第35話 システム統化

「それじゃ、早速捜査にかかるわ。治安部隊の特殊車両を一台貸してくれないかしら?」

「どこへ行くのだ? 小型飛行艇を呼び寄せることもできるが?」

「正確に言えば大容量データ送信回線を使わせてほしい。特殊車両なら装備してるだろう?」

 グエンはラティアの意図が分からず少しばかり首を傾げていたが、やがて自分に付いてくるよう促した。ラティアは傍らのジェットスライダーを担ぎ上げ、ボギーを手招きした。

「心配しないで。約束する。ロナウさんは必ず私がなんとかする」

 そう、自分がなんとかしてみせる。かつての大戦で戦うことだけにのめり込んでいたラティアを救ってくれたのがロナウなら、今度は自分がロナウを暴力の応酬から救い出してみせる。

 外では遠く近く救急車のサイレンの音が、響き渡っている。テロで破壊された建物から立ち上る煙で、新渋谷全体が煙っていた。爆発は収まっても、なおも街の雰囲気は騒然としたままだった。

 扉を抜けラティアが店の外に出ると、路上から軽いどよめきが起きる。

「出てきた! 魔性の機械戦士!」

「フェムルトの魔女! あんなに小さいのが……」

 治安部隊から感嘆の声が上がり、身震いが起きる。

 パンゲアノイドは銃よりも、その腕力に物を言わせての剣戟を好む。治安部隊の猛者たちが手にする巨大な武器も、その重量感だけで人間が浮き足立つような大業物だった。刀や戦斧、鋼棒を手に携え、中には背丈が二階建ての家ほどの者もいる。そんな彼らがどよめいたのは、強者・ラティアを目の当たりにした畏敬からのものだった。

 グエンが部下のギランドゥを呼び、指示をする。ラティアはギランドゥに特殊車両へ案内され、乗り込んだ。座席正面に広がる通信機器類を見回し、ケーブルコネクタを見つける。ウエストポーチをさぐり帝国の規格コネクタとケーブルの束を取り出し、差し込んだ。

「この車両は占領統治府管制センターの基幹ネットワークにもアクセスできるわね?」

「もちろんだ。つかぬ事を聞くが、一体何の情報が欲しいのだ? 具体的に指示すれば、君の手を煩わせずとも、管制センターから出させてやるが」

「いいえ、情報だけじゃ足りない。彼らを捕捉できるよう、システムをフルに活用したいの」

 ラティアがこめかみをなぞると、頭皮部分が剥がれて光る金属骨格がむき出しとなった。

「私の無線通信では通信容量が不十分。構造体組み込みと設定調整の間だけこれを借りるわ」

 金属骨格の表面には通信用コネクタ孔が開いている。ラティアはポーチから帝国規格との互換コネクタをより分け、組み上げ、そこへ差し込む。アクティブ化したインターフェイスが、周辺で小さなライトを明滅させる。

「これから私は新渋谷になる。いえ、もっと必要。南部フェムルトそのものとなる」

 ギランドゥが首を傾げる。

「Sクオリファー、お前は何を言っている? いったい何のことだ?」

「クオリファー技術は、人間とマシンのインターフェイスを究極にまで進める技術。人間の魂・思考意思をマシン内のフィロソフィー領域へインストールする。その一例が私。この機械のボディへ私がインストールされているのだけれど」

 ラティアはコネクタを指し込んだこめかみを指さした。

「量子プロセッサのクオリア機能を介してマシンと一体化した私は、さらに一体化する領域を拡張することができる。それが統化」

 ギランドゥと話す間にも、ラティアの量子プロセッサが作業を進めていく。新渋谷支庁舎の管制システムにアクセスし、コードを書き換える。その市庁舎管制システムから、今度は統化構造体プログラム・C3V号をフェムルト南部の全システムへ転送していく。

 C3V号はシステムに入り込み、システムプログラムを設定変更し、ラティアへ信号直結するよう、システム再構築を図る。ラティアは座席シートにもたれかかり全身の力を抜く。量子プロセッサの働きを統化に集中するため、自身のボディをカーネルモードへパーシャリティシフトする。手足の制御を、次いで感情をつかさどる機能をも一時的に遮断した。

 ラティアの全身が座席シートに投げ出された人形のように力を抜き、動かなくなる。

 緑の瞳から感情が消え入るように生気が失せる。

「統化スル」

 感情の消えた抑揚のない声でラティアが宣言する。

「新渋谷支庁舎管制システム一号へ指令*全新渋谷回線網ファイアヲール解除*コマンド・ラティアAA5382適用*適用後ファイアヲール閉鎖*C3V号*恵比寿港全システムへ転送インストール*新渋谷ノ全システム書キ換エハ***一六七.六七秒後********」

