第二章 亡国旅路

第17話 敗戦。そして踊る。

 ベルトーチカ会戦から四ヶ月あまり経った翌年二月下旬。

 太陽の扉が開いたような明るい日だった。春にはまだ早い。それでも濃く柔らかな青色をした空は、昨日までとはどこか違う。日の照りつける雪のまぶしさも違う。旧ベルトーチカ基地の瓦礫の上でも、雪が少し解けて滴がぽとりと落ちた。

 ラティアは墓標の前に一人立っていた。ギアスーツはもう着ていない。高校の制服でもない。顔は薄い紫に花の刺繍を入れたスカーフで覆っていた。タートルネックニットにジャケットを羽織り、ニーハイブーツへブーツインしたスキニーパンツと、新しい身だしなみは黒を基調に紺と紫で揃えてあった。その上に羽織るマントのみは戦場から使ってきたものだった。

 戦場の硝煙が加わり随分くすみが増している。でもこれはベルトーチカからボギーが持ち帰ってくれたマント。これはもう交換部品なんかじゃない。手放すことなんてできない。そしてマントの下には腰へ剣帯を巻き、古い剣をさしている。地球からの、祖先伝来のものだった。

「冬来たれば、春遠からじ。季節は日々変わっていき……」

 ラティアはゆっくり墓標へ語りかけた。目深にかぶったスカーフをほどく。ほほに感じる陽射しが心地よい。微かな雪解けの匂いは、ラティアの鼻梁へ春の訪れを思い起こさせる。

 ベルトーチカ会戦から二か月後、フェムルト共和国はアルスラン帝国に降伏した。

 ラティアは破れ、フェムルト共和国は滅びた。

 今はアルスラン帝国のフェムルト州となり、帝国の占領統治府が置かれている。

 ラティアは帝国社会から遠ざかり占領統治府を避けて一人、旅をしている。今日は気持ちに整理をつけたいと墓前へやって来た。

「湿っぽいのは好きじゃないですよね? 今日は春っぽいし。こういうのも、有りかな」

 半ば自分へ言い聞かせるように、目を閉じると指先でリズムを取ってみた。

 ワン・トゥー・スリー・フォー。

 ワン・トゥー・スリー・フォー……

 目は閉じたままで途切れた。

 何か自分の奥底とリズムが合わない気がする。目を開けマントをほどくと雪の上に広げた。腰の古びた剣を置くとマント上に腰掛け、ブーツを脱ぐ。スキニーパンツの裾をくるぶし上へと折り返す。ジャケットを脱いで、上着はタートルネックニット一枚になる。これでOKと、マントの上から雪へ素足を乗せて立ち上がった。じんっと雪の冷たさが頭にまで響く。

「OK! ワン・トゥー・スリー・フォー!」

 ラティアはぱっと跳躍した。

 足を真っ直ぐ前後へ伸ばすと、ウエスト辺りで剣帯に下がった金具が音を立てて跳ね飛ぶ。

 頭に思い描く音楽は明るく軽やかな、そして心を呼び戻そうとする歌。

 それに合わせて踊り出す。

 振り付けはラティア作。テーマは自由気まま。

 着地した雪面をコミカルにステップを踏み、手をかざし、廻り、ラティアは踊った。ときにつま先で雪をすくい散らして、それをいたずらっぽく笑ってはしゃぎ、舞った。

 春が来る。全身にそれを染み入らせようとしている。

 おかしいかな?

 おかしくなんかないよね。

 私は女だもの。

 もう、うんざりするくらい悲しいことを繰り返した。

 本当に多くの人の死を見てきた。

 男なら顰めっ面をするばかりだろうけど。

 でも、多くの死の中から生きている人を見つけ出すことが幸せな気持ちにもなれた。チェーホフが言い聞かせてくれた十五人とは全員ラウナバードで再会できた。互いに生きていたことを泣きながら喜んだ。

 だからいいよね。悲しいだけじゃない。喜びもあったんだから。

 女は銃だけじゃない。歌も踊りも心にある。

 墓標の人たちが呆れかえっても良い。戦争は終わった、でも私はくじけてなんかいないよ。日々幸せを見つけて頑張ってるよと。そう伝えたい。だから目一杯手足を、背筋を伸ばしてみせようとした。踊っているうちに、なんだか気持ちが自由になっていくようになった。最後の方はもうデタラメにバタバタ身体を動かしていた。

