第37話 謀略

 新渋谷西方ハルムロア廃坑へ至る道は、険しい崖に囲まれた峡谷にある。周囲は原生林に覆われて見通しも限られる。おあつらえ向きに吹き込んだ雪が深く積もっている。寒さに弱く自重の重いパンゲアノイドの活動が最も制約される場所でもある。

「あそことそこに陣地だ。狙撃手を各四人セットで据えろ。それから、あの岩峰脇に身を隠す岩棚があるはずだ。あればそこにも四人セット。それと、でかい大砲はナシだ。連中をあんまりカッカさせると、我を忘れて崖をよじ登ってきかねないからな。信号弾を忘れずにな。目に見える信号は、相手を考えさせることもある。……まあ、こんなところじゃねえかな」

 ロナウはゲリラたちに陣地見直しを指示していた。

「フフフ。おもしれえなぁ、ここの地形は……いけねぇ、どうにも、うずいちまうぜ」

 地形を見るだけで、毒蛇が鎌首を持たげだす。ロナウは吹き抜ける寒風に防寒具の襟を立ててぶるっと身震いした。

 新渋谷にラティアが来た。これまではやり立つスフェーンKをなだめすかしてきたロナウだった。スフェーンKだけでも一苦労だったのに。ここへラティアが絡んできては、蜂の巣を棒で突かれるような騒ぎになりかねない。なんてときに来やがったと苦り切っていた。

 治安部隊なぞは鼻であしらえる。しかし、こっちは扱いを間違えると引っかかれて血を流しかねない。見た目はかわいくとも、生意気な猫みたいなところがある。おまけに、生真面目で強情。ロナウのラティア評はそんなところだった。厄介ではあるが、まあどうにか相手をするしかないか。そんな漏れ出た笑みで唇の先をゆがめていた。

 やがて崖の一角にハルムロアの廃坑が見えてくる。ロナウはその薄暗い坑道内へと進んでいった。廃坑最奥部まで進むと、蒸し暑さと硫黄臭で充満しているホールへと出た。年季の入った反応精製炉に排気装置、それらとボンベを連結する汚れた配管群。継ぎ足した部品だらけの制御機器に変圧器、その間を輸送クレーンがきしんだ音を立てて蠢いている。

 スフェーンKは恵比寿港から奪取した化学物質を全てこの廃坑内に持ち込んだ。今は硫化ベデロクスの精製を急がせている。スフェーンKの指示する甲高い声が、都度岩盤に反射してホール内に響いている。

 ロナウに気付いてスフェーンKが直立姿勢で敬礼してきた。

「中も暑いがお前さんも熱いねぇ」

「お嫌いでしたら普通の挨拶に留めますが」

「いいや、いいよ。俺は風呂上がりの牛乳と血が有り余ってる熱血は好きだ」

 スフェーンKもロナウの軽口に相好を崩す。ここまで何度も密会を繰り返し、議論を重ねてきた。スフェーンKはロナウとすっかりうち解けた様子でいる。

 ロナウもスフェーンKを褒めていた。若いが見所があるぜと言っていた。実際スフェーンKは各個に動いていた民族主義者たちを組織化し連携させた。ラーメド機関と折衝して兵備資金も得た。それらで幾つも拠点を設け、ゲリラ部隊として戦力を整えつつある。

 だが事態の変化にロナウは敏感だった。新渋谷にラティアが来てスフェーンKと対決する姿勢を見せている。スフェーンKがラティアを過度に意識し、対抗意識を持たれてはいけない。それではロナウの思案が台無しにされてしまう。慎重にロナウは舵を切り始めた。

「作業を切り上げた方がいい。計画を前倒しだ」

「わざわざお出でいただいての進言、一体何がありました?」

「ラティアが南部フェムルト一帯を統化しやがった。たぶん、すぐここにも来るだろうぜ」

 ロナウはトレーサSCCの表示部を見せた。Sクオリファーの調整保守用端末だった。

 スフェーンKは右拳を突き出す。

「来れば私がひねり潰してご覧に入れます!」

「やめときな」

「何故です!」

「あんなのと取っ組み合っても何の自慢にもなりゃしねえ。そんなに大した奴じゃねぇよ」

 『大佐』に対して敬意は払っているが、スフェーンKは瞬時に額に癇筋を立てた。

「あれえ、怒ったの? おまえ道玄坂で勝ってきたんじゃないの?」

「大佐。あれは十二分に脅威です! あなどれません!」

 スフェーンKは道玄坂でラティアと戦って、一方的に押しまくってみせた。しかしラティアを投げ飛ばした瞬間、左の指二本を折られていた。投げ放った瞬間、ラティアが踵を振り抜いてきていたのだ。投げの重心移動動作に入り、逃れようがない瞬間を狙われた。スフェーンKのスピードでかわさなければ致命傷の一打となる一瞬の機転だった。

