第6話 食欲


 修二はようやく感情が落ち着いてきた事を感じながら室内を見回していた。

 足元には三体の死体が転がり少し離れた所には地だまりに沈む人の下半身が、その先には壁にもたれ掛かる様に倒れた死体があり更に左手前には首の無い死体がある。

 全て自分が殺したのだ。悪人ではあったろうが自分が人間を殺したのだ。

 何か全てが夢の中の出来事の様にも感じられた。風邪をひいて高熱で頭が朦朧としている時によく似ていた。

 現実味が無いのだが、目に映る情景が、その腕に残る感触が現実である事を証明している。



(俺……人を殺したんだな)



 だが修二の心は平然と凪いでいた。それどころか身体が…思考が…目の前の物体を欲している事を感じる。

 殺した事よりもその欲求の方が強く感じられた。

 そしてその感情は修二にとってもよく見知った感情だった。


 即ち『食欲』。


 この化物の身体は人間を餌と感じており、それを自分自身がさも当然の様に受け止められているという事だ。

 血生臭い香りと焼け焦げた臭いが混ざり合い気分が悪くなるような臭いのはずなのに、それがやけに美味しそうな香りに感じられる。



(思考が獣に近い……いや化け物にか?)



 既に自分は人という枠組みから外れているのではないだろうか? 

 明らかに人間を餌と思うなど常軌を逸している行為だ。


 牛や豚なら確かに食べてるだろ。生物を区別するのはどうなんだ?



(イヤイヤ、待て待て! 相手は人間だぞ?)



 それでも食材としか感じられない。俺はもう化け物なんだし致し方ないんじゃね?



(それでも人としての尊厳を忘れちゃダメだろ!)



 相反する思考とは裏腹に蜘蛛の脚は動き続け、足元に転がる灰色ローブの傍まで辿り着いている。

 化け物の身体なのにグゥと腹の音が鳴った気さえした。

 例えば、飲まず食わずの状態で砂漠に放り出され、飢えと渇きを感じている状態で水を目にしたら……もしくは食料を見つけたら……。



(そりゃ水は飲むし、食べ物も食べるだろうよ……でもその食料が人間ってのが問題なんだよ……)



 溜息が口から零れそうになる。

 その間も身体は鎌を伸ばしては引っ込めるそして再び鎌を伸ばすといった行動を繰り返している。

 もう既に意識と肉体が違う動きをしているようだ。



(そういえば俺って……さっき黒ローブの老人……食っちまったよな?)



 今更だ。既に一度食べたんだから。これは緊急措置だ。傷ついた身体を癒すためには食事を取る必要がある。

 様々な言い訳が修二の頭に浮かんでくる。



(やっぱ化け物っぽい思考してるよな……今の俺。元々の俺の人格ってどんな奴だったんだ?)



 考えながらも両方の鎌は死体をしっかりと掴んで。



(あぁーーっ! ちきしょう! 喰うのかよ! 喰らっちまうのか俺は! 化け物だって受け入れればいいってんだろ! 今喰らわないと飢え死にするってか? 食える時に食っとくのは大事な事だしなぁ。何なんだよこの感覚は……わあったよ、受け入れればいいんだろ!)



 やけくそ気味というか何処か日和った考えではあるが、修二自身、自分が化け物である事を受け入れざるえないようだ。

 心情的には恐る恐ると肉体的には嬉々として戸惑い無く、掴んでいた死体に蜘蛛の口で食らいつく。



(不味…くはない? というか味がしない。蜘蛛だと味覚の感じ方が違うのか?)



 思っていたより自然にその事実を受け止めていた。

 人肉を食うのに戦々恐々としていたがその余りにもあっけない結果に、修二は自身が本当に化け物になったんだと改めて感じていた。

 いや、味云々は関係ないのであるが。

 そうこう思考する間も蜘蛛の口は黙々と食事を続けていたが、突然身体からバシュウと蒸気音が聞こえた。

 その音に意識を揺り戻された修二は、思わず自分の身体に視線を向けた。

 視線の先では身体の傷ついた部分から煙が上がり始め、徐々に傷が塞がっていくのが目に入ってくる。

 傷が癒えているのだ。正直、怪我の逆再生を見ている様で気持ち悪かったが。

 だがこの状況での回復能力はありがたい。そのまま少し待つと折れた歩脚と左の鎌の修復も終え移動するのに支障がなくなった。

 さすがに斬り飛ばされた右腕は戻らないらしい。



(やっぱ部位欠損の治癒は難しいのか?)



 ふと修二の脳にもしやという考えが沸き起こる。

 視界に捉えていた目的物である自分の右腕に歩み寄ると、転がっている右腕を取り上げ、徐に傷口同士を合わせる様にして固定する。そして治癒されていた場景をイメージしていく。

 思い描いた通り、接合部分からもうもうと煙が上がり始めた事を確認した修二は、少しだけその状態をキープする。



(もういいか?)



 暫くして恐る恐る支えていた左手を離すと、想像通りに腕が接合されていた。


「グォン?」


 修二はゆっくりと右腕を動かして動作を確認する。特に違和感なく普段通りに動かせる。

 傷口の痕も既に無く、腕がもがれていた事実など無いと思う程に完全に治癒されていた。



(すげぇな、出来たよ。くっ付いたぜ腕。ってことは、多少の傷は自然回復? いや、食事してたら回復したから何か栄養素的なものが必要かもしれんな。要確認って事だな)



 そう考えながらも、歩脚は次の獲物へと歩を進める。

 生前では出来る訳もないファンタジー的な展開に、修二は何処か驚嘆と感動を覚えていた。

 それが身体にも伝わったのか進む歩脚の動きも快活だった。



(デカい欠損は欠損部分が残ってたらくっ付けられる様だし…まぁ便利と言えば便利だよな)



 両鎌で次の獲物を掴み口内へと運ぶ。

 ほぼ二、三口で一人を食べれる蜘蛛の口はどうなってるんだ? などと他愛もない事を考えながら修二は食事を続けていった。

 粗方平らげた所で修二は満足感を感じ、漸く食べるのを止めるのだった。

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