。

 途端、青白い閃光が飛び散り周囲を真昼のような明るさにした。

 今まで暗くてよく見えなかった木の幹の皺やこおろぎさんの頬に付いた絵の具の様な青色までくっきり視認できた。いつの間に相手の妖を傷つけていたのだろう……。意外と凄い人なのかもしれない。

「ぼさっとすんな! 和樹!」

「わわっ!!」

 と、勢いよく小脇に抱えられ猛スピードで離れた。

 ある程度暗い所まで飛び込むように逃げていく。

 しかし流石はフウさんを苦しめたとかいう男、直ぐに閃光を突破しこちらに勢いよく走り込んでくる。

「こっ、こおろぎさん!」

「あんだ! このくそ忙しい時に!」

「どうするんですか、これ!!」

「どうするって、こんなの逃げるしかねぇだろ!!」

「ええええ!?」

「くそう! 酒なんかがばがば飲むんじゃなかった!!」

「いや、今に限った話じゃない、よね!」

 黒耀が変わらず冷静に言った直後目の前に雷撃が柱のように地面に突き立つ。

「どわわわ!!」

「いざ、迅撃!」

 急ブレーキしたこおろぎさんの首目掛けて真っ直ぐ向かってくる。

「こんにゃろめが!」

 血塗れの右腕を突き出し、それで刀身を受け止める。

 ギイン。

 骨の芯まで響くような金属質の重たい音が鳴り響き火花が散った。

 鬼道が無ければこおろぎさんの腕は絶対大変な事になってたはずだ。

「ハァッ!」

 直後親指の肉を噛みちぎり黒々とした濃い弧を空間に描いた。

 右腕をさっきみたいに前面に突き出して爆発を起こし、男を遠ざける。

「【天網てんもう】!」

 後退した彼に向かってこおろぎさんが親指をくるむように握った右手を突き出し、その瞬間手を開くと網の様な光が男に覆い被さった。

「……!」

 驚いた男が刀を振るうがそれごと術に絡め取られた。

「チャンス!」

 こおろぎさんが俺達の背中を押し、励ましながら再び駆けた。

「早く逃げるぞ、元の場所明治街まで戻れば奴もそれ以上は攻撃しまい」

「でも一体どこへ!」

 瞬間、う、とでも言わんばかりの苦い顔。――そりゃそうだよな!

「は、走ってりゃどっかには着く!」

「それは知ってる!」

 まだ追ってきてはいないけれど、あの強さだといつ鬼道を突破するかも知れない。

 時間との勝負だった。兎に角ここから早く離れないと!

 その瞬間、黒耀がア! と言って向こうの方を指した。

「何だ!」

「やっぱアレじゃないの!? ほら、向こうの霧!」

「……!」

「通り魔事件」の時の事を思い出す。

 茶髪に髭の死神が異空間を作って、濃い霧から脱出したというのは記憶に新しい思い出だ。

 今回追ってきている彼も死神なのだからこの空間も同じ原理で出来ているであろう訳で……。

「「それだ!」」

 トッカと二人で叫んだ。

 それからは早かった。一直線に濃い霧に向かっていく。

 きっとあの時みたいに突如違う所に放り出される。そこにさえ辿り着ければ――!


 と、思った途端。






 ザシュ。






 え――。






「和樹!」

「ぎゃ!」

 目の前に――銀!

 こおろぎさんが襟首を引っ掴んでくれたから助かったけど、そのまま突っ込んでたら……。

 喉がごくりといった。吹き飛ばすように頭を振る。

 その時、ただでさえ暗い夜の森、頭上に暗闇が立ち込めた。

「おや、残念。顔が割れてない」

「ヒュ」

「次は外しませんよォ、少年」

 能面の様な笑顔が逆光で暗く、単調に眼前に現れた。

 冷たい月と、残酷な銀と、能面の白がを冷酷に突き付けてくる。

 固まりかけたその体を背中を押しながらこおろぎさんが動かした。

「走れ、走れ! あとちょっとだ!」

「温かな家庭から一番遠い場所に皆で行きましょう! きっと楽しいですよ!」

「何を無責任な事言いやがって!」

 付かず離れずを繰り返し、こおろぎさんと黒耀が何とか離している感じだ。

「あ、あとちょっと!」

 足はもう殆ど棒のようだったけど、ここで止まったら死ぬ――!

 心臓はもう破けそうだった。

 喉に錆でも飲み込んだみたいなざらざらが上がって来る。

 怖い、怖い、怖い、怖い!

「もう目の前だ! 突っ込め!」

 その瞬間、学ランがくん、と後ろに引っ張られた。

「ギャ!!」

「黒耀!!」

 叫んで急停止した瞬間反動が胸からせり上がって来る。

 今にも止まりそうな息とガンガン敲かれているような鼓動が苦しい!