 ネットワークにつながる全てのシステム、電子機器が、ラティアの送り出すウイルスプログラムに侵入され、制圧されていく。全てのプログラムが書き換えられ、人間やパンゲアノイドのインターフェイスから切り離され、ラティアと接続し、ラティアという新たな巨大なシステムの一部になり、飲み込まれていく。アンドロイド筐体一個にすぎなかったラティアが今、フェムルト南部の全システムで構成された存在へと変容していく。

 通信回線につながる公共・私有のあらゆる電子機器が、交通管制システムなどのインフラネットワークが、モノポリウム発電所の出力制御からラムナック大要塞、そしてそこで建造中の巨大空中戦艦バンデルツァルクスまで、全てがラティア自身となり、ラティアの意のままに動くよう変わっていく。

 ビルも道路も新渋谷の街並みにも、表面的には何の変わりもない。変わるはずもない。しかし、デジタル信号が街を駆けめぐり、全てがラティアになる。システムキメラとも言える状態になったラティアは、今の自分を怪物のように思うことがある。

 何故なら、ラティアの意思一つで都市交通機能を全て麻痺させることができる。モノポリウム発電所を暴走させ、周囲数十キロメートル四方を吹き飛ばすことも可能だ。バンデルツァルクスの操作も容易い。戦闘力で世界の五指に入るとされたガイエルドムクス級の空中戦艦だった。これがアルスラン帝国本土を砲爆撃すれば、帝国も重大な危機に直面するだろう。

 統化し、全システムをキメラのような怪物と化した今のラティアならば、それら全てができる。システム統化の威力は、人類どころか世界の運命を掌上で弄ぶものとなりうる。もしもあのときのような、戦い、支配を目論む自分であったらと、自身恐ろしくなる能力だった。だから、ラティアは自身の技術を帝国に、誰にも渡さないように身を隠し、逃走し続けていた。これを使われまいとした。

 けれども一方で、ラティアはこの統化技術に希望も見いだしていた。

 ラティアの意識は今、システム・キメラの中で、人間のそれではなく別の概念へと変容している。

 そこはグレー一色の、一見その中心も地平さえも定かでない電子空間。

 小さな球形光点が明滅する。それがラティアの人間としての個の意識を示す一信号。

 球形光点から複数の黒いラインがゆっくりと伸び、広がっていく。それらは各々の距離を走ると、弾けるように新たな複数のラインを展開し、網目状に交差点を形成していく。

 それらがまた広がり、広大な電子イメージ空間内に無数にラインとクロスが拡散していく。

 それが今、ラティア自身と回線網を通じて信号を返した各システムとの接続を現している。

 ラティアの光点は黒のラインの上を進みだす。直線を突き進み、交差で向きを変え、速度を上げ、ラティアの意識はラインに沿って自在にその空間を動き回る。ラティアの光点は加速していくに従い次第に輪郭がぼやけ、徐々に個から波動の集合体へと変容していく。波動はやがて拡散し、全てのラインクロス上を覆い、輝く分布へ変わる。意識が一個から、分布としての空間に変換される。それがネットワークで接続されたシステム空間の隅々までを覆う。

 それは巨大な未知のフロンティアが開けた瞬間だった。

 ここは意識・思考が個々人の頭脳から解放され、ネットワークで接続された広大なシステム・キメラ空間へ拡散し、三次元分布として意識が存在する。歴史上のいかなる聖人賢者も知りようがなかった、生命進化を突き抜けた先に現れた、全く新しい精神世界だったのだ。このシステム・キメラ空間に飛び込み、思惟すれば、価値観や哲学、宗教など、人類の思想に革命的な変化をもたらすことだろう。

「ここに新しい世界があるんだ!」

 目を輝かせて、声を大にして皆に伝えたい。一緒に来て、感じとってほしいと願った。大戦の激しい戦いの中でも、何としても生きようとしてきた。それは、これを皆へ伝えたい、一緒に感じることができたらどれほど幸せなことか、そんな希望からだった。

 けれども、振り返ればラティアに続く者はいない。

 大戦中にSクオリファー研究施設は失われてしまった。新たにSクオリファーはもう作れない。フロンティアへの道は、ラティアが一歩を踏み込んだだけ。もう全てが閉ざされてしまったのかもしれない。

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