第18話 新渋谷不穏

「へえ。私の背後からズドンとする練習だと?」

「いえいえ、滅相もない。私は殺しはしません。忍び足して人の話に聞き耳を立てるので精一杯。怖がりなスパイなんですよ。ですが最新科学の粋を凝らしたあなたにもここまで近づくことができるようになって、これは最近ちょっと自信になっています。敗戦のショックは私もいささか自信をなくしていたところで」

 戦後、ラティアを狙ってくる者が数多くいる。大戦時以上にラティアの身辺はきな臭くなっている。少し羽根を伸ばしたいと、無人の墓標前で一人羽目を外していたが。疎ましくもこの元諜報部員は早速ここをかぎつけてやって来た。チェニスは今はラティアの協力者ではある。しかし身の上話の一つもない。家族の話も聞かない。その一方でラティアの身辺情報を、それとなく会話の中へ、巧妙に織りまぜ聞きたててくる。その能力の高さと相まって、近頃は薄気味悪ささえ感じていた。近づけない方が良いかもしれない。しかし距離を置こうとしても、今のように行く先を知らせずとも、チェニスはラティアへ忍び寄ってくる。そしてほほ笑みを絶やさない。黒のコートを羽織り、つるりとした顔立ちに、金髪をオールバックに整えている。中世貴族の執事はかくあるものかといった柔らかな物腰と言葉使いでいる。その一方で必要以上に多弁なところもラティアを苛立たせる。

「時間より早いけど、もう良い。ここで話を聞こう」

 目の前にまで歩み寄ってきたチェニスへラティアから切り出した。

「ここでよろしいのでしょうか? 椅子もテーブルも紅茶もない。青空会議が嫌いなわけではありませんが、あまり広めたくない情報もある。お天道様の下でするのは居心地が悪い」

「他に誰かがここにいるとでも?」

「まあ、ありえませんね。こうして捕捉できるのは憚りながら私くらいなものでしょうし」

 敗戦後世間から行方をくらましたはずのラティアだった。しかしチェニスだけはラティアを探し出し、以後つかず離れずにいる。ラティアはチェニスを疎ましく思っているが、もたらす情報はいつも捨て置けなかった。つい繰り返し会うようになっている。

「だったらここで話して。いつもの通り占領統治の課題と事件について」

「分かりました。ではまず、喫緊な課題から」

「それは最後で」

「……あの、まだ何も言っていませんが?」

「いつものでしょう? 私にだって好き嫌いはある」

「せっかくの義侠心に傷が付きませんか? 戦後混乱する人々をあまねく救ってこそ……」

「私は任侠世界の親分じゃない。混乱で困っている人たちを救い出そうとはしているけれど、嫌いな奴だっている」

「占領統治府を補佐するつもりはないと? 生物の種としての違い、敗者と勝者、文化の違い。それらを承知の上で人類とパンゲアノイドの共存を目指そうと理想を掲げた占領統治府は、私から見ても気の毒なほど多忙。法制度整備が間に合わない間、私たち在野の有志が徳義の力を発揮して、すべからく陰で手を回さないことには……」

 戦後の混乱が続いている。勝者として人間に乱暴を働く無法者のパンゲアノイドしかり、民族主義を掲げて抵抗を続ける旧フェムルト軍の残党しかり、法の未整備をついて人間の麻薬がパンゲアノイド社会に公然と出回り、逆もまたしかり。戦争が終結し、時間が経つほどに戦後を血であがなう民衆の犠牲が増えていた。

「最後の方は同意よ。私たちは在野の有志。だから私は受付順番に対応する役所の窓口業務じゃない。占領統治府の出先機関になったつもりもない」

「分かりました。では、先の件はいったん置いて、手頃な話題から参りましょう。先日あなたが殺人卿グラデムル一派から救った女性の身元が判明しました。彼女の友人とコンタクトが取れてあなたが埋葬した墓地へも案内しました」

