第43話 罠

 原生林の中をラティアとボギーは要塞へ向けて疾走する。ラティアがジェットスライダーで木々をかわし、こぶを飛び越え雪面を跳ねる。はるか後方、ボギーがバイクを懸命に操作して続いてくる。治安部隊が雪の中を悪戦苦闘して徒歩行軍するのを尻目に、ラティアはボギーを連れてラムナック大要塞へと先行していた。

 徐々に原生林の木々がまばらになっていく。樹林の合間から、遠く空へ鋭角に屹立する構造物が見え隠れし始めた。ラティアはヒールエッジを返し、ジェットスライダーをターンさせ、原生林から雪原へ飛び出す。

 雪原のかなたにラムナック大要塞が現れた。

 周囲は西日を浴びて金色に輝く雪原が広がり、その南は青黒いラムナック海へ落ち込んでいる。その海と雪原の端境に一か所だけ、山脈のように突き上がるシルエットがある。それがラムナック大要塞だった。東西十二キロメートル強、高さ三十メートルの防護壁は半年前と同じ。それを見るだけでラティアは背筋がぞくりとした。ラティアは要塞を真正面に見据えながら減速し、大きくスラロームを描いていく。雪原は平坦ではなく、至る所、十数メートルの深さで窪んでいる。付いてくるボギーのためにそれらを避け、大きく蛇行していく。

「めちゃくちゃな荒れ地だね。火山の噴火口が幾つも埋もれてるみたいな」

 ラティアのスラロームをトレースして、ボギーが追いついてきた。

「当たらずとも遠からずだよ。これはね、要塞から撃ち出された砲弾が炸裂した跡。半年前私がここへ迫ったときは、要塞近くまで原生林が続いていた。要塞の砲撃で、原生林が全部吹き飛ばされてしまったのよ」

「まさか……この噴火口みたいなの、全部ラティア一人を狙い撃ちにした砲撃跡なの?」

 要塞の主砲、四連装砲塔は差し渡しだけで四十メートル。しかもそれが六十基あった。

 かつてそれら巨大な砲塔が、ラティア一人へ一斉に火を噴いた。直撃を免れても、爆発とそれによって生じた真空の衝撃波に叩き付けられ、同時に数万発の破砕片がラティアを襲った。間断なく降り注がれる砲弾に、吹き飛ばされ、立ち上がる暇も与えられず雪面に際限なく叩き付けられ続け、ラティア自身もこのときばかりは駄目かと諦めかけた地獄だった。

「さすがにちょっと怖かったわ」

 ラティアは首をすくめて、ボギーにいたずらっぽく笑って見せた。

「精一杯の強がりでそれなんだな。でもこの穴ぼこだらけの地面、納得するしかないよ」

 次第に迫る漆黒の要塞も、自分たちを睥睨するように、高く、空へ向かって大きく伸び上がり、城壁は、高く見上げる大津波のように対峙する者に迫ってくる。十重二十重に要塞を取りまく砲塔群も、人間の作るそれとは桁が違う大砲だった。これだけの戦力が人間一人に向けられたなど、想像するだけで恐ろしい。

「あれ? どうした、ラティア?」

 ジェットスライダーのエンジンが切れた。

 正面ゲートは間近に見えながらも、まだラムナック大要塞に達していない。ジェットスライダーの噴射口から、オレンジ色の噴射が消えてしまった。ジェットスライダーは緩く、慣性のみで雪原を滑り続け、ボギーはバイクをラティアのとなりでゆっくり併走させた。

 ラティアは天を仰いだ。西の空へ、遠く去っていく鳥の群れが見える。

「……寿命なの」

 ラティアは消え入るような声でつぶやいた。

「高性能なシステムほど寿命は短い。戦場で、そして今日まで一緒に戦ってくれたジェットスライダーだった。むしろ、ここまで良く持ってくれた。もう、あの空へ向けてともに跳ぶことはなくなった」

 ジェットスライダーは速度を落としつつも、要塞正面のゲートをくぐり抜けるまで滑った。せめて最後の勤めを果たそうと、精一杯ラティアを運んだかのようだった。ラティアはビンディングを外すと、雪面にひざまずき、しばらくジェットスライダーに手を触れていた。ブルーベースは撃墜され、ジャンヌもレイアも消息は絶え、ついに愛機のジェットスライダーも、走ることを止めた。しばしラティアは沈み込んだ。

