捌――記憶の宝石館ニテ

「イテテテテテ!」

「こらえろ、必要なんだ」

 男だろって言われたらどうしてやろうかと思ったけど必要と言われたら何かどうしようもない。

 全国のお母様お父様方、参考にして下さい。

「どうだ。一応固定したが……」

「うん、何とか平気」

「一安心だな」

「ありがと、トッカ」

 それに河童は柔らかい微笑で返した。

 シップが心地良い。

 これにトッカが慣れているという事は即ちそういう事だけど、それに救われたのもまた事実。

 腫れが引くまで数日かかるらしい。

 それまで絶対安静だって。――もう不可能な気が今からしてならん。

 ん? ええそうです、主人公の勘です。

「そっちはどうだ?」

「あったま痛い……」

「よしよし、よく頑張ったよ」

 怜さんによりかかって右掌に包帯を巻いた黒耀が気分悪そうにしている。

 その肩を頬にかすり傷を作った情報屋が優しく叩いてた。

 あの後、勢いよくスピンをしながらまるめろ商店街横のコンビニの広い駐車場に突っ込んだ乗用車。その先にある千田川の河原に落ちるか落ちないかという所で車は見事停止。個々が何かしらのダメージを負ってはいたものの全員何とか無事に帰還した。

 本当に、本当に死ぬかと思った……。

 周りの人は目をぱちくりさせてたけど命がけだった俺達からしてみればそれは些細な事。

 駐車場に残った黒い二本のブレーキ痕は俺達の生存証明だ。


 そうして目的地の「記憶の宝石館」に至る事になる。ここまで辿り着くのがどえらい大変だった。

 大きな大学の図書館みたいな壁一面の本棚、凝った装飾品。まるめろ商店街の隅っこに恥ずかしそうに建つ小さな洋館。そこにふらりと出掛けるだけ。それだけなら全然、五分もかからないはずなんだけど。

 感覚的には一時間とか大いにかかった気がする。

「全然通り魔のレベルじゃないよ、あれ……」

「俺だってあんなの初めてだ」

 俺の呟きに呼応してトッカが言う。

「ん、こんなに大掛かりなのは初めてなの?」

「じゃないと『通り魔』なんて言ってねぇだろうが」

「そっかぁ」

 そうだよね。あんなのが毎回起こってたらとんだ騒ぎだもん。

 言うならば神隠しとか、そういうのだろう。

「これは事件の概観を整理をし直す必要がありそうだね」

 ふらふらとまだ足元がおぼつかない黒耀が本棚のひとつからファイルをいくつか取り出す。

「おい、お前……」

「もう平気。これだけ休めば大丈夫」

「でも――」

「ありがと」

 その微笑に情報屋の手が空を彷徨った。

「さて。和樹も仲間に加わった事だし、一から見てみよう。レトロカメラ! お客さんにお茶をお出しして! ――小沢氏は残る? 帰る?」

「……残る」

「じゃあ、四つだね」

 それから少しして本棚の間の通路――というより元々あった通路を挟むように無理矢理本棚が嵌められたような印象だけど――の奥から昔のカメラを頭に被った人が出てきた。あの、布を後ろに付けた「レトロなカメラ」。

 通称レトロカメラさん。いわゆる異形頭だという。この店の数少ない従業員。

 店主が座敷童で従業員が異形頭。もうこれだけで門田町らしい。

 俺達がそれぞれ席に着いたのを確認してから彼はお盆に乗せたプーアル茶と手作りのバタークッキーを出し、店主の隣にちょこんと座った。

「中国南方でよく飲まれるお茶だよ、ほうじ茶に味が近いんだ。是非飲んで、レトロカメラのお茶は僕が一等保証する」

 彼のさり気ない賞賛に照れたように頭をかいた。可愛い。


「さて、始めようか。一番最初の通り魔事件の報告は約二十日前、有平地区にて発生した」


 地図が広がる。そこに赤いマーカーでどんどん印を付けていく。

「次が千田窪、立石、短久保……」

 門田町の上にどんどん赤いマークが付いていく。

 規則性なんかは全然無く、満遍なく付いてるって感じ。

「これが初めの七日間。そしてその次の日から場所が隣にシフトする」

「明治街?」

「そう。まずは武岩、西郷、下畑……」

 今度は黒いマーカーで印がどんどん付いていく。

 とても広い街だけどこちらも印が満遍なく付いていった。

 北から南、東から西、都から田舎、山の上から平原まで。

「これが次の十一日間で行われた通り魔事件。そして最後の二日間が二件」

 ここで黒耀が青い小さな円シールを二枚剥がして立石地区の上にぺたぺたと貼った。

「君が出会った二件、それがこの二つだ」

 溜まった唾をごくりと飲み込む。何か寒気がする。

「この通り魔事件全体に共通する特徴は陰の出現だ」

 新しく取り出した広告の裏に黒耀がマーカーでポイントをどんどん書き込んでいく。

「ただ、一番最初は通り魔とも言えないようなものだった。ある日の帰り道で何か気配を感じた女子生徒が後ろを振り向く。すると彼の悪霊が後ろで呻きながら這っていたって訳」