「そうか。ごくろうだったな」

 良かった、とは口にしなかった。殺人卿グラデムルは大戦で先祖返りしてしまったパンゲアノイド。占領統治府の諫止も無視し、法の未整備を良いことに人間をむやみに殺して廻っていた。その一派もろともラティアが誅殺した。『彼女』は狩られた者だった。グラデムルの邸宅で剥製にされ飾られていたものをラティアが『救い』埋葬した。

「それから先日あなたが捕らえたローローエン一派のクレデユン・ブロドワは無事占領統治府へ身柄を引き渡しできました。今頃帝国検察局へ送還されている頃かと」

 ローローエンはフェムルトに逃亡潜伏していたカルト教団の教祖。危険思想の持ち主としてパンゲアノイド社会から指名手配されていた。

「帝国と共和国が戦ってしまった一因がローローエンの扇動だ。右腕のクレデユンの逮捕でやつの教団はほぼ機能を失うだろうな」

「次に旧軍部ラーメド機関残党のジャスパ大佐についての情報です。フェムルト西端のバスタ市で起きた武装蜂起はラーメド機関とは無関係でした」

「ラーメド機関がそう簡単に表に出てきはしないだろうな」

「フェムルト共和国を無意味な戦いに引き込み、破滅させた張本人たちです。出てくれば占領統治府はおろか、私も八つ裂きにしてやりたい思いでいます」

 チェニスは殊の外ラーメド機関を嫌っている。危うく人類を破滅に追い込みかねなかったと、事あるごとに呪いの呪文を唱えるように言い立てる。ふだん、ひょうひょうとしているチェニスもラーメド機関にはどろりと熱を帯びる。

 ラーメド機関への怒りという点ではラティアも一致している。Sクオリファープロジェクトを立案したのはラーメド機関だった。軍のジャスパ大佐と結託して、パンゲアノイドは人類の敵という虚像を仕立て上げた。結果、Sクオリファー・ワン・ラティアが建造され、仕立てられた敵・アルスラン帝国との戦いに投入された。

 大戦で人類とパンゲアノイドは双方百万人を超える死傷者を出した。ラティアも戦場で数十万の敵を殺した。ラティアの仲間もパンゲアノイドに大勢殺された。だが、戦いを扇動したラーメド機関メンバーは終戦時に逃走している。パンゲアノイドを嫌い、人間の自主独立にこだわる民族主義者は多い。それらをひそかに糾合して再起しようとしている。

「次に先月あなたが鎮めたニューロサンジェルスの武装蜂起ですが。占領府が押収した武器弾薬は、あの悪名高い民族主義ゲリラ・スフェーンKが流したものだと判明……」

 チェニスはラティアに関わる事件・課題の経過を次々報告していく。ラティアはフェムルトの安定を乱す者を、人間であれ、パンゲアノイドであれ、その行動を阻止し、ときにチェニスを経由して占領統治府へ引き渡してもいる。

 フェムルトの状況は不安定だ。降伏し武装解除させられた今では、『寛大な』はずの帝国の気が変わればたちどころに人類は絶滅されかねない。今は安定こそ必要なのだ。けれども無法者のパンゲアノイドは挑発するかのように享楽で人間を殺し、先鋭化した民族主義者たちはテロ活動を繰り返し、復興に必要な生活インフラへもダメージを与えていく。何故、もっと大局観を持って判断できないのか。ラティアは歯噛みするばかりだった。

「話は以上です。それでは最初の課題に戻りましょう。先日来、お話しさせていただいていますフェムルト南部不穏の件です。まだ決心が付きませんか?」

 突き付けるように、チェニスは本来一番に振り向けたかった仕事を持ちだした。ラティアは視線を泳がせ、あらぬ方へ顔を背けてしまう。

「本当に私が出向かなければいけないか? フェムルト南部の新渋谷にも恵比須港にも帝国の治安部隊がいる。ラムナック大要塞には帝国軍も駐屯しているだろう?」

「あなたが行くべきと、私は確信しています」

 チェニスはパンゲアノイドと人類の真の友好を目指すため働いているとし、だからこそラティアを助けるのだと言う。大戦中もラティアの助けにと軟禁されたマンションへやって来た。だが客観的に見れば、この男はラティアを次々と危地へ追い込んでいるとも言える。

