第22話 ロナウの街 ロナウの店

 ラティアは新渋谷市街の外れにたどり着けたところで、ジェットスライダーの上に座り込んでしまった。

「予定より随分遅くなっちゃったけど。店はまだ開いてるかな」

 また砲撃が来ないか警戒しつつ、防御線の障害物を丹念に探り、ルートを選別していく作業に、いささか気持ちが疲れた。

「さあ、立って。ファンデリック・ミラージュ展開しなきゃ」

 ラティアはのろのろ立ち上がりながら、自身の姿を周囲からはパンクスタイルの少年に見えるようにした。背負うジェットスライダーとショルダーバッグは、エレキギターとズタ袋に見えるようする。その上でショッピングウインドウに写る自分の姿を確認する。そのままではラティアと変わらぬ姿が写っている。しかしファンデリック・ミラージュに影響された脳が認識する視覚へ、磁場変動演算プログラムで補正した視覚へ切り替えると、その姿は正しくパンクスタイルの少年に見えた。

「よしOK。よっとお!」

 エレキギターを背負い直して歩き出す。新渋谷は全体がすり鉢状の地形に立つ街だ。その中心へ向かうにつれ、ゆるやかに坂を下っていく。

 除雪された舗装道路にエンジニアブーツのかかとがカツコツと街に響いていく。ラティアの動きを感知して、歩道のトパーズ色のラインライトが輝き出す。そして両脇には、ガーネットやトルマリン色の小さなイルミネーションランプを幾重にも巻き付けられた街路樹が立ち並ぶ。街は、二十一世紀初頭の渋谷を模していた。道の両側にはアンティークな中世風のコンクリートビルが立ち並んでいる。その合間合間に、各階高さが人間のそれとは違う新しいビルも建ち始めている。それらパンゲアノイド式のビルはずんぐりした曲面に、重量感のある作りを基調としているが、威圧的ではない。力強く包容力を感じさせるそれらを見ていると、なにやら人間の建物は華奢でちょっと冷たくもあり。

「面白いなあ」

 かつて建築デザイナー志望だったラティアは、それらを眺めるだけで興味津々になる。街の中心へ進むにつれて灯りが増していく。通りの騒がしさが増していく。深夜にもかかわらずラティアとすれ違う人も多い。きらびやかなアパレル店舗に、しゃれたレストラン。アミューズメント施設からは強烈なせん光と若い歓声がわき起こっている。多くの都市が空中艦隊の砲爆撃を受けて灰と瓦礫になった。それらに比べ、復興著しい新渋谷は異世界のように思えてしまう。

 信号機で立ち止まり見上げたビルの最上部には大きなディスプレイがある。ディスプレイには気の早い春物アウトフィット姿のアイドルが映っている。明るい歌声とともに、軽やかにステップを踏んでいる。その姿はまぶしく、少しだけ羨ましい。もう数年、ラティア・メルティの生まれた時代が違っていたらとも思う。

 ラティアの脇を人間に混じってパンゲアノイドのビジネスマンが通り過ぎた。彼は人間の同僚と何事かやかましく笑い談じ合っている。ボギーから時折送られてくるメールで知ってはいたつもりだった。でも実際に目の当たりにすると、改めて驚かされる。狡猾な人類、獰猛なパンゲアノイドと、たった三か月前まで互いに殺し合ってきた間柄なのに。こうして打ち解けることができる本質を互いに持っていた。その事実を目の当たりにして、ラティアは改めて考え込んでしまう。

 依然未整備な法の問題など、フェムルトの一部では混乱が続いている。けれども人類とパンゲアノイドの間には明るい未来が開けていると思える。ラティアはベルトーチカ会戦後も徹底抗戦を主張した。それを頑としてはねのけたロナウの判断は正しかった。この街を見ていると悔しいながらそれを認めざるを得ない。ここに殺し合いはない。みんなで生きて新しい生活を喜び合っている。新しい社会を作り出そうと、力を合わせだしている。