「何か悪戯みたいな、心霊現象みたいな、都市伝説みたいな、何というか……」

 言っちゃえばビミョー。

「そう、それだけ見れば本当にビミョーな事件なんだが『陰』の存在が問題で」

「あのスライム人間みたいな奴?」

「そうそう。あれは黒魔術の一種でさ、心臓付近にあれが触れると

「ハァ!?」

 明らかびっくりした声を出す怜さん。

「じゃあ好奇心旺盛な子どもとかが触ったりしてたら……」

「勿論危険。だから僕らが動いたんだ」

「何せはらい者がいなかったからな」

 悪うございましたねぇ。

「それが通り魔事件になったのはいつ頃からだ?」

「僅か二日後。会社員の足が掴まれた」

「……!」

 場の空気が強張る。

「オイオイ、いきなりだな……」

「しかし、それでも大事には至らなかった。被害者の体に触れたり鞄を奪ったり金品を掠め取ったり……それでも人の命までは取られなかった」

「なるほど、だから『通り魔』なんだね」

「そう。そしてそれが十六日間続き、このまま野ざらしにしておくのもヤバいかもしれないと思った俺達は二日前、次郎吉の残した言葉に従ってお前に会いに行き、捨てられ――」

 そこぶり返さなくて良いよ!!

「――ここ二日の大掛かりな事件に発展した」

 トッカのその言葉を最後に沈黙が流れる。

「するってぇと」

 それを破ったのは怜さん。

「最初の十八日間、事件は無差別に起こり、そこで山草にはらい者の要請」

「うん」

「そしてそれを境に通り魔が酷くなった、と」

「調べに漏れが無いって断言できる訳じゃないから定まった事は言えないけど……それでほぼ間違いないと思う」

「ほーん。まるであれだな」



 ぴっ、と指差された。

「え」

「なあ少年。この二日間はお前にだけ事件が集中している。更に言えばどちらもそれまでの前例とは桁違いの本気の出し方をしている」

「そ、そう言えば……」

 確かに。

 話を聞く限りだとこの事件、俺にだけ物凄く当たりが強い。


『さっきの干物、とんでもないよ。何か連れてきた』


『この中にそれだけの力をかけるべきお相手がいるか、だ』


 ――ま、真逆、ね。

「まあ確かに小沢氏の言う通り、ここ二日だけ君に事件が集中し、しかもその脅威度が段違いであることは言うまでもない」

「うう」

「だけど必ずしもそうとは限らないよ。偶たまだった可能性だって否定は出来ないんだし」

「ソッ、そうだよねっ!!」

 こくこくと頷く。

「まあ取り敢えず今は防犯カメラとかを使った細かい解析を明治街の組織にお願いしているから、それ待ち、かな」

「それでやっぱり俺狙いみたいな事がもし分かっちゃったら!?」

「その時はその時だよ」

 ええっ!! そんな!!

