漆――逃走、対峙

「来い、僕が相手だ!」


 確かに頭上でそう言った。

 何が始まるのか気になって後ろを見たら予想以上に大変な状況だった。

「や、ヤバくない!? 陰多過ぎ!!」

「おい、これからどうするんだ、増える一方だぞ!」

「考えてる……!」

 怜さんは額から玉のような汗を流しながらハンドルを切る。

「取り敢えず化け物らはアイツに任せるしかねえだろ!」


「グギャアアア!」

Praesidio!守護せよ!

 右手から放たれた強烈な青白い光が飛びかかってきた陰を霧散させる。文章だけで見れば凄い事をやってのけたように見えるが実際はそうではない。飛びかかってきた一体を無力化しただけである。比率で言えば何パーセントにも満たない。

 彼の作戦はこの一つ――即ち向かってきた相手の邪を守護の名目で薙ぎ払う。今まではこの瞬間的な爆発力で大体の怪異は片付いた。

 しかし今回はそうもいかない。倒す数に対して生まれる数が多過ぎる。

 作戦の変更は急がれる。

 ――俺達が与えられたこの力は誰かを護る為のものだ。

 ――傷つける為に使っちゃ駄目だ。

 幼い頃に兄からはそう教えられた。そのも今ではよく分かっている。

 しかし「今回」だけはどう考えても違うだろう。

 攻撃しなければやられる。

 陰は増える一方だ。敵の攻撃を待っていればいずれこちらが喰われる。

「兄ちゃん、許して」

 確かに。――軽減する為に策は施してあるが、それは最近言う事を聞いてくれない。

 でも。

 やるしかないだろう。

「何とかしよう。これが最初で最後と思えば良い」

 覚悟を決めた。

 それに、この様子から見ればきっと――。

 右手を前へ突き出し、霊力を込める。右手の模様が少し黒くなった。その先に群青の光が溜まっていく。

Fragor爆散霧消

 静かに言って小さな群青を群集の真ん中目掛けて放つ。

 それは直後、物凄く大きなエネルギーの解放を伴って衝撃波を広範囲に伝えた。

 家の窓ガラスが割れ、木が何本か根元から折れ、屋根がめくれ上がる。


 突然後ろから物凄い音がして車が暴れた。

「うわわわわわわ!!!」

「コナクソッ……!!」

 ギャギャギャギャギャ!!

 何事何事!!

「あんなチカラ、見たことねえよ!」

 ひびの入ったバックドアガラス越しに後ろを覗くとゲームやアニメで見るような半球体の爆発がそこにあった。陰達の群れのド真ん中にぽっかりどころか穴が開いてる。

「強い……」

 口をついて言葉が漏れ出た。

「それにしてもおかしいな……」

「な、何が」

「明らか無遠慮だと思わんか」

「無遠慮? 誰が」

「どっちもさ」

「どっちも?」

「まずは敵方。何故住宅街でわざわざ仕掛けてくる?」

「ん? どういう事?」

「場所ならどこででも良いだろう? こんな少人数をしとめるなら別に裏山でも廃墟でもゴミ捨て場でも良い訳だ」

「黒魔術は命を吸い取る魔術だ、住宅街の人々の命を吸い取ってとことんまでチカラを増幅しながら追い詰めたいとか、そういうのは」

「この少人数に対してか? ――余りに釣り合わないな。エネルギーは必ずしも多ければ良いってもんじゃねぇよ、それぞれに均衡というものがある」

「よく分かんないです」

「寝る子は育つからって十年間眠り続けたって人間は何十メートルなんて大きさにはならない。牛乳を沢山飲めば背が伸びるからってガブガブ飲み過ぎれば腹を下す。何事にも丁度いいラインがある。そこを見誤って物凄い力を蓄えすぎれば相手の方が自滅する」

「なる、ほど……」

「一度に大量の資本を得るのもそれはそれで危険な場合があるだろ? 人類にはまだ早過ぎる的なさ。魂なんかまさにその代表例じゃないか、膨大な量を一度に摂取すればチカラを制御できなくなる。それにとっておきは今じゃない」

