炎熱

 青みを帯びた月から、白い流星が舞い降りてきた。

 今宵は満月。見上げれば、星のような雪が空から降り注いでくる。

 耳を澄ますと、山の上から何かを期待するような冷たい風の声が届いてくる。


 そんな幻想の夜を鼻で笑う男が、眼鏡に付いた雪を拭き取り、スノーモービルにまたがって熱を入れた。エンジン音を轟かせ、迷う事なく山の上を目指して走り出す。

 スノーモービルのライトが照らし出したのは、変わることなき山小屋の姿。


 何かを我慢するような雪が、しんしんと降る晩、小屋の前には変わらない童女の姿があった。美冬は機械を見て眉根を寄せたが、男の姿を認めて頬をほころばせた。


「や、や。こんな夜更けに――」漏れ出る雪を慌てて押さえてから、続けた。

「――ほんに、久方ぶりよの、秋人」


 冷たい眼光を隠すように眼鏡を拭きながら、秋人はボンヤリと言った。


「よぉ……遊びにきたぜぇ、美冬ちゃんよぉ……」


「うむ、うむ。……つもる話もおおかろ? さ、さ。はよう中に入れ」


 秋人は防寒着を軽く開き、中に着る黒いスーツを覗かせながら、ゆっくりと美冬に近づく。

 そして、その横を通り過ぎ、小屋の扉を開けて話し出した。


「まだいるかぁ……? まだ生きてるよなぁ、美冬ちゃん。ちと寒いもんなぁ……」


「秋人……?」


 こてりと首をかしげる美冬を無視して、秋人は懐から酒をとりだし封を開けた。瓶の口を逆さにして、ドボドボと小屋の中に振りまいていく。


「どうだ、美味いか美冬ちゃん? 効果あんのか知らねえが、お神酒みきってやつだ」


 なにも理解できない美冬が見つめる秋人は、だれもいない小屋に語り掛けていた。


「なにを……なにを、ふざけておるのじゃ……?」


 ライターの火を点け、秋人はタバコに火を燃え移しながら呟く。


「長かったぜぇ……美冬ちゃんの姿が毎年ちぃっとずつ薄れていくのに気づいてな。原因を調べて加速させてやったぁ……人の恐れがバケモンを産むなら、恐れる人を消しちまえばいいんだよなぁ……」


 揺らめく炎の輝きを、秋人の胸元の金バッジが反射した。秋人はオールバックにした髪を撫でつけながら、地上げをして手に入れた書類の山を取り出す。


「ジジババどもは喜んで村を捨ててくれたぜ。今じゃのんきに都会暮らしよ。これが土地の権利書の写しだ。この山も買ったぜ。見てくれるかぁ、美冬ちゃんよぉ……」


 小屋の中に紙吹雪が舞った。酒を吸った紙の文字がにじんでいく。美冬は小屋に入ることもできずに呆然と座り込み、開かれた扉の外から秋人の所業を見つめていた。


「フゥーッ――……俺が地元を離れたら、かんっぺきに無人になる。古くせぇ小屋とも、田舎くせぇ地元ともお別れだぁ……俺の勝ちだな。アバヨ、美冬ちゃん」


 紫煙を吐き出す秋人が、ピン、とタバコを小屋の中に放り込むと、火が点いた。

 紙に火が燃え移り、酒が燃え、小屋が燃えあがる。

 燃える炎をふたりだけが眺めていた。


「あ、ああ……焼けていく……あてが、溶けてゆく……?」


 美冬の姿が溶けるように薄れていく。

 最後の村のかがり火を見た秋人は愉快げに笑うと、スノーモービルにまたがった。

 熱に震える美冬が秋人の体にすがりつく。


「秋人……まっておくれ、たすけておくれ……?」


 秋人を掴もうとした美冬の手はむなしく空を切り、秋人は振り返りもせずエンジン音を鳴らして去っていく。雪の中にちょこんと座る美冬がひとり、燃える家の前に残った。パチパチと燃える炎が、童女の横顔を赤く照らしていた。


 朝日が昇り、薄れゆく童女の体を照らし出す。山の麓に見える小さな黒点が、雪に一筋の線を描きながら去っていく。秋人の乗るスノーモービルを童女が眺めていた。その姿が山の上からも見えなくなったころ、童女の足が完全に消え去っていた。


 泣き崩れる童女が雪に顔を伏せ、迫る死の気配と、二度と帰らぬ日々を想う。

 ぐすぐすと泣いて薄れゆく童女が、なにかを求めるように這いずっていく。


「いやじゃ、いやじゃあ……きえとうない、ゆきとうない……終わりとうない……」


 古妖の矜持が、ただでは死ねぬと心の中で叫んでいた。

 このまま消えてなるものかと、執念を燃やして進んでいく。


「あきひと……あきひとぉ……あの、鬼子めぇ……恩を仇でかえしおって……」


 ずるり、ずるりと這いずり回り、山の奥へと向かって行く。

 最後の力をふりしぼり、童女は目的の場所へむかう。

 朝日を浴びる小さな影に腕を伸ばし、消え去りゆく己の体を潜り込ませていく。


「おのれぇ……あきひと……このうらみ、はらさでおくべきか……」


 妖しく金色の瞳を輝かせ、美冬は畜生、化生へ落ちていった。

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