「わーん、守ってぇ!!」

「お前も何とかするんだぞ。はらい者はその為にいるんだからな」

「うあああ、(仮)には荷が重いい!」

「(仮)の上に立派な名称付いてんじゃねぇか!」

「ぴいいいいい!」

 極めて幼稚的な喧嘩をぽかすかやってる傍でふと怜さんが黒耀に問う。

「――というかあの頭おかしい奴」

「黒魔術師の事?」

「あ、ああ。あいつ、最終的にどうなったんだ?」

「ん……分かんない」

「分かんないって、あの陰の中に落としたんだろ?」

「多分アイツは無事だと思う」

「は……? よく知ったような口振りじゃないか」

「……」

 ふと気づくと黒耀の瞳がぐらぐらと揺らいでいた。

「何が、あったの?」

 聞いても怜さんは肩をすくめるばかり。

 そうして黒耀の口がやっと開くまで少し多めの時間が経った。


「あいつは……世界を滅ぼす云々の『奴』じゃなかった。唯の役立たずさ、どうしようもない」


「……話してくれるか」

 椅子を引きながら座り直し、彼の顔を正面から見据えた。

 相対する黒耀はというと長い時間迷っていたけれど、怜さんのてこでも動かないその姿勢にとうとう根負けしたみたいだった。

「――、――とある因縁があってさ。僕の『影』に独立権を与えたんだ」

「君の影法師が『分身』として自由に出歩いているってこと?」

「そうだね。本当にそっくりなんだよ、違っているのはこの耳飾りが水色になってる位」

「へぇ……」

「――それが今日のだ」

 え……。

 驚きの余り声を失う。

 だって、余りに予想外過ぎて。

「え、って事は、君の分身が殺そうとしてきたって事!?」

「そうなるね」

「え、でもどうして」

「知らない。あんな勝手な奴」

「……」

 妙に塞ぎ込んだ様子。声はふるふると震えている。

 その怒りは、本当に本心――?


「何が、あったの?」


 ふと、声が口を突いて出てきた。

「……!」

 驚いたように黒耀が瞬間顔を上げる。

 それから金魚みたいに数秒口をぱくぱくさせて、目を泳がせて

「いや、何でも」

とだけ短く言った。

「嘘だ」

「う……嘘じゃない!」

「だって俺と同じだも――」

「君と僕は一緒じゃない!!」

 鋭くぴしゃりと叫ばれ、肩が無意識に震えた。

 そして少しの沈黙が空気を支配しだす。

 彼の見開いた瞳は唯々揺れて、顎がかたかたと音を立てていた。

 そして直ぐに顔を伏せ、小さく言った。

「分かる訳がない……」

「え」

「取り敢えず放っておいて」

 さっきの無敵の微笑を盾にこれ以上の干渉を向こうから遮断した。

 無力感に包まれたような、悪かったような……。

「兎に角さ、そういう訳だから。アイツがこれの常習犯なのか、それとも偶たま今回だけだったか確認しなくちゃ。もしそうなら僕らの手でも潰すことが出来る。――早く潰さなきゃ、何か変に子どもっぽいから何しだすか分からない。それにチカラの悪い面を使って暴れられたらこっちも困るでしょう。……怪異課は確認終わったかな」

 早口にそうまくし立てて、黒電話のダイヤルを回す。

 もうこの話はしてくれなさそう。

 怜さんも場の空気を読んで話をこれ以上聞くのをやめたみたいだった。

「あ、もしもし。神風さん? どう、そっちは」

 少しだけ広いホールの中に黒耀の声だけが響く。

 ちょっと、気まずかった。


「確認取れたよ。もう少しで終わる所だって」

「解析か?」

「そう。明治街警察にしかない怪異事件を担当する課、通称『怪異課』と、防犯カメラとかの解析のスペシャリスト集団『犯罪予備防止委員会』のコラボタッグ」

「やたら豪華だな」

「え? 『怪異課』……神様と天使と悪魔が担当してるって噂の?」

「もちろん」

「え、実在するの?」

「するとも。ついでに言うと最近署長室を乗っ取ったらしい」

 まじか。

 実は同じクラスの男子の間でよく噂になる。そこに行くと心臓取られるとか、逆に会えたら一生幸せで暮らせるとか、明治町役場の変人集団「犯罪予備防止委員会」はあそこが支配してるとか、ナントカカントカ。

「犯罪予備防止委員会」は兎に角凄いらしい、というのは聞いていて、実在するのも何となくは知ってたけど……。へええ……。

 ――本当にここら一帯はおかしいと思う。何というか、全体的に。

「今から向かえば丁度終わる所だろう。という事だから、悪いけどそこの三人で行ってくれない? アイツが主犯なのかどうか含め、分かった事について確認して来て欲しいんだ」

「ええええっ!? タダで行かされるのか!?」

 明らか嫌そうな顔をして大人げない拒否の仕方をしたのは怜さんだ。

 ……異空間の時もちょっと思ったけど、この人、がめついのかもしれない。

「仕方ないじゃないか! 僕はこっちの宝石のお世話で忙しいんだぞ!」

「煩い煩い! 俺はタクシー代も貰ってない!」

「じゃあこれ見ても言えるのか!」

 そう言って「店主席」と張り紙のしてあるひと際高い台に登り、その後ろにある本棚を左右に滑らせ、後ろの空間を露にする。

 ピシャンという音と同時に現れたそれの中には乱雑に積まれた宝石の数々が瞬いていた。

 何故宝石店では黒い絨毯の上に宝石が乗っているのか、これを見ると本当に良く分かる。

 とてもとても綺麗。

「見ろ! 宝石は世界中の生き物、妖、神、魂、更には物に染み付いた記憶に並行世界パラレルワールドからもくるんだよ!? これ以上業務に穴を空けたらあんたの大事な大事な情報も皆零れ落ちていくぞ!!」

