陸――鷲の瞳と座敷童

「ううう、ここが筋肉痛……」

「でも大分上手になったじゃないか」

 ジンジン痛む腕をさすってる所に一番最後に書いた札をトッカが返してくる。

「一時間も書いてりゃね」

「何事も積み重ねが大事だからな」

 ……先生みたいな事言っちゃってさ。隣で頭の皿に水かけながら歩いてる癖に。

 夏の昼下がり、俺達がこの時間にぷらりと出かけても良い日に限って太陽もやたら元気だ。

 この猛暑は河童にとって命とりなんだろうね。

 ダサいものはダサいけど。

「お札が十枚。何か無駄に多いような」

「そんな事ねえよ。何たってそれは有限だからな」

「エ!? 何それ初耳!」

「今初めて言ったからな」

 契約も封印も出来るからって万能だと思うなよ、と付け加え、一枚取った。

「ア! ちょ! 貴重な一枚!!」

「馬鹿、説明しなくちゃ使えないだろうが」

「ぐ」

 ぐうの音も出ません。

 そのまま模様の書いてある方をこちらに向ける。

「こっちが表」

 ひっくり返す。

「こっちが裏。封印はこの札の裏面で対象に触れることで完了するんだ」

「封印できるものは? 限られてたりはする?」

「余りに大きすぎる物とかは難しいが……それでも多くの物が対象になる」

「例えば?」

「物ならば筆箱、宿題、靴……机も多分いけるかな」

「へぇー、その札より小さい物とかそういう縛りは無いんだね」

「そうだな、意外と何でも吸い込めるぜ。――そうそう、後は生き物もいける」

「ほお!」

「『名のある神』レベルの大物だと流石に厳しいが、夢丸程度の大きさなら神様も封印できる」

「おおっ! 妖は?」

「できる」

「人間は!」

「勿論」

「スゲー! え、どうやるの?」

「大抵の生き物には『額』があるだろ」

 そう言って自身のおでこをコンコンと指す。

「そこに札の裏面で触れればその次の瞬間には相手は札の中だ」

「額じゃなきゃいけないんだね」

「物はどこでも良いけどな」

「へー」

「……」

「……えっ、何」

「お前、人間の体だけ札で吸い込んであわよくば好きな女の子脱がせちゃおうとか考えてねえよな」

「考える訳無いだろ!? やめてよ、キモイな!!」

「……」

「疑惑の目で見るのを止めなさい!」

「実はそういうご先祖が居たからさ……」

「え、お名前は」

「千吉」

「初代のお方……!」

「右ストレートがアイツの頬に炸裂した」

 痛そう……なるほど、女子って右ストレートが放てる生き物なのか。

「だから千吉はその女子の目の前で札の急な改良を余儀なくされた。それで今の『服も一緒に吸収される』封印に至る」

「要するに『服も同じ生物の一部としてカウントされる』ってこと?」

「そゆことそゆこと」

「ふーん、なるほどねぇ――えい」

「あっぶなっ!! 何俺を封印しようとしてんだよ」

「ちっ」

「ちっ、じゃねえ!! 信頼に関わるぞ!」

「だって教えてもらうだけで実例見てないんだもん」

「おい、封印したものの取り出し方も知らないのに封印しようとしたのか?」

「あ、そっか。それ教えてもらってないや」

 サッと顔を青ざめさせる。俺、何かマズい事言ったっけ?

「そ、そーゆー時は別の妖とかを立てるもんなんだよ!」

 そう言って黒いゲルの人型生物にぽんと肩を置く。

「ほうほう」

「フシュー」

「取り敢えずこうやって額に押し付けるだろ!?」

「シュッ!?」

「そしたらさ、まず表面にこうやって吸い込んだ奴の名前が現れる、か、ら……」

「なるほど。それで封印したことをまず確認する、ん、だ、ね……」

 表面にある達筆な筆文字の「陰」に視線を滑らせ、そのまま恐る恐る顔を上げる。

 いつの間に湧いたのか、周りには数多の陰達。

「あーっと……こーれは……」

「わぁ、いっぱいだね」

「……」

「……」

「戦闘開始ィ!!」

「ですよねえええ!?」

 非戦闘一族ですが大丈夫でしょうか!?


