第四章 人であるために 人であるゆえに

第38話 ファンデリック・ミラージュ異変

 グエンは全治安部隊をハルムロア廃坑へ急行させると決定した。ラティアもボギーを連れてそれに同行した。現地には予想通り、大型車両の轍が雪面に多数残っていた。

 しかし丘陵奥へ行くに従って廃坑へ続く道は雪が深くなっていく。治安部隊は雪に阻まれ、そのうち動けなくなった。パンゲアノイドサイズの治安部隊車両群では重量がありすぎた。グエンはやむなく、この先徒歩で進むよう全員に降車を命じた。

 しかし装備を下ろしにかかっていた最中に襲撃された。砲撃音が谷筋に反響するやパンゲアノイド兵のただ中で爆発が起きた。パンゲアノイド兵が吹き飛ばされ車両が横転し火の手が上がる。治安部隊は崖から見下ろされ、砲撃され、車両から次々火柱が立ち上った。ギランドゥがいら立ち、反撃を叫ぶ。ラティアがそれを止めにかかった。

「ギランドゥ! 落ち着け、ここは一旦引くんだ!」

「引けだと? この卑怯な待ち伏せに、お前は尻尾を巻いて逃げ出せというのか!」

「今自分が言ったことをよく思い起こせ! 敵はお前たちパンゲアノイドの気性を利用してくるんだ! 卑怯を前面に出して苛立たせているんだ! 敵につり込まれるぞ!」

「こんな卑怯な手を黙って見過ごせと言うのか!」

 猛るギランドゥへ、突然グエンが拳で頬を殴りつけた。パンゲアノイドを知るラティアはまたかという程度の表情でいたが、ボギーの方はいきなりのことにひっと小さく悲鳴を上げた。

「目を覚ませい、ギランドゥ! Sクオリファーの言う通り、ここは一旦さがるのだ!」

「叔父上! たかがゲリラに退却など、俺はできない!」

「これがロナウ・ヘイズの『つり出し』だ!」

 殴られてもひるまなかったギランドゥも、それを聞いて歯ぎしりした。

「毒蛇め……」

 ギランドゥは悔しがるが、ラティアがその背を軽く叩いた。

「グエンと血族だったのね。でも、あなたは叔父と違って聡明なようね。あなたの叔父がああなるまでにパンゲアノイド兵が何千と命を落としたのよ」

 治安部隊は数百メートルも後退した。ラティアの周囲でパンゲアノイドたちが雪の上にうずくまっていた。ボギーですら深い雪に足を取られ、今は尻餅をついて息を荒くしている。超重量のパンゲアノイドは更に荒い息を上げ、へたっていた。

 ラティアは自身のセンサゲインをあげて前方のゲリラたちの動向を探ろうとしている。けれども深い谷と原生林に遮られて、ラティアのセンサも役には立たない。早く敵を制圧して、硫化ベデロクスの精製を阻止しなければならない。精製が完了すれば、今度は硫化ベデロクスが物を言う。この深い渓谷は毒ガスを滞留させるには絶好の地形だった。ラティアの脳裏に大戦中のコーネリア事件が過ぎる。これ以上、治安部隊を先へ進めるにはリスクがあると思った。

「グエン、あなたたちはここでゲリラたちの注意を引きつけてくれないか?」

「ほう、何か良いアイデアを思いついたようだが……一体何を企てているのだ?」

「今から精霊を呼ぶ」

 グエンの背後でパンゲアノイドたちが動揺しだした。フェムルトの魔女が魔法を使って精霊を召還する。その一言に、大柄なパンゲアノイドたちがおかしいまでに恐れ、身を屈めている。パンゲアノイドの社会では『カトゥラ使い』なる者が実際に精霊の力を行使している。その超常力は忌むべき者と恐れられている。Sクオリファーが人間の霊魂をインストールしているとパンゲアノイド側に喧伝しているのも、そうした恐れを抱かせる狙いがあった。

「心配要らない。あなたたちに害は及ぼさない。私の姿を見えなくする精霊を召還するだけ。そして私が先行してスフェーンKを取り押さえる。そうしたらあなたたちも来て」

「いいや、そんなことはさせない」

「邪魔する気? なぜ?」

 グエンは大仰に首を振り、ラティアの不信を打ち消した。

「そうではない。いかにSクオリファーであるとはいえ、君一人を行かせて我々がすくみ上がっていたなどと、後々誤ったうわさを広げられては名誉が傷つく」

「じゃあ、こうしましょう。私が先行して偵察任務に当たる。そして帰りが遅かったので、私たちの身を案じて治安部隊は死を覚悟して前進した、というシナリオにでもしておいて」

 グエンはなおも抗弁しようと口を開きかけたが、言いかけた言葉はのど元で紛らした。

 まぁよかろう、そう笑いに紛らせながら引き下がった。

「良い? ボギーも一緒に来て」

 ラティアに促されてボギーは立ち上がった。けれど、雪を払い見返したそこにラティアの姿が消えていた。治安部隊のパンゲアノイドから悲鳴が上がる。そして同時にボギーも驚きで身を固くした。見えないラティアがボギーの手を握ってきたからだった。

「落ち着いて。ファンデリック・ミラージュだよ」

 ボギーの耳元へ、パンゲアノイドたちに聞き取られないよう、こっそりささやいた。

「自分の体も見てごらんよ」

 握られた感触のある手先を見ると、そこにボギーの手も見えない。いや、自分自身の姿さえ、それどころか雪の上にあったはずの自分の座っていた跡さえ消えていた。

「目には見えているけど、私が発生させる磁場変動の影響で、脳が私たちの姿を認識できないようにしているんだ。さあ、行くよ。手を離さないで付いてきて」

 ラティアに手を引かれてボギーは付いていくが、疑問を口にした。

「あれ? そう言えばラティアは自分の姿が見えてないの? ラティアの頭は量子プロセッサで、人間の脳と違って磁場変動の影響は受けないんじゃないの?」

「それだと、ちゃんとファンデリック・ミラージュができているか確認できないからね。磁場変動の影響を私自身がチェックできるよう、磁場変動演算プログラムもちゃんとあるよ……」

 そんなボギーの疑問がきっかけだった。

 ふとラティアは、内心ある異変に首を傾げていた。

 ヘキサセルディスプレイに変動演算プログラムが映し出され、そこには動作履歴も表示されている。いつもは気にもとめないデータだった。だが、ボギーに質問されたのを機にデータを見ていると、プログラムが少なくとも半年前から断続的に作動していた。

 試しにプログラムの演算を停止させてみた。するとラティアの視界に見えなくなっていた自身の手足が見えるように戻った。データからは、ファンデリック・ミラージュを使った記憶がないときも作動していた。何かの弾みで勝手に動作したのか? ラティアのボディはあちこち劣化が進み故障もしている。だが磁場変動演算に異常が見つかったのは、今回初めてだった。

 ラティアは自身の機能劣化が予想以上に進んでいると思わずにいられない。自己診断プログラムを走らせて細かくチェックしたい。だが今はそんな時間はない。渓谷の奥まった先には、目指す廃坑が見えてきている。周囲の崖に五人、十人と木々の間に姿が見え隠れしている。

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