 でも黒耀が!!

 男の腹の辺りにしっかりと抱きすくめられた黒耀、じたばたと藻掻き、何度も術を彼の腕に叩き込むがびくともしない。

「死が怖ければ私が一緒に死んであげましょうね」

 太刀が自我を持った様にびゅんと彼らの前に飛んで行き、その切っ先を彼らの腹の直線上に置いた。

「ホラ、二人なら怖くない」

 黒耀の顔が蒼ざめた。


「止め、て!!」

「死ね!!」


 細い目をぐわっと見開いた瞬間刀が――!


 目を思わず閉じたけれど、そのはいつまで経っても聞こえなかった。

 恐怖に目を開けられなかったけれど、その瞬間聞こえた微かに歯を食いしばるぐぎぎという音に何もかもを悟った。

 日本画の酒呑童子、平知盛、将門が如くかっぴらいた目で彼の男を睨みつつ、その左手は太刀の刀身を強く握りしめ、更に濃いだくをだばだばと土に与えるその男。

 刀を操る男とどうにかして太刀を黒耀に刺させまいと奮闘する血塗れのこおろぎさんが相対した。

 わざわざ刀身を握ったのは鬼道の範囲を無理矢理にでも広げて攻撃力を上げる――即ち太刀の推進力に無理矢理打ち勝とうとしたが為だ。

 でもこんな短時間であんなに血液を使ってしまえば!

「こおろぎさん!」

「アイツ……!」

 傍で聞こえた声に縋るように飛びつく。

「トッカ、何とかして、何とかしてよ!! じゃないと、じゃ、じゃないとこのままだとこおろぎさんが!」

「そうしてやりたいよ! やりたいけどこの状況じゃ危険すぎる、黒耀やこおろぎに当たってアイツには当たらない可能性の方が高い!」

「そんなの――」

 言おうとして口をつぐんだ。

 そうだ。範囲が広く、かつ攻撃力のある「爆発」を重視して彼らが男にぶち当てていたのはその為だ。――太刀筋の素早さや追いつくスピードから考えて、トッカの術は当たらないだろう。しかも無駄弾になるどころか味方を巻き込む可能性が高い。彼の術、「流水穿敵」は散弾の性質が強いのだ。

 それに霊力を一匹でも温存しておかなければもしもの時に全滅する可能性もある。それだけは何としても避けなければならない。ましてやこおろぎさんが絶体絶命のこの瞬間であれば、猶更。

 彼は決して怖気づいた云々の理由で撃たないのではない。

 無闇に撃ってはまずいのだ。

「ア――アアアアア!!」

 その絶叫に思考から引き戻された。

 瞬間太刀をこちらの腹に突き刺そうとしていた男の術から太刀を引ったくり、こおろぎさんは両手をばちっと合わせ、黒耀を尚も抱きかかえ、そのまま逃走しようとするそぶりを見せた男の顔前がんぜんに突き出した。

「返せエエエエエ!!」

 某西遊記風漫画が如く。

 合わせた掌を開いた彼のそこから凄まじい爆炎が展開し、男を直撃。

 堪らず彼は防御の姿勢を取るが大きく飛ばされた。

 体をぐらりと危なっかしく傾かせながら

「もういっちょぉ!」

と叫び、


【天、網! 恢々かいかい、疎にして漏らさず!!】


 またあの時のような光の網を彼の男に向かって飛ばした。


 が。

 限界寸前で放ったからか学習されたからか、網は男に当たらず脇を飛んでいき、放った当の本人は突然眠るように後ろにがたっと倒れ込んだ。

「こおろぎ!」

 トッカが小さな体で大きな体を抱き留める。

 流石は相撲が得意な妖怪、河童。突然飛び込んできた重たい大人の体にも関わらず――足は引きずりながらも――出入口たる霧に向かって速度を落とすことなく突っ込んでいった。

 それをさせまいと追う男。

 細い目をこれまた鬼の様にかっ開いて一直線に突っ込んでくる。

 その途端黒耀の耳飾りが水色に変化した。


「これ以上ボクの友達をいじめないで!!」


 叫びながら両掌を地面に突き立てる。

 向かってくる男の目が先程とは違う見開き方を見せた。

 直後地面に青黒い巨大な魔法陣が展開され、男をナナシが睨んだ瞬間無数の陰が男目掛けて飛んで行った。

 彼の男が余りに圧倒的なその量に隠れて見えなくなる。

「和樹、早く霧に!」

 その隙にナナシが俺の手を取って勢いよく走っていく。


 そして――。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る