 その後ろ姿を見ていると、ボギーは自身の不安を口にせざるを得なかった。

「……なあ、ラティアは大丈夫なんだよな? 新渋谷へ突然来たのは……」

 けれどラティアは、ほほ笑みながら首を振った。

「ごめんね、心配させて。先を急ぎましょう」

 要塞内は紫色の硫化ベデロクスが霧のように漂っていた。辺り一面には口から血を流して倒れているパンゲアノイド兵たちが転がっている。そしてゲリラたちの死体も。二人はロナウの無事を祈り、奥へ向かった。

 二人の進む先には巨大空中戦艦バンデルツァルクスの建造ドッグがそびえ立っている。二人はドック内部へ進んだ。

 そこは途方もなく巨大な空間だった。薄暗く、窓から差し込む夕焼けの光だけが内部を照らし出している。鉄骨の足場がドッグ内全体に縦横に巡らされ、幾重にも直交する。それらが取り囲む中央に、紫黒色の空中戦艦バンデルツァルクスがあった。全長千七百メートル。首を上下左右に廻さなければ、とても全体を視野に納めきれない。

 ドッグ天窓からの陽の明かりがラティアの瞳に差し込んだ。途端、脳裏にノイズが走り、はっと我に返った。気がつけば、ラティアはボギーを連れて既にドック内奥深くにいた。

 ラティアは自分がいつの間にかボギーの手を引いているのに気付いた。

「どうしたんだよラティア! こんな身の隠し所もないところへ……」

 言われるまでもなかった。ゲリラたちが潜んでいるかもしれないのに、何をぼんやりとしていたのか。しかし、ラティアが混乱していると、ドックに幾重にもせん光がきらめき、爆発が起きた。ドッグに組み上げられた足場のあちこちが揺らぐ。組み上げた足場全体がゆっくり脈打つように動き出す。支えきれなくなった巨大な鉄骨が、頭上から落下し始める。

 一本、二本と鉄骨が落ち、床に跳ねた鉄骨がたわみ振るえて飛んでくる。ラティアはボギーを抱えあげてジグザグに走り、飛んでくる鉄骨をかわした。

 鉄骨の跳ね上がる鈍く不気味な反響音が、幾重にもドッグに響き渡っている。遂には足場全体が一斉に崩落しだした。逃げ切れないと見たラティアは、ボギーをドッグ入り口へ投げ飛ばした。だが、次の瞬間には鉄骨が折り重なってラティアの頭上に殺到した。懸命に、落下してくる鉄骨を両腕でなぎ払う。だが、それらはやがて肩を直撃し、腰に突き当たり、ラティアは折り重なる鉄骨の下敷きになっていった。

 上半身だけは、折り重なる鉄骨の山から逃れ出ていた。しかしラティアの腰から下にかけて鉄骨が幾重にも積み重なっている。ラティアはうつ伏せの状態で動けなくなってしまった。

「ボギー! 大丈夫っ? ボギー!」

 投げ飛ばした先のボギーは無事なはずと祈り、上半身をのけ反らした。

 しかしそこに巨大なパンゲアノイドが立っていた。左手にぐったりとしたボギーを抱え、やがてボギーを床にゆっくり転がした。その手は赤く血塗られていた。

 ラティアはボギーの名を絶叫していた。

 腕を隙間に突き入れ、鉄骨を除けようと死に物狂いになって足掻いた。しかしのけ反りながら逆手でかけられる力は限られていた。満身の力を込めて、関節がきしむまでに力を入れる。だが折り重なった鉄骨はどうにも持ち上がらない。

 天井から射し込む陽の光がパンゲアノイドの顔を浮き上がらせる。男はカーキー色の制服をまとい、胸に真紅の紋章をつけている。アルスラン帝国情報将校のものだ。しかし右手には情報将校が持つにはふさわしくない重火器を携えている。ラティアを狙い続けた、百式携帯型ロケットランチャーだった。

「ご心配なく。ボギーは邪魔にならないように眠らせておきました。いえ心配いりません、私は人間は殺さない。嘘じゃありません、生きてます。ご安心ください」

 パンゲアノイドは、その面に静かなほほ笑みを浮かべていた。

「さて、本題に入りますか」

 ラティアに向けて、その手にする百式を構えた。

「Sクオリファーの力は標準的なパンゲアノイドの数倍。それでもその折り重なる鉄骨はあなたの力をもってしても重すぎるはず。動けませんよね? そうすれば、この百式でもあなたを木っ端微塵に吹き飛ばすことができる。すばしこく動き回るあなたをいかにして足止めするかというのは難しいテーマでしたが、ようやく実現できました」

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