「ロナウさんの街か……」

 ただし四か月前のあのときは違った。

 ベルトーチカ基地でラティアを支えたチェーホフたち五人は、ついにベルトーチカから生きて帰ってこられなかったから。彼らの犠牲を無駄にはしたくなかったから。そうした思いが今も胸を締め付ける。生きられなかった人々の分まで、未来をこの手にしようと、最後まで戦い続けないと。ベルトーチカ会戦のあともラティアはそう思い続けた。けれどもロナウの下した判断は自分のものとは違った。戦いをやめろと。

 ロナウの判断は間違っていなかった。あの日、ロナウは戦いにしがみつく自分を解放してくれたのだ。四か月経った今、きらびやかな街を見つめながら少しだけそんなふうにも思う。


 尾根筋を走る大通りから逸れて、小路の石畳を進んでいく。両脇に迫る建物に遮られ大通りのざわめきも遠のいた。ブルーのイルミネーションランプが散りばめられた、小さな街路樹が連なる。小さな辻を折れるといよいよ目指す番地だった。

 小さな居酒屋やレストランが寄せ合う通りを一軒ずつ確認していく。そのうち軒先にくすんだ真ちゅう製のランプがつるされているのが目にとまった。古ぼけたレンガ造りの店だった。アーチ窓から室内の明かりが漏れて、店先の根雪と石畳をあたたかな淡黄色に照らしている。それがロナウの経営するカフェバーだった。

 ラティアは一度深呼吸をした。

「……よし。……行くぞ」

 一歩、一歩と、店へ向かって進みだした。扉はパンゲアノイドも出入りできるように高く、大きなものだった。扉に手をかけると、さして古くもない蝶番が軋みを立てて開く。

「はいよ、いらっしゃい」

 蝶番の音が客の入室を告げる呼び鈴代わりだった。すぐにロナウの声が広い店内に響いた。入り口から続く石段を下りていくと静かな店内に石段を踏む靴音が響く。

 既に照明を幾つか落とした店内は客も従業員もいない。テーブルにはタバコや葉巻の吸い殻が積まれた灰皿に、つい今し方まで使われていたと思われるカードが投げ出されたままになっている。宴の終わった酒場は様々な酒の残り香と、人いきれでよどんだ空気が沈殿していた。

 傍らにエレキギターに見せかけたジェットスライダーを置いた。

 ロナウはカウンター奥で背を向けていた。ありきたりな白シャツに黒のベストを着こなしている。何かぶつぶつつぶやきながら、洗い物に余念がない。振り向かずともラティアには想像が付く。その口調から短めの顎ひげに少しばかり唇の端をゆがめてしゃべる癖が。

 木目のカウンターテーブル上方には、つるされたグラスが列をなしている。グラスは乏しくなった照明の明かりを鈍く室内へ散らしていた。向こうにいるロナウの、濃紺の髪が淡い光に浮き上がっている。

「だけど悪いねぇお客さん。今日はもう店じまいなんだ」

 めんどくさそうにロナウが声を上げる。相変わらずのダミ声だった。ラティアより頭一つ背は高く、標準よりは肉付きの少なめな体つきも変わっていない。

 ロナウが振り返った。なんだこのいかれたボーズは? という迷惑そうな目をした。

「ボーズ、ここはゲーセンじゃあねえ……ぞ……」

 ロナウの視線がいぶかしげに変わり、やがてぐっと見据えた表情に改まった。

 ラティアはカウンターに置かれた鏡にちらと視線を移した。そこにはツンツン髪を尖らせて、ほほに星形をペイントした顔が写っている。ファンデリック・ミラージュから磁場変動演算プログラムで補正したラティアの視界には、確かにパンク姿の少年が見えている。ファンデリック・ミラージュは正しく動作している。

 けれどもロナウがカウンターテーブルに両手を付いてラティアを凝視している。

「……お前か?」

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