「グゲゲ!!」

「わああああ!?」

 攻撃手段となるその手を大きく振りかぶりしつこく追いかけてくる。

「和樹! 札だ! 札を奴らの額に張り付けろ!」

「で、でも上手くできるかどうか……!」

「案ずるな、札を信じろ! 取り敢えず前に突き出せ!」

 複数個体を相手に取りながら、そういうトッカ。

 余裕があることですねぇ、じゃあこいつも倒してよ!!

 後退りしながらも札が突き出せない。その間に腕とか食われたら怖いもん!

 その直前は多分「ハァイ和樹ぃ」とか言ってピエロ面になるんだろうね! 嗚呼怖い怖い!

「ひえ、ひええ!」

「おい何やってんだよ、早く札を!」

「無茶言わないで――ア!!」

 瞬間左足をぐきりとやる。

 無理な後退が祟った!

 勢いよく尻もちをついた俺を見下すように陰が迫る!

「わややややや!!」

「和樹!」

 もうヤケだ!!

 目を瞑って札を思い切り前面に突き出すと、直後に手の感触だけでも分かる位勢いよく陰が札に吸い込まれるのを感じた。

 ――え?

「よくやったじゃないか! そのままドンドンいけ!」

 いける……!

 急な確信が胸の底をふつふつと湧き上がらせた。

 周りの陰は十何体かってとこ。

 それだとこちらの札では足りないけど、トッカが相手してるのを差し引けば……いける!!

 座り込んだまま立ち上がる事は出来ないけれどそれでも陰はこの札の前には総じて無力だった。

 次々と消えていく陰。その過程はもうまさにお掃除そのもの!

 そうか。お掃除ってこんなに楽しかったんだね!!

「さて最後の一体だ、やっちまえ!」

「任せてよ!!」

 体を大きく前傾にしてこちらに飛びかかってくる。

 その額目掛けて最後の札を振った。

 ――これで決めてやる!

「グギイイィ!!」

 派手な感触と悲鳴と。

 その直後にはそこにあいつらの影は無かった。

 やった……!

「おっと、札を裏返すなよ。折角封印したのがまた出て来ちまうからな」

 向こうから無傷のトッカ。嗚呼、あの時みたいに瞬時に倒して欲しかったかな!

 そう思ってみるけど得も言われぬ満足感に満たされているのも事実。

「ほら立てよ、よく頑張ったじゃないか」

 キザったらしい笑顔と台詞を零し手をこちらに差し出してくる。

「そっちこそ」

 その手に頼って立ち上がり、肩を頼ってよちよち歩き出す。

「宝石館に着いたら店主に面倒見てもらおう」

「店主って、確か座敷童なんだっけ?」

「そう、黒耀って名前だ」

「綺麗な名前だね」

「黒耀石から取ったらしいぜ」

 何はともあれ助かった。

 全く、とんだ災難だった。






「本当に終わりだと思いますか?」






 ……え?


 普通ここで終わりでしょ……?


 振り返った先に立っていたのは噂のその人。

 黒い蛇の瞳。

 黒毛の長い三つ編み。

 そして、天使と見紛う整ったその容貌。

 素敵な素敵な笑顔。


「テメェ……」

「遊び足りなくないですか?」


 ――「奴」。

 奴が早速来た。


 早くないか!?