 スフェーンKはラティアに鮮烈な印象を持ったらしい。それをからかうのは自分への侮辱と捉えている。しかしスフェーンKの不快へも、ロナウはひょうひょうとしていた。

「俺だってあいつに勝ってるもん」

「生身の身体で、大佐がSクオリファーと戦ったのですかっ?」

「おう、楽勝だぜ。尻をすっとなでただけで、キャーと言って跳び上がったぜ」

 品なく高笑いするロナウにスフェーンKの癇筋も行き場を失った

「ラティアにとって格闘戦は余技にしか過ぎん。真に恐ろしいのはシステム統化だ。あれを使われ出したら、俺たちも戦いようがない。二度は尻を触る手も通じねえだろうしなぁ」

 戦いようがないと言われ、再びスフェーンKの癇筋が沸き上がりかけた。けれどもロナウの話はどこまでが本気なのか、言い返すべきところなのかどうか、つかみ所がない。

「まぁ、おめえは大したモンだよ。Sクオリファー相手に素手で戦おうとした度胸は凄いぜ。しかも自分自身を囮にして、恵比寿港襲撃を成功させている。頭でっかちな口先だけじゃない、肝も据わってる。先駆けて走る実行力がある。大した指揮官ぶりだ」

 そうと思えば一転してスフェーンKを褒めちぎる。

 スフェーンKは困惑し、考え込んだ。褒めて相手を喜ばせるようなロナウではない。その真意を測らずあやふやに紛らせれば、その瞬間、その程度の人間と見なされてしまうだろう。

 ロナウは胸ポケットからライターと葉巻を取り出した。スフェーンKが考え込み始めたのを見て、巧みに『間』を取った。ゆっくりと葉巻を封から取りだし、火を付ける。くわえたまま葉巻は吹かすフリだけで、ゆったり紫煙をくゆらせている。

「先の戦争でもお前が俺の側にいたら正規軍を指揮させてやりたかったがな。もっとも、今おめぇは立派にゲリラ部隊を率いる指揮官だ。ゲリラは敵の虚を突いてこそゲリラよ。少数の戦力で機動力を発揮して正規軍を揺さぶる。それがゲリラ戦の妙さ」

 スフェーンKは腕組みをして、なお天井を見上げ、足元へ視線を落とし考え込んでいる。

「葉巻もいいがな、水タバコってのが結構いけるんだ。今度、おめぇどうだ?」

「……いえ、私はタバコはやりませんので」

 ロナウが葉巻を終える頃には、スフェーンKの表情は、改まっていた。

「ご指導ありがとうございます! 敵の虚を突く。戦術の原則でした。ましてゲリラは神出鬼没することこそが命。向かってくる敵に正面からぶつかるのは愚であると」

「分かってくれたかい?」

「はい。では大佐、ラムナック大要塞のシステムネットワーク遮断を……」

「おう、システム統化対策は俺に任せな。ラムナックのシステムだけは俺が押さえてやる」

「感謝します!」

「まぁ、感謝される筋合いじゃねぇけどな。元々お前の立てた作戦なんだもん。そこでだ、分かってくれたところで、ちょいと手配を変えたいんだが……」

 スフェーンKはロナウに指示を受けると、すぐさま行動に移った。

「硫化ベデロクスの精製作業を打ち切る。作戦変更だ! 各班のリーダーを招集せよ」

 スフェーンKはロナウを一人置いて駆けだした。廃坑内の動きは前にも増して慌ただしくなりはじめた。

 ロナウはゲリラたちを操縦し、ラティアに対する手を打っていく。しかしその表情はいつしか厳しいものへと変わっていった。ロナウは別のことを思案しだしていた。

「いったいどこの馬鹿が、あの高機能生真面目娘にタレこみやがったか?」

 このタイミングで、なぜかラティアが新渋谷に現れた。全くの偶然とは思えない、これまでロナウが遠回しに抑えていたスフェーンKも突然動き出した。

 スフェーンKがなぜ大規模テロを計画したのか? ロナウはその理由をスフェーンKからは細々聞かされていた。公にはされていないが、恵比寿港にブレル酸等が集積されていること、そしてフェムルトに駐屯していた軍はほとんど帝国本土へ移動済み。ラムナック大要塞でさえも、実は今、警備がほんのわずかしかいないこと。

 それらは有志からもたらされた情報だと聞いていた。これを元にスフェーンKは大規模テロ計画を立案した。ロナウにも協力するよう要請してきた。しかし、にわかにここで実行に移すとは聞いていなかった。

 スフェーンKとラティアを連動して動かそうとする意図が見え隠れしている。

「こいつは、ただの馬鹿じゃねえな……」

 一体この渦中にラティアを送り込んで、何をしようというのか? 毒蛇の嗅覚が、同じ猛毒を持つ者の匂いを嗅ぎつけていた。

「ラティア、そいつはお前の手には負えねえぞ……」

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