「分かった! 分かったから!!」

 怜さん、遂に観念。タダ働きの続行が決定した。

 それはそれで置いておいて。

 噂の宝石というのを初めて見た。

 ――「記憶の宝石館」には記憶が宝石を纏って眠っているんだよ。それはそれは凄く綺麗でね……。

 昔話でも聞くように、その事については知っていたけれど、ホールには見当たらずおかしいと思っていた所だった。

 なるほど……ここにあったんだ。

「わあ……」

「凄いでしょう」

 黒耀がいつの間に隣に立って言った。

「うん、凄く綺麗……!」

「あの宝石達の正体は人々の記憶が頭からこぼれ落ちた時にまとう小さな小さな輝き。僕は人々の記憶が思い出に生まれ変われるように、もしくは思い出したい事をちゃんと思い出せるように、それら宝石の管理人を任されているんだよ」

「格好いいね!」

「で、これはやってもやってもやってもやっても終わらない作業なので、余り外に出たくないんです」

 う。

 圧が、凄い。

「その代わり君にはお守りをあげるからさ、

「あれ、俺の名前……」

 言ってなかったのに何で知ってるの?

「馬鹿だなぁ、何の管理をしてるって言ったっけ」

 ころころと笑って僕に一つの宝石を握らせてきた。

 それは透き通った水色の宝石。

「君の石、アクアマリンだ。石言葉は沈着、勇敢、聡明、そして永遠の若さ」

「……」

「君、優しい人なんだね」

 心からの笑みをふっと浮かべて、彼は一言そう言った。

 すっと胸を貫かれたような不思議な感覚。

 何も、言えない。

「この石は君に大きな力を与えるだろう。それはこの石の力であり、しかしながら君の力でもある」

「……」

「頼みたいのは二つ。一つ、アイツが僕の分身なのか否か。一つ、もし運悪く『奴』だった場合はできるなら名前も知りたい。名前を知る事が出来ればこうやって石を特定してアイツの記憶を覗く事が出来る」

「……」

「奴の弱点とかそういうのを知ることが出来る」

「……」


「黒魔術に対抗できるのは『はらい者』だけなんだ。だから君にお願いをするんだよ」


 真っすぐな瞳に少し頭がくらくらした。

 俺、だけ?


 いくつもの記憶がぶり返してくる。

 垂れた三つ編み、世界を呑み込まれそうになった事、陰の波。

 はらい者を襲った負の歴史。

 あの夢――。

「う、うん。そうだね」

 曖昧に微笑むしか出来なかった。


 * * *


 一方で。

 こつ、こつ。

『ててて、乱暴なんだよな……いつもボクの事こけにして』

 とある裏路地を薄汚れた少年がとぼとぼと歩く。

 耳には水色の短冊形の硝子の耳飾り。その容姿は黒耀と瓜二つであった。

 そんな彼の襟の辺りに背後から骨ばった手が静かに伸びる。

 ――と、途端。

『ウワ!』

 いきなり掴んでぐいと後ろに引き、裏路地の更に奥に連れ込んだ。

 そのまま少年の暴れる体と口とを両手で無理矢理押さえ込み

「シー」

とだけ言う。

 ここで少しでも声を発すれば……。

 その二文字に恐ろしい意味が含有されている。

 突然襲いかかった相手。その人物は長毛の茶髪を有していた。後ろ髪は雑に束ね、妙に長い前髪は右目を器用に隠している。

 少しだけ生えた顎髭と鷲の瞳は誰かを思わせた。

 黒耀と瓜二つのその少年は身動きの取れぬ体を恐怖で強張らせて開いた瞳でその男の顔を食い入るように見る。

 恐怖を感じても仕方がない。

 ――


「よう、無生物」


 茶髪の男が口元を押さえる右手の小指を深く、彼の少年の喉元に突き刺した。

 圧迫感に動悸が早まる。


「お前が生き残る為の最後のチャンスをやるよ」


 そう言って彼は押さえていた左手の代わりに彼の胴に自身の右足を巻き付けた。

 自由になった左手はというとポケットに忍ばせていた録音機を取る。


『知らない。あんな勝手な奴……知らない。あんな勝手な奴』


 少年の目が大きくかっ開いた。


「もっと聞きたいか?」


(つづく)

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