 そう思っている内に彼の背後からさっきとは比べ物にならない量の陰がどんどん湧き出してくる。

 善人の素敵な笑顔でそれをやりやがる彼に血の気が引いていくのを感じる。

「おい、札は」

「さっきので全部……」

「……」

 ふと放たれた一瞬の沈黙に全ての思考と焦りとが詰まっている。攻撃手段がこちらに殆ど残されていない。

「札の再利用は出来ないの? 例えば一枚に何体も詰め込むとかさ」

「出来ない。一枚につき一つ、若しくは一体だ。それに一度封印から解放すれば使

 えぇ、そんな……。

 十枚、足りない。十枚じゃ足りない。

「ピンチこそ最大の好機、ですよね」

 こちらの切羽詰まった雰囲気と相反してあちらはとても楽しそうだ。

「何が目的だよ」

「私、サドンデスとかデスマッチとかが大好きなものでして」

「んなっ……!」

「んふふ、ご武運を」

「おい!!」

 飛びかかろうとした瞬間、問題の主犯はこちらに襲いかかってきた陰に飲まれて見えなくなった。

 突然の第二ラウンド。

 一匹の河童の腕に二つの命が乗せられた。


 * * *


「駄目だ! 敵が多すぎる!!」

 肩で息をしながら放った水の流線で敵を切り裂いていく。それでも際限なく溢れ出て来る陰。

 トッカは本当に頑張っている。それに対して俺という奴は。

 駄目になった左足だけがネックだ。――こうなるんだったらご先祖様の遺した札も持ってくるんだった……!

 しかし後悔は総じて先に立つことが無い。

 ただトッカに対してどちらから陰が迫ってきているかを教える位しか出来ない。

「駄目だ、これ以上術を使えば霊力が切れる!」

「それって……!」

「対抗手段、全滅。奴らの栄養になるぞ」

「そしたらどうなるの!?」

「さっきのアイツのチカラとしてその魂を捧げることになるだろうな」

「嫌だよそんなの!」

「俺だって嫌だ!!」

 飛び抜けて大きな個体が躰を引きずりながらこちらに這い寄って来る。

「――でも死ぬ時は死ぬ時だ」

「そんな……!」

 獣が如くのゴツイ爪のような部分が大きく振り上げられた。

「「うわああああ!!」」

 お終いだ……!


 ――その時だった。


 遠くから轟音が聞こえるとは思った。

 派手なエンジンの音。でも気に留めている暇は無かった。


 


「伏せろ!!」


 脊髄反射のようにトッカが俺の上に覆い被さり、瞬間、頭上で


 その直線状で銀色に鈍く光る大きな拳銃が硝煙をくゆらせている。

 それを放ったのは……。

 中途半端に伸びた茶髪、ちょびっと顎に生えた無精髭。

 そして黄色地によく映えた黒い瞳――鷲の瞳の鋭さを持った男。


 彼は陰をその弾丸で撃ち抜いたのだ。


 道路に黒々とした曲線を濃く残した乗用車の運転席からそれは伸びていた。

 その助手席からグラデーションボブの学ラン美少年が顔を突き出す。

「乗って!」

 耳元で揺れた淡い桃色の短冊形の硝子の耳飾りがちらりと光る。

 大人っぽい雰囲気で横顔が本当に綺麗だ。

 そんな事を考えてぽんやりしていると、彼の少年を見たトッカが叫んだ。

「黒耀!」

「黒耀!?」

 え、あの子が!?

 思ってた座敷童のイメージと何か違う。

「どうしてここに!?」

「説明は後だ。今は早く!」

「わ、分かった」

 足を引きずりながらよたよたと車に乗ろうとする俺らの後を陰が付いてくるが全て男の拳銃の餌食になっている。

 つ、強い……っていうかそれ立派な銃刀法違反ですよね!?