「一連の民族主義ゲリラたちのテロ活動程度なら、治安部隊で十分。しかしラーメド機関に直接支援されるスフェーンKは別格です。そして先日来、新渋谷に住むロナウ・ヘイズにスフェーンKが接触してきています。実に由々しい事態です」

 旧フェムルト軍でSクオリファーチームの副指揮官だったロナウ大佐。彼がスフェーンKと合流しようとしているという。ロナウを止めるには、部下でありチームリーダーだったラティアが適任。そしてスフェーンKに対抗できるのはラティアしかいないのだと言う。

「賢明なあなたなら、とうに分かっておられるはずです」

 ラティアは渋い顔でいる。その様子を見てもチェニスはこればかりはと譲らなかった。

「ロナウ大佐は毒蛇とあだ名されたフェムルト随一の野戦指揮官です。彼が民族主義ゲリラの活動に手引きをして、テロが激化する。それだけでも大変なインパクトがありますが……」

 押し黙ったままのラティアにチェニスはさらに強く迫った。

「彼のカリスマ的存在自体が厄介です。彼が戦いを止めようと宣言したから、周囲もそれに倣って戦争が終わった。いわば人類を絶滅から救った陰の英雄です。その彼がもし宗旨替えしたら? テロ活動に荷担していると見なされ、占領統治府に粛清されでもしたら? 大変な事態です。英雄を殺害したことで一気に人間側の民族主義に火が付きかねない。これ以上の戦いは危険だ。種としての人類存続の危機になりかねない。彼に占領統治府の、パンゲアノイドの手が及ぶのはよろしくない。あくまで人間側で自浄作用が働いたことにしてロナウを止めたい」

 ラティアは目を閉じてしまった。チェニスの畳み掛ける正論に対して何も言えずにいる。けれどもラティアの様子は煮え切らない。

「ロナウのもとにはカースティン・ボガードもいます」

 チェニスのその一言に、ラティアは勢いよくチェニスへ振り返った。かえってチェニスの方がその反応に驚いた。

「いやはや、すばらしい食いつきぶりですね? 正直それほどまでの反応は期待していませんでした。うれしい誤算です」

「私の急所をつかんだとでも? そんなわけないだろう」

「私は人の仲をどうこう言い立てる無粋をするつもりはないですが」

「ボギー君……ボガードとは小学校の知り合いだっただけ。それ以上でもそれ以下でもない」

 今となってはラティアが人間であった頃を知る、昔のままの気持ちでいられる大切な友達だった。人は変わる、変わっていくものであるとは思っているけれど、それでも変わってほしくない人なのだ。彼とはできればこのままでいたいとラティアは願っている。

「了解しました。話は脱線しましたが元に戻しますと、ロナウその人にその気がなくとも、スフェーンKがカースティン・ボガードを人質にしてロナウに揺さぶりを……」

「わかった、行く! もうわかったから!」

 ラティアは降参! とばかり叫んだ。話を持ち出したチェニスの方は拍子抜けした表情の果てに、にんまりしている。

「私が言うのもなんですが、あなた、チョロすぎやしませんか?」

「星回りが悪いのよ、彼は。とことん、あぶなっかしいの」

 小学校の遠足で吊り橋を渡っていたときだった。目の前でボギーが板を踏み破り川へ落ちていった。ラティアは恐ろしさで熱を出して、翌日まで寝込んでしまった。あれはラティアにとって一生もののトラウマだった。ラティアと再会したときもそう。偶発的にパンゲアノイド兵と鉢合わせて、殺されかけた。あんなに星回りの悪い奴を放ってはおけない。今またスフェーンKが手を出しかねないとなっては、もう反射的にならざるをえないラティアだった。

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