 脳裏の中で歌が終わる。くるくる身体を回していたラティアはそのままマントの上へ、えいっとダイビングした。あお向けに寝転がって、両足を真っすぐ空に伸ばして指先を動かす。

 くすぐったそうに笑い、日にかざす両足をしばし見つめた。がばっと身を起こして墓標と、瓦礫と、青空を見上げた。辺りは静かだった。

「もういいかな」

 ラティアは立ち上がってマントを、ソックスとブーツに剣を拾い上げてジェットスライダーへ、つま先立ちでちょんちょんと戻る。ジェットスライダーの上にまとめた荷物の中から化粧用具を取り出す。タオルで足元を拭く。コンパクトミラーを開いて乱れた髪と服を整える。

 戦争が終わって真っ先にしたのはおしゃれだった。十六歳になって間もなくでインストールされて、今はもう十八歳の誕生日も間近だ。止まっていた時間を取り戻したかった。ラピスラズリ色のショートセットヘアを撫した。ちょっとつまんで、スタイリングしてみた毛先を整える。鏡に映る『つもり』な笑顔は、まだ大戦中の氷の微笑が完全には抜けきれない。それと見てコンパクトの中で自分がちょっと萎えている。

 コンパクトに向かって口元を真一文字に伸ばして、イーっと顔をしかめた。

「都合良く今年辺りにクールビューティーが流行ってくれないかな」

 勝手な希望だと自分自身を苦笑いした。

 フェムルト共和国は負けて滅んだ。

 だが、救いはあった。占領統治府は必ずしも人類を迫害隷従させてはいない。人間とパンゲアノイドの共存社会を目指すと宣言し、寛大な配慮がされていた。かつて皆が怖れた、人類絶滅の悪夢からは逃れた。ボギーが暮らしている新渋谷市は復興特別区に指定され、むしろ景気が良いとさえメールをもらっている。

 ただし、それで全て収まったわけではない。戦争をしていた者同士だ。その上、パンゲアノイドと人類。帝国と共和国。この違いがひとまとめになったフェムルトは、占領統治府の強権でも抑えきれない混乱が随所で起きていた。

 そしてラティアは生きている。命を抱き、慈しみ、輝かしめることに全力を尽くします。かつてそう、チェーホフに告げた。まだ頑張ってるよと今もまたチェーホフへ伝えた。それは、ラティアが新しい戦いを始めているからだった。沈んでなどいるものか。私はまだ戦わなければいけない。気持ちを切り替えて。今日へ、明日へと向かおうとしている。

 帝国占領府から距離を置いてはいるが、社会混乱を座視してはいなかった。そこへラティアは戦い挑んでいた。

 遠くから呼びかける声がした。笑うのをやめた。その声にむしろ険しい表情へ変わった。

 声の方向をうかがいながらブーツを履く。古びた剣を剣帯に下げジャケットとマントを引き寄せる。かなたから痩身の男が歩み寄ってきて手を上げている。ラティアは不快な声を上げた。

「チェニス! 今日の待ち合わせはここではなかったはずだけど?」

 チェニスは頓着せず、にこやかに笑みを浮かべてラティアへ向かって歩いてくる。

「こんにちは、今日は良いお天気で。せっかくの陽気ですので散歩していましたところ偶然お見かけした次第で」

 嘘だ。約束の場所はここからジェットスライダーで五分も先の町だった。ラティアはこの墓標へ寄ることも全く話していない。

 チェニスはいつも不意に姿を現す。ときには誰もいなかったはずのそこへ、ラティアが振り返るとそこにいる。気付かれぬうちに接近し現れる不審を問うと、彼はいつもこう答える。

「いえ、大したことではありませんよ。仕事柄の余技でして。ただし、こういう技は常に磨いていないといざというとき心許ないので。失礼ながらあなたに会うときはいつも練習させていただいております」

 戦後、姿をくらましていたラティアへいち早くコンタクトを取れたのも、諜報部で活躍していた余技にすぎないと言う。

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