「全員乗ったか!?」

「大丈夫。早く出して」

「言われなくても……!」

 男が最後に一発ズドンと陰の眉間に弾丸を食らわせ、そのまま拳銃を助手席に投げた。

「これ以上怪我したくなかったらシートベルトしな!」

「ヒェッ!?」

 直後アクセルを凄い勢いで踏み、つんざくような高音とゴムの焼けるにおいが辺りに充満する。

「掴まれ!」

 直後、ドラマみたいな急発進でその場を駆け抜けた。車体のケツが何度か蛇行して暴れつつ車の前に待機していた数体の陰達を跳ね飛ばす。

「うわああ、痛そう」

「黒魔術に情を移すな、やられるよ!」

 黒耀が窓の外を警戒しながらぴしゃんと言う。

「す、すみません!」

 思わず謝っちゃった。

「敵は」

「しつこい、どんどん出てくる!」

「クソッ、大型拳銃マグナムだってそんなに万能じゃねえからな!」

 前方では何か映画みたいな会話が繰り広げられてる。

「ね、ねえ、トッカ。まぐなむって何?」

「ありゃデザートイーグルだ」

「でざーと? 美味しいの?」

「美味しい訳ないだろ、警察官とかが使っている38口径よりずっとずっと強い拳銃。それが一般的にマグナムとかって呼ばれるやつだよ」

「どの位強い?」

おんな子どもが使えば肩が外れる事もある」

「エェッ!?」

 立派な銃刀法違反じゃん!!

「え、貴方は一体何者なんですか」

「待て、今は舌噛むぞ!」

 ギャギャギャギャギャ!!

 凄い音を出しながら曲がり角を直角に曲がる。その勢いに止まり切れなかった陰が十体ほどコンクリート塀に衝突する。――言ってなかったけどここ住宅街ですよ!?

 直線に入った所でようやく口を開く。

「俺は小沢怜。隣街で情報屋をやってる」

「ジョ、ジョウホウヤ!」

 これまた映画でしか聞いた事ないような名前。

「で、でも何で明治街の怜さんがこんな所に!?」

「ここら辺走ってたらこの座敷童に車ジャックされたんだよ!」

 何と! 不幸にも巻き込まれただけらしい。

「先生からお告げがあったから、ここら辺で張ってたら丁度良くこの人が来たからね」

 ん?

「また先生?」

「またとは何だ、僕と君とは初対面じゃないか」

 あ、そっか、夢丸が言ってたんだっけ。

 改めて何者だ、先生。

「俺だってお前とは初対面のはずだが!」

「一方的にこっちのこと顔見知りの癖に」

「くそう、後でタクシー代請求してやる!」

 より深くアクセルを踏んだ。ギアをもう一段上げて更にスピードを上げていく。

 そう言っている間にも陰はまだまだ湧いてくる。この車が通った後からどんどん出てくる、そんな感じ。

「もっとスピード出ないの!?」

 黒耀が焦るように怜さんに向かって叫ぶ。

「出ないことはないがこれ以上スピード出せば確実に事故るぞ!」

 これでも十分早いけど相手をまくにはもう一声スピードが欲しい所。

 しかしここは住宅街。小路が入り混じったり子どもが飛び出したりする、いわばカーチェイスを一番やっちゃいけない所。

 少しの沈黙の後黒耀は何やらぽつりと呟いた。

「……仕方ない、ちょっと行ってくる」

「ア!? オイ、馬鹿!!」

 怜さんが焦って止めようとしたがこのスピード下では無理だ。

 黒耀は窓を開けたかと思うとそこからひょいっと飛び出した。そのまま体をぐるりと回してルーフに飛び移る。

「か、格好いい……!」


 * * *


「うげ、気持ち悪いな。悪趣味にも程がある」

 ルーフの上、風に吹かれながらぽつりと呟く。

 その眼前にはこの世のものとは思えないような光景が広がっていた。

 壁、道路、電柱の斜線状の影。その全てにべったりと張り付く化け物の数々。

 その圧倒的な量に思わず嫌な臭いが鼻を突いた。

「子どもには見せられないね」

 自分の真下、足を捻った少年を思う。手に嵌めていた白い手袋を取ると、右手に刻まれた模様が現れ出た。


「来い、僕が相手だ!」


 化け物の陰で三つ編みの男が笑う。


(つづく)

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