拾伍――おかえり、よろしく

 * * *


 ――ふと目を覚ました所は桃の花咲く木に囲まれた草原。

 周りを自身の耳飾りの模様と同じ無数の蝶がひらひら舞っている。

 その景色は本棚の奥、中国文学の中でよく見たその憧れの景色によく似ていた気がした。


「桃源郷……?」

「黒耀が桃源郷なんかに行ける訳無いでしょ、ばーか」


 くるりと上の方を向くようにして振り返り、その目と目が合った。

「ナナシ?」

「おはよう、寝坊助さん」

 ゆるりと笑んだ。


「どうしてここに?」

「ん」

 素っ頓狂な声を出して暫し一考。

 その後不意にしゃがんで目線を合わせてきた。

「この生活にお別れを言おうと思って」

「お別れ……?」

 何か嫌な予感がしてその顔をよくよく覗き込んだ。

 驚く程清々しい、晴れ渡った様な顔をしている。――どこかで見つけたい暗雲も曇天もそこには無かった。

「黒耀。ボクらが出会った日の事覚えてる? 君がボクのこと自由にしてくれたあの日」

「……」

 嫌でも覚えている。

 口から「陰」を吐き出した時、限界を感じた。

 従業員の為にも町の人達の為にも、どうしても「それ」になる訳にはいかなかった。

 制御の為にはそれに特化した個体が別に必要だ。「奴」との接点を一身に担い、しかしその体を永遠に奪われない、「命なき」個体。

 ――今ではとんだ自己満だったと後悔している。

 彼も生き物だったのに。

「自由って不思議。何でもくれるね。喜びも深呼吸も悲しみも反発心も」

「そうかな」

「そう! ジャンケンの勝ちも!」

 そう言ってピースなんか構える分身に少し笑った。

「気付きもくれたよ、出会いもくれたよ」

「……」

 意識を失っている間に何かがあったらしい。

 彼が彼らしく居られるようになる、そんな何かが。

 ふと、彼が手を取る。


「黒耀、ボク、君の傍にずっと居る事にした」


 目を見開く。

 自由を渇望した影法師が言う台詞とは思えなかった。

 罪だらけの汚い自分に言う台詞とは到底……。

「生き物っていつだって、どこかで繋がりを求めているんだよね。――ごめん、やっと気づいたよ」

「そんなの……知らない」

「うふふ、何だ、やっぱり似た者同士。立派だとか思って損しちゃった」

「ナニソレ!」

 なんだか顔を真っ赤にして怒ってみる。

 繋いだ手と手が温かかった。

「ボクら、生きてるからさ。誰かから何か認めて欲しくて堪らない」

「……」

「ボクら、大事にして欲しくて堪らないし、もっと悲しみも喜びも前面に押し出したくて堪らない」

「……」

「抱えた苦しみ誰かと分かち合って恐怖に枕を濡らす日々卒業したい」

「……」

「へへ、涙拭きなよ」

 左頬を拭った右手にぎょっとして手を添える。

 いつの間にそんな優しさを持ち合わせたのか。

 目の前の分身がいつの間にか大きく見えた。


「――ハグして」

「良いよ」


 口を突いて出た言葉に自分で驚きうろたえ、それでもその甘みにとろけたかった。


 きっとこんな事って自分の腕で自分自身を抱きしめてるだけなのかもしれない。

 それでも何か、何か。

 全てを委ねる事の出来る相手が居る事にその幸福を覚えずにはいられなかった。

 自分を心配してくれる誰か。

 自分を好いてくれる誰か。


 いつの間にか遠ざけていたものを彼は再びくれたのだ。


「ね、ボクらいつでも傍に居よう、励まし合おう、慰め合おう」


