第30話 スフェーンK

 軍服姿の男がいた。その旧フェムルト軍将校の出で立ちは、平和になったはずの新渋谷への拒絶を誇示しているかのようだった。おそらくは、こいつが今新渋谷を爆破しているゲリラグループの一人。ラティアは男目掛けて駆けた。

 一方、男は大股に、ゆっくり歩いてくる。歩調に合わせて耳で真紅のイヤリングが揺れている。オールバックにまとめた銀髪の下で目が光る。男は次々にパンゲアノイドへ狙いを定め、躊躇なく撃ち殺していく。人間一人がパンゲアノイドを撃ち殺すこと自体、異様な光景だった。携帯重砲ですら通じなかったパンゲアノイドを、しかも一発で仕留め続けている。その手にするライフルは、軍用車両の搭載火器として配備されたものだった。対パンゲアノイド用超大型銃で、重量は六十キロ。それは人間が片腕で射撃できる代物ではなかった。しかし男はライフルを持った腕を真っすぐ差しのばし、一発、また一発と撃っている。

 男の背後にやはり軍服姿をした者が駆け寄る。

「待て、スフェーンK! どうしたっていうんだ、突然っ?」

 スフェーンKはラティアの方へ顔を向け、あごをしゃくった。

「見ろよ、あいつだ。そう、Sクオリファーだ。いたんだよ、この道玄坂に。鬼の形相をしてこっちへ向かってくる」

「Sクオリファーと戦うつもりかっ?」

「そうだ。いろいろ試したいことがあってな」

「危険だ! 今ここはリーダーが危険を冒すときではない!」

「ハン・アゲッツ。お前には俺にないものがふたつある。熟慮と堅実だ。だがここは俺の直感とサイボーグの体を信じてほしい。これもフェムルトのためだ」

「信じて良いんだな?」

「大胆さが成功を呼び込むものだ。お前には俺に代わって部隊の撤収統括を頼む」

 ハン・アゲッツがうなずき引き上げていく間にも、さらにスフェーンKはパンゲアノイドを狙撃していく。一方、ラティアが猛然と突っ込んできた。

「やめろ! パンゲアノイドを撃つな!」

 叫びながらラティアがスフェーンKへ走り、挑みかかった。

「来い! Sクオリファー!」

 スフェーンKも石畳を蹴ってラティアへ跳躍した。しかも踏み込む力は、足下の石畳が砕け飛ぶほどの勢いだった。かつライフルを逆にし、鋭く振り抜いた。ライフルの特殊鋼台座がラティアの顔面をとらえる。瞬間、ラティアの強装甲化イオン変換した皮膚の硬さとスフェーンKの腕力とがあいまって台座がひしゃげた。

 装填していた銃弾が暴発する。

 ラティアが吹っ飛んだ。

 自身の体とともにライフルの残骸が砕け飛び、石畳に全身を叩き付けられた。

 身を翻した跳ね上がりざまに、スフェーンKの蹴りが腹部へのめり込んだ。

 ラティアはえずきながらもその足を左腕でつかみとった。

 右肘を相手膝関節の裏側へ巻き込み、自身の体を軸に高速旋回した。かつてベルトーチカ会戦の一騎打ちで使ったスクリュー・ホイップ。体重三百キロのガルデニック・ゴレイをも吹き飛ばした技だった。

 だが振り回されるスフェーンKの両眼がラティアの顔面をひたと見据えていた。

 危険を察し、瞬時にスフェーンKを投げ捨てた。

 ラティアはその反動で横っ飛びに離れる。

 ビルを背に振り返ると、もう目の前へスフェーンKが詰めてきていた。

 高速で繰り出す拳が、かわすラティアのほほをわずかにかすめる。

 拳が背後にあったコンクリートの壁を砕き、のめり込む。

 ラティアは逃れ距離を取ろうとした。人間でない異様なスピードとパワーの連続攻撃へ、対応する間を取ろうとした。

 しかしスフェーンKはその一拍の間すら許さない。

 スフェーンKがコンクリートから腕を引き抜き、ラティアへ跳ね飛ぶ。

 瞬時に間合いを詰められ、同時にラティアの構えた懐へスフェーンKの腕が伸びていた。どこをつかまれ、どう組まれたかも分からないまま、体へ猛烈な勢いの自転を加えられ投げ飛ばされていた。

 自転と投げ飛ばされたスピードに受け身も取れないまま、信号機に激しく叩き付けられ体が海老反りにのけ反る。信号機は激突の衝撃を受けきれず、中程から折れ曲がり、ラティアの体も石畳に投げ出された。衝撃で量子プロセッサの信号伝達に異常を来したのか、脳裏でノイズ信号がランダムに暴れてめまいがする。

