終話――シナリオブレイカー
* * *
「シナリオブレイカー……」
煤にまみれた腕を払いながらその男は木にもたれかかり、ぽつりとそう言った。
右目を隠す長い茶髪がさらりと揺れる。
鷲の瞳には少し疲労が浮かんでいた。
人生に起こり得るその全ての「運命」を書いた本がある。運命神と死神の長以外にそれの改稿は許されない、その本の名前は「運命の書」。
その書に従って「彼ら」は命を刈り取り、また、謀り、運命に逆らおうとする者達をその名の下「澱み」の中に叩き落してきた。
それが「運命の守り人」――死神。
男はその超縦社会一の武力を誇る者だ、いつか噂になった一人で千人をも相手に出来る、その男である。
そんな彼がこんなに疲れ切っている訳はただ一つ。
運命の書を無理矢理書き換えやがった人物がいるのだ。
それがシナリオブレイカー。
タイムマシーン等を使っても絶対に覆らないはずの運命をどうにかして活路見出し、一転、幸福な人生若しくはどん底の人生に変えていく者。
現在そうだと言われているのは二名。――「千年を生きた機械人形」と「境界を穿つ者」である。
彼にはその二名の処分が命令されている。
前者はもう突き止めてある。しかしその抹殺計画を図る度に彼は自死を決行し、新たな個体が追って登場する。
いくつもの名前といくつもの顔があり、その正体は依然として知れない。
余りにも厄介、しかし仕留めることが出来ない。加えて彼は「シナリオブレイカー」である。
時間の無駄と判断し、一度標的を変える事にした。――境界を穿つ者。
幾つもの調査を重ね、つい最近、予測程度ではあったが特定をした。
それが今回の一件で少しずつ確証に近付きつつあった。
その名は――。
〔首尾の報告を〕
突然脳に響いた通信に思考を遮られる。
聞かずとも分かりそうな結果を逐一要求する相棒に苛立ちを覚えつつ、仕方のない事と割り切り、その通信を受け取る。
〔聞かんでも分かるだろ〕
――棘だけは生やしておいた。
〔失敗ですか〕
〔じゃかしい〕
〔……貴方らしくない〕
〔誉め言葉と捉えて良いのかね〕
〔ご自由に〕
喧嘩は絶えないが仲は良い。良くお酌を共にする。――大抵彼が先に潰れる。
この男が「狡猾」ならば
その男は「冷酷」であった。
〔状況の報告を願います〕
〔
〔……報告を〕
向こう側で電気の小さく爆ぜる音がして慌てて身を起こす。
怒らせると怖いのがこの男である。
〔「運命の書」の改変が起きた! 今日消滅するはずだった座敷童が今も生きてる! シナリオブレイカー二名が首を突っ込んだからと思われる! 以上!〕
〔それはお気の毒様です〕
〔おい、ぶっ飛ばすぞ〕
にこやかに言うんじゃねぇ。
眉間に皺を寄せた。
〔――それにしても〕
勢いで切ってやろうかと思った矢先、向こうが話題を変えてきた。
切るに切れぬ。
〔その言い方……「境界を穿つ者」の特定が完了したのですね〕
そこは褒められても良いと思う。
〔まぁな〕
渾身のどや顔をしてやった。
〔しっかりとした確証が取れた訳では無い。しかし十中八九そうと言えるだろう〕
〔名は〕
〔ほんの十三の餓鬼だ。名を山草和樹という〕
〔……始末は簡単そうですね〕
〔相変わらず血の無い野郎で結構なこったな〕
げらげら笑う。
〔まあ、始末は早い方が良いだろう。野郎、はらい者の就任が決まった〕
〔護衛が増えれば面倒ですね〕
〔良いさ、一匹ずつぶっ潰していけば〕
〔何と容赦のない言い草。――貴方の涙ははらい者の前では乾ききっていますね〕
〔勿論。大嫌いだ、あんな奴ら〕
彼の楽しそうな物言いに対し、苦虫を嚙み潰したような顔をしてケッと唾を吐いた。
この男は彼らに対して余り良い思い出が無い。
〔それで……次の作戦ですが〕
〔知ってる知ってる。人魚だろ〕
〔――おお、恨みの力〕
〔怨み、な〕
その漢字ならばどうにかなる。立心偏では駄目だ。叶わない。
〔この妖繋がりなら河童も食えるぞ〕
〔ふふ、それは素敵〕
また楽しそうに言いやがる。
冷酷と呼ばれる所以だ、揺るぎなく。
〔そっちはじゃあ任せて良いか、
〔お任せを。貴方は人魚の始末を頼みましたよ、
〔任せとけ。――今度こそはやってやるさ〕
通信に終わりの気色。
そこでふと斧繡鬼が思い出したようにあ、と一言漏らした。
〔何ですか?〕
同時に頭痛がしてきた。今日は長電話だ。
あんな野郎とではなく女の子が相手ならばもっと楽しかっただろうがそこは堪える。
本拠地に帰れば嫌でも補給が可能だ。
可愛さとは癒しである。
〔斧繡鬼? 切りますか?〕
……話が逸れた。
〔すまん。今日さ、良い人材を見つけてさ〕
〔――ほう?〕
乗ってきた。食いつきが良い。
〔「執着」。お前もその名は聞いたことあるだろ。地獄の底に繋がれていたあの厄災だ〕
〔……!〕
向こうで息を呑む音が聞こえた。
〔良いよ、アイツ。絡むとこ初めて見たけど――野郎め、飢えていやがる〕
この世界では口づけが最上級の愛であると――子ども向けの恋占い程度ではあるが――まことしやかに語られている。
それを粘着的に連発するあの様子に彼は一つ何かを見出していた。
ちろりと舌なめずり。
鷲の鋭さと肉食獣の獰猛さがそこに垣間見られた。
〔アイツ、上手く利用できないかね〕
〔ほう〕
興味深げな声が向こうで聞こえた。
〔それは良い〕
――「運命の書」とはいわば彼らの
「機械人形」の方を放っておけるのは、それでも彼が周囲の人物相関等々のバランスを取りつつ行動が出来るからである。
しかし「境界を穿つ者」はそんな事に配慮できるとは思えない。
自身の影響力等つゆ知らず。彼は自由に生きつつ、本を笑顔で破っていくに違いない。
しかも一人の死が覆された。魂管理の点から見てもこれは非常にまずい事態となる。次を生きる命にとってそれは大惨事だ。
「待ってろシナリオブレイカー。明日を拝めると思うなよ」
殺気らんらんとした瞳が虚空を捉えた。
戦斧に鈍く月光が反射する。
〔それでは帰還してください。作戦を練らねばなりません〕
〔ケッ、偉そうに言いやがって。年上を敬うって知らないのかね〕
〔すみません、儒教に明るくないので〕
〔知ってんじゃねぇか〕
青い人魂に溶け、男は消える。
まだまだ話は始まったばかりだ。
(第一話 了)
(第二話へつづく)
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