「どんなに世界が敵に回ったってボクらだけでもずっとずっと傍に居よう」


「そして呪いが解けるさよならのその日には」


「また、別々の人として、友人として――否」


「親友として、一番に再会しよう」


「それまでは君のこと、ボクが守るよ」


 彼の温かい腕の中で目を閉じた。




「魂、返すね」




 ――、――。


「黒耀!」

 目が覚めた時、自分を覗き込んでいた皆の顔が花咲いたのを一番に見た。

『主人!!』

 筆で紙いっぱいにそう書いたレトロカメラが瞬間ダイブしてくる。

「重たい! 角が痛い!!」

『てっきり死んだかと思ってお線香選んでたんです』

「勝手に殺すなよ! さっきの感動返せ!」

 それに一間は大笑い。

 その中にふとその影が居ない事に気が付く。

「あれ、ナナシは――」

「ん? 黒耀は知らないの?」

「どういう事?」

「さっき、君の上に覆い被さって発光して、溶けるように消えたんだよ」

「え……」

「何が起きたのか教えて欲しかったんだけど……本当に知らないの?」

 首を傾げた和樹の言葉にハッとなってで聞いた彼の言葉を反芻する。


「一緒に居る事にしたんだ」


「一緒に?」

「どういう事だ?」

 トッカが身を乗り出してくる。

「あいつの気分次第では僕の代わりにあいつが君達の助けになるってことだね」

「へえ……入れ替わったりするって事?」

「ヨロシクね」

 そう言ってが手を差し出したのを見て和樹が仰天した。

 ――いや、も仰天したけどさ。

 やっぱりアイツは自由だよ、本当に。

「え! 耳飾りの色が変わってる! 凄い!」

 面白い。

「よ、よろしく! ナナシ、黒耀!」

 がっしり握手。

 そのあったかい手は柔らかくて、自分が一生懸命背中を追いかけた「兄」を思い起こさせた。

 ――彼ならばボクらの傍に居てくれるに違いない。


 ふとそんな確信めいたものを予感して、思い切って言ってみる事にした。


「ねえ、和樹。君のお札頂戴」


 * * *


「え、良いの。良いの」

 何だか興奮して何度も何度も聞き返してみる。

「そんなに疑うならあげないけど」

「嘘嘘!! 頂戴頂戴!!」

「犬みたい」

 そう言って鼻で笑いやがる。

 い、い、犬!?

「犬なんかじゃない!」

「お座り、お手」

「しなーい!!」

 この反応に堪え切れなくなったか、けらけら大笑い。

 こ、この野郎!!

「アハハハ……君中々に面白いよ、やっぱ。ずっと見ていたい。ホラ、受け取って。僕達の口先だけじゃない、魂の契約だよ」

「……!」

 背筋を伸ばしてそれを受け取る。

 表面には「黒耀」と書いてあった。

「それ裏返したらいつでも行くから」

 そう言ってにぃと笑う。

「ありがと」

 ――ん、あれ。

「ねえトッカ」

「ん?」

「あの時さ、その、奴にキモい事された時」

「表現どうにかならんのか」

「ならない。――じゃなくてさ、あの時、言われるがまま札ひっくり返したけど、それってひっくり返したら召喚が出来るって事?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「聞いてないよ。札をひっくり返すと封印されたのが出て来る位しか聞いてない」

「ふんふん、そりゃあ悪かった」

 かっかっかと笑い出す。

 ――野郎! それを先に教えてもらってたらあんなキモい事されてなかったかもしれないじゃないか!