「つまり、相手は使いどころや適所を見極められていない……」

「それか、あれがまだ本気じゃない、もしくは――」

 そう言いながら怜さんがちらりとこちらを鷲の瞳で見た。


「――この中にそれだけの力をかけるべきお相手がいるか、だ」


 ルーフの上にいる座敷童の爆発力を思う。――また。さっきよりは小規模ながらそれでも強い衝撃を後方から感じた。

 これだけの強力な魔法を打ち出せるなら、相手も本気で殴り掛かってきて当たり前の世界なのでは。

「ただ、住宅街の基本を前提とすると今度はこっちの攻撃にも妙な点が生じる」

「……もっと簡単な言葉で言ってください」

「分かんねぇか? 通り魔の事について調査しているような『人の隣にいる妖』が住宅街を半壊させるような攻撃を仕掛けるか?」

「あ……」

 車のガラスは相当頑丈だって聞いたことあった。――それが割れる程の威力……家のいくつかは部分的であれめちゃめちゃになってるはず。

「そうするとアイツはきっと気付いている」

「何に?」



 ……、……は?

「どどっ、どういう事ですか!!」

「さっき住宅街だからスピード出せないって言っただろ?」

「あ、はい」

「それは何も小路が絡みあうからだけじゃない。子どもが飛び出してきたり対向車が狭い道でもやって来たりする、即ち人が生活しているからだ。そこは流石に分かるかな?」

「うん」

「しかしここら一帯どうだ。人っ子一人、犬どころか鳥すら羽ばたかねえ」

「それって……」

「まだ分かんない?」

 突然上から鋭い声が聞こえてきた。

「さっき攻撃を仕掛けて確証が取れた。ここは現実とよく似た違う場所だよ」

「エ! 異世界転生!?」

「馬鹿! 異空間だ! 罠に嵌められたって事だよ!!」

「どどどっ、どういう事ですか!」

「タイマンを仕掛けてきたって事! 誰にも邪魔されず、伸び伸びとチカラを振るえる場所で僕らを潰そうとしてるの! その為に僕らを異空間に取り込んだんだ!」

「えええっ!? いつの間に!?」

「多分あの黒幕がお前達に近付いた頃位からだろうな」

 そう言いながら大通りに出る。信号はちかちか光っているけれど待っている車も人も何もなかった。

 息を呑む。


 大通りに出たことで敵方から放たれていた異様な圧迫感が少しは和らいだ。それでも多いものは多い。

 数は減らせている。――生き物も生活も文化も文明もここに存在しないのなら何やっても構わない訳だ。

 しかしその分右手の模様は大分濃くなっていた。さっき気になって頬の辺りを拭ったら黒く濃い、どろりとした液体が手にべったりとついた。それは右目から流れている。この力を攻撃に転用したことによる反動が顕著に現れ出していた。

 時間が無い。

 と、その瞬間、目の前の陰達の動きが止まる。

 そいつらの前に例の男がまるでパフォーマーが如く。ゆっくりと歩いていき、そこで手を広げた。

 高揚感に包まれたようなその姿勢が大きくなるにつれ、陰達も地面の中にその身を沈めていく。

 ――何だ?

 座敷童の瞳がそこを注視する。


 目を細め、

 顔を少し傾けた。

 口元が、

 動く。


「――、――」

「え……?」


 途端。

 地面が揺れ、波か何かが湧きたつように陰が横一直線になって盛り上がっていく。等身大のジオラマの家々を押し潰し、全壊させながら、押し流しながら、その量を、攻撃力を、グロテスクさを増幅させていく。

 家が、メリメリと悲鳴をあげ、どんどん呑み込まれてゆく。

 陰が町を呑み込んでいく。

 目を見開いて、その「圧倒」に手を震わした。


「勝負を仕掛ける気だ!!」

 黒耀の高音が混じった悲痛な叫びに後ろを振り返ると高波のような黒い盛り上がりが家を壊しながら迫っているのを見た。

「怜さん! 怜さん!!」

 運転席に思わずしがみつく。

 あんなの、さっきの黒耀の攻撃でも防げないよ!!

「クソッ!! とことんタイミングが良いな、あいつ!!」

「どういう事!?」

「この先は袋小路だ、もっと先に逃げるには左に曲がらなきゃなんねぇ!!」

「えええええ!!」

 今、あの陰に対して横に逃げたらヤバくない!?

 とか言っている間に早速左に曲がる。

 タイヤが悲鳴をあげた。それに鞭打つように更にギアを上げてアクセルを限界まで踏み込んでいく。

 スピードを出し過ぎた時に感じるあの肝が冷える感覚が凄い。

 ちょっとでもミスしたら大事故に繋がるやつじゃん、コレ……!

