残火

 開かれた雪山に多くの人々が押し寄せていた。ナイター営業中のゲレンデは人であふれ、寒い中に確かな熱気がある。変わってしまったお山の様子を、秋人が暖かな部屋の窓から眺めて感慨深く思う。――勝利の光景だ。俺は全てを変えてやった。と。


 山の上に建てられた邸宅の窓から見渡す景色には、辛気臭さのかけらもない、秋人がかつて望んだ暖かな冬の光景が広がっていた。雪山には幾つもの人の足跡と滑り跡シュプールが引かれ、ライトが明々とその景色を照らしだしている。寒さの証である雪が、ちらほらと降りはじめる様子も秋人は笑って見つめ、その身を深く椅子の中に座らせた。


「いい土地になったなぁ……おまえも、そう思うだろぉ……?」


 秋人の膝の上には狐の姿があった。美冬を退治した後、地元を雪山リゾート地に開発しようと調査しに戻った秋人は、その際に懐いてきた狐を飼い始めていた。表情を柔らかくさせて撫でてくる秋人を、狐は鳴きもせず金色の瞳を細めて見つめ続けた。


「あぁ……全部終わったなぁ……あいつの最後の顔が見れなかったのが、ちぃとだけ心残りだが、まぁよしとするかぁ……」


 胸の内にあった熱を燃やし尽くし、満足気な顔でこれまでの半生を想う秋人の耳に、コンコン、と叩くノックの音が聞こえてきた。


「だれだぁ……? こんな夜更けに……?」


 膝の上がいつのまにか軽くなっていた事にも気付かない秋人が、うつろな瞳のまま自然と立ち上がって扉の方へ向かう。


 夢の中にいるような良い気分になっていた秋人が、警戒も見せずに扉を開けると、そこには妙齢の美女の姿があった。白いダウンジャケットを着こんだ女は、楚々と微笑み、手に持った酒瓶と徳利を秋人に捧げるように見せてきた。


「こんばんは。ご成功おめでとうございます秋人様。こちら祝いの品にございます」


「あー……? 誰だぁ、おめぇ……? まぁいっかぁ……美味そうな酒だなぁ……」


 ぼんやりとした表情になった秋人は、怪しむこともなく徳利を受け取り、暖かな熱を放つ酒を女に注がれるに任せた。


「あったけぇ酒だぁ……なんかぁ、懐かしい香りだなぁ……」


「ほ、ほ。そうでございましょう? さ、さ。ぐいっといって、ごらんなせ。地元の景色も離れてゆくような、天上の味にございますれば……」


 目口を細める女の勧めに従って、ぐっと酒を飲み込んだ秋人は、直後噴き出した。


「ブフゥーッ!? なんじゃあこりゃあ! 腐ってんじゃねえか!?」


「カ! カカカカ! 夢も冷める良い酒じゃろ? いい味だったかえ?」


 目も覚めるほどに不味い酒を飲んだ秋人は、いつのまにか周囲の景色が変わっていることに気付いた。暖かかった家は消え去り、開発したはずのお山は元の閑散とした姿に戻っている。そして自身は焼け跡にうずくまり、舌を伸ばして焼け残った床を舐めていた。夢現の視界が次第にはっきりしてくると、昇る朝日に照らされる女の姿がくっきりと見えてきた。


「ほ! ほほほほ! ほれほれ、鬼子さんこちら、手の鳴るほうへ、きやしゃんせ」


 金色の瞳を輝かせ、狐の尻尾を楽しげに揺らす女が、雪山の奥へと手を叩きながら消えて行く。秋人はごほごほと咳き込み、涙を拭って立ち上がる。すべてが終わったと思い、尽きかけていた秋人の熱が、再び赤々と燃やされた。騙されていた怒りと、標的が戻ってきた喜びに体を奮わせる。自然と足は雪の上を進みだし、笑みを浮かべながら女の後を追いかけるように走りだした。


「はっ! はははは! 生きてやがったか美冬ちゃんよぉ! 上等だぁ! もっぺん冥土に送ってやらぁ! 勝ち逃げは許さねぇぞぉ!」


 陽光に照らされた、お山の雪が溶けていく。山の風が暖かく吹き始め、楽しく笑いながらも争い合う男女の物騒な声が、風と共に山の麓まで届いていった。

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雪を溶く熱燗 @suiside

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