「そう睨むな」

「睨みたくもなる」

「だって言わずともそれが分かったって事はお前に『はらい者』の素質があるって事じゃないか」

「ほぅ、確かに! 俺凄い!」

 だからねぇ、途端にころりと意見を変えた俺をこらえたような笑いで見てくるのを止めなさい、トッカくん。

 頭をぐりぐりしてやった。

 ――、――。

「ぐふん」

 気を取り直して咳払い。


「それじゃ改めて聞くぞ、心は決まったのか」


 真っ直ぐ見つめてくる。

「これから沢山の難題や恐怖が降りかかってくることだろう」

「……」

「勿論奴との勝負が決まったわけじゃない」

「分かってるよ」

「それでも、はらい者でいられるか? 準備は出来てるか?」

 目線を下にやり、少しだけ考える。

 でも。

「……、……何を今さら。もう決めちゃったし、二人と契約もしちゃったし。何よりあの時、(仮)の呼称取るってナナシに約束しちゃったし」

「……」

「もう、戻ないよ」

 黒耀が目を伏せ、じんわりと笑った。


「俺は、はらい者だから」

「安心した」


 トッカと見つめ合って、笑いあう。

 そうだ。これは決められた事でもなく、俺の意志。

 自分でなると決めた、ただそれだけ。

 大丈夫。仲間がいる。支えがある。

 やっていける。


 俺は皆を救いたい。


「それじゃ、私からも祝いをやろうかな」

 そう言って隅っこに座ってたフウさんがよっこらせっと立ち上がる。

 ――え、真逆!

 け、契約……!?

 あの、戦闘バリバリ出来る天国直属の神様と!?

 契約!?

「え、え! ほ、ホントデシュカ!!」

「声が裏返っている」

「面白い奴だ」

 そこの二人、煩い!

「ほーうら、手を出し給え!」

「はっ、ははぁ!!」

 やった!! フウさんと契約――。


 ――ちょっと待てよ、俺、フウさんに札渡したっけ。

「ほい」

 そう思った瞬間手に乗ったのは名刺。

「……こ、これは」

「我々『怪異課』は今回の事件を契機として今後もあいつを追う事とした。よって見かけたらこちらの番号まで」

 ちょ、直通番号……。

 嬉しいような、がっかりなような、何と言うか。

「何だ、お前。もっと嬉しそうな顔しろ!」

「あびゃびゃびゃ! はおひっはららいれ(顔引っ張らないで)!」

 な、何はともあれ心強い後ろ盾も出来た!

 心強い! 心強いからそろそろ離して!!

 その状態のまま何分か膠着状態だった所を座敷童が「おーい」の呼びかけで止める。

 突然話しかけてきた座敷童にフウさんが手を離して反応する。

 い、いちゃかった……。

「ん?」

「それにしても凄いね、フウ」

「……今どっちだ」

「ナナシー」

「――で、何が凄いって?」

「あんな凄い攻撃受けても尚、ボクら担いで持ってこれるなんて」

 感心したようなその顔にハッとしたような顔をした。

「そうそう! お前達に言わなくちゃいけない事が――って、あれ。どこ行った?」

「な、何?」

「あ……いや、さっきまでここに居た奴がさ、助けてくれた……」

 そのままぽかんと空を見つめるフウさん。

 そんな彼女にレトロカメラさんが筆談で語り掛ける。

『情報屋であれば先程用事があるとかないとかで退出しました』

「え、それってあの偽物?」

「いいや、本物だ」

「本物!?」

 ハッと、ガラス戸の向こうに煙草の煙が見えた気がして飛び出――

「いってええ!!」

――そうとして左足を抱える。

「おいおい気を付けろ」

 何だか数時間前より大分酷くなった気がする左足をずるずる引きずって外に出る。

 しかしその姿はどこにも見当たらず、喧騒を取り戻しつつある商店街があるばかり。

 本物はどんな人か、知りたかったけれど。

 この足で走り回るのは絶対に無理。

「……」

 息を深く吸い、吐いて空を見上げた。


「また会えるかな、何だか分かんないけど、お礼が言いたいよ」

「会えるだろ。はらい者は繋がりの中にある仕事だ」

 ふと横に立ったトッカがぽつり。

「……、そうだね」


 そうして振り返って、ふと気づいた。


 そこのベンチにケーキ箱が置かれている。

 中にあったのは甘い匂いのケーキ。緑色のコーティングで覆われている。


「ケーキ?」

『プリンセスケーキですね! 早速お茶にしませんか』

 レトロカメラさんがうきうきとした様子でその箱を持ち上げる。

 その時、メッセージカードが落ちた。


 そこには――。


 May your new life be full of joy and happiness.


(つづく)

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