 スフェーンKが手のひらを閉じ開きしながら、路上にうずくまるラティアを見据えている。

「このサイボーグのボディは破棄されたSクオリファー・ファイブ・バウンズの駆動系をさらに改良設計したものだ。お前の古いボディシステムよりも、速度・パワーで上回る」

 ラティアはよろめきながら起き上がろうとする。スフェーンKが指さした。指さした先はラティアの腰の剣に向けられていた。

「古い剣だな。お前そのもの。時代後れだ」

 ラティアは自身の腰に帯びる剣に手を添えた。けれども抜くことはなかった。ラティアはゆっくり首を振った。

「この剣を侮辱するな。剣は魂の象徴だ。人の在り様を問うためのものだ。この剣を与えてくれた人の心も私の思うところも、そこにある」

「剣は戦いのためにこそあるものだ。戦いに使ってこそ。それはお前にも当てはまる」

 スフェーンKが静かに、諭すように語る。

「Sクオリファーよ、フェムルトのためもう一度戦え。旧世代機であっても、私相手でさえここまでできるのだ。格闘戦がお前の全てではなかったはず、むしろ余技にすぎない。今日私はお前を見極めるためここまで出向いた。来い! 俺とともに天道を正そう!」

「天道だと?」

「そうだ! 穢れた下等種族どもを駆逐する! フェムルトを再び清浄な地に戻す! 人類の国家を再建する! 共に戦えなかったフェムルト首都防衛師団を復活させるんだ!」

 フェムルト首都防衛師団。大戦末期、その師団長がラティアだった。そこへはサイボーグ技術を使った兵員を配備する計画だった。結局、大戦終結までそれは間に合わず、ラティアは一人、首都防衛のためベルトーチカへ向かったのだが。

「ベルトーチカの戦いを聞いたときの無念。私の実戦配備が間に合えば、その先のラムナック大要塞も落とせた。フェムルトから下等種族を全て駆逐できた。お前と、私で!」

 ラティアの胸に去来したものは複雑だった。スフェーンKは、四ヶ月前の自分を見るようだった。もちろん、ラティアはパンゲアノイドを下等種族などとは考えていない。やむなく戦った思いでいる。けれどもラムナック大要塞を落とせば帝国を追い払えると考えたのは確かだった。そして、自分ならそれができると信じた。今のスフェーンKのように。

 後悔の念がよぎる。何故自分は戦ったのか。戦いたくてSクオリファーになったわけではなかったのに。何故あのとき、大要塞まで落とし、さらにはフェムルトを自分が掌握しようなどと考えたのか? 好んで戦いへとのめり込んでいったのか? いったい神にでもなる気でいたのか?

 戦う必要はなかったのだ。互いに戦ってはいけない、理解し合える相手だったのに。それはこの新渋谷を見れば明らかだ。けれどもあのときは、五十四万の軍勢を壊滅させるという人間にはやりようのないことを、自分はしてしまった。できてしまった。それができることを目の当たりにしてしまった。

 ならばと思案が進んだ。

 このままではフェムルトは滅ぶ。人間に任せていてはだめだと脳裏を過ぎった。優れた機能を持つ自分がフェムルトを導かなければ、戦争は終わらないと考えた。ラムナック大要塞をも落とし、人間へ力を見せつけ全フェムルトを自分が支配掌握しようとした。決して欲得でも権勢欲でもない。あくまでそれが、人間を守るために必要な使命だと信じた。

 本当に使命と思ったからなのか?

 違う。自分が勝ちたかったのだ。フェムルトのためでも人間のためでもなく。自分のエゴが戦うことを望んでいたのだ。あの瞬間。

 思い上がりだった。勝ちすぎたのだ。勝ちすぎが自分を盲目にしていた。過信から来る自己陶酔だけだったのではないか。

 違う、あんなものは自分じゃないと言いたい。自分はそんなことは。自分は……。

 スフェーンKを前に、勝つことの過信、自己陶酔に、かつての自分を顕わにされる思いだった。ラティアが後悔で苦り切った思いでいる一方、スフェーンKは今まさに自分ならやれる、フェムルトを導けると確信しきっている。戦う必要はないのに。

「しかしだ! 今、お前はフェムルトに居座る穢れた下等種族どもをなぜかばう! 営々とこの地で築き上げた父祖の努力をふいにし、美しい人類の文化・社会を汚す気か!」

「パンゲアノイドと戦い、いがみ合う必要はない!」

「違う! そんなことは断じてない! ツォーレル島では、お前も知るSクオリファー・ツー・ジャンヌの家族が惨殺された! 二年前にもここ新渋谷が襲撃され、数百人の犠牲が出ている! そしてガンバレルでは我が家族も皆殺しにされた!」

 スフェーンKは耳の、家族の血で作ったイヤリングを指さした。だがラティアはスフェーンKへ訴えた。ラティアは自身を省みて、スフェーンKを止めねばと思った。

「それらはローローエンの策謀とラーメド機関の扇動によるものだった。私たちは正しく理解し合い、争うべきじゃない。生き残った者が、勇気をもって暴力の応酬を断ち切るんだ!」

 スフェーンKは目をつり上げ、口角泡を飛ばしてわめき散らす。

「貴様はパンゲアノイドとの戦いに作られた戦士ではないか! 既に多くの者が殺されているのだ! 大地に血が流され、やつらはそれを踏みつけ居座っているのだ! 許せん! 皆殺しにせねば! 死んだ者たちの無念を晴らさねば! 戦え! 我々とともに戦え!」

 スフェーンKは次第に狂ったように叫び続けた。

「ロナウ大佐もそれを願っている!」

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