「しっかり掴まっとけよ、命が惜しいならな!!」

 車もガタガタ言ってるし、エンジンも凄い音がしてるし。

 相当ヤバい!! 横が怖くて見れない!!

「それも大変だが、ガソリンが底を突いたらそれこそいつまでも同じようには逃げられないんじゃないのか!?」

 そこに追い打ちトッカ。

「え!? 怜さん、今どれ位なの!?」

「……お前がパニックを起こさないで聞ける人物だって証明出来たら話してやる」

 ガチのやばいやつじゃん!!

「何か方法は無いの!?」

「そりゃ異空間から出るしかねえだろ!? ――見ろ!! 向こう側!!」

 指された先を見ると、向こう側は濃い霧が立ち込めている。

「霧がどうしたの!」

「異空間と現実の境目だ、やられる前にあそこに飛び込めれば助かる!」

「間に合わなかったら……?」

「来世も仲良くしようぜ、アンラックボーイ」

「嫌すぎるうううう!!!」

 俺が騒いでる丁度その時、トッカが前方を指差した。

「おい!! アイツ!!」

 突如目の前、空中に現れた奴が大笑いしながら地面に向けて何かを飛ばした。

 直後山のように陰が盛り上がり、立ちはだかる。

「マズイ!!」

 急ブレーキを踏む。

 タイヤが更に悲鳴をあげる!


「ふざけやがって!!!」


 ルーフを蹴って巨大な陰に突っ込んでいく。

Fragor!!爆散霧消

 手を突っ込み、中から爆散させる。その下を減速しきれなかった車がふらふらと蛇行しつつ凄いスピードで駆け抜けていく。

 直後、背後に何か気配を感じ、大振りに右足を振るう。

 右足が奴の右頬を思い切り蹴り飛ばした――が、ダメージなど何も無かったかのように直ぐにこちらを狂気狂喜の目で見る。

 その眼の更に右側、蹴り飛ばした方の耳に耀耳飾りが揺れた。

 水色に光っているそれを見て黒耀の瞳が大きく見開いた。

 


 三つ編みの男が――。


「お兄ちゃんの言いつけ守らないなんて悪い子でちゅねー!!」


 顔面湛えた一面の黒笑!


「ふざけやがってええええ!!」


 胸の底から湧いた底知れぬ「活力」が黒耀の右手に流れてゆく。

 叫んだ拍子に両目からまるで血でもほとばしるように、あの黒い液体が飛び散った。

 そのまま勢いで左頬を殴り、体を回したその反動で腹を蹴り耀姿

 本当に、唯の少年である。


「黒耀クン、イタァイ!!」

「このが!!」


 呪いの言葉を思い切り吐き飛ばして、笑みを湛えた自分そっくりの少年を「陰の波」に向けて突き落とす。


 直下――。


 押し寄せる質量の暴力の中、彼は完全にそれに呑み込まれた。


 瞬間黒耀自身の体に無茶した反動が一気に押し寄せた。

 体が後ろにぐらりと揺れ、そのままアスファルトに突っ込んでいく。


「黒耀!!」

「アノヤロ!!」

 怜さんがギアを思いっきり動かして凄いスピードでバック。

 落ちてきた黒耀の体を窓から突き出した手で何とかキャッチ!

 その反動で体を強く車のドアに打ち付ける。

「悪く思うな……!」

 直ぐに左手で慌ただしくギアを変え、左手で器用にハンドルを握り、アクセルを踏む。


 その路地を抜けた瞬間、後ろの道を陰が閉ざした。


「少年、座敷童を早く後部座席に!!」

 止まっているその瞬間に体をトッカと一緒に窓伝いに受け取り、後部座席に引きずり込む。

 怜さんはギアをどんどん上げながら、アクセルを踏み込む。

 目の前に目指していた白い霧が待っている!!


「座敷童の体と自分を守れ!! 突っ込むぞ!!」


 後ろには陰、数センチ後をどんどん追いかけてくる。

 その制御の聞かなくなった大波はスピードを上げながらどんどん迫って来る。


 タイヤの焦げ臭いにおいがキツイ……!


 迫る迫る。

 走る走る。


 迫る迫る!

 走る走る!


「飛び込むぞ!!」


 瞬間――!


(つづく)

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