第11話:実感

「宿屋の親父には、私がこの街に来たばかりの頃に世話になってな。気のいい親父だから、なにか困ったら頼ってみろ」

 それだけ言い残し、それじゃっ、と軽く手を上げてエリルが去ろうとする。


「ちょっと待ってください!」


「なんだよ、まだなにかあるのか」


「ちゃんと明日の朝、迎えに来てくれるんですよね?」


「ああ、明日、ギルドに連れていってやるよ」


「不安だなぁ……。何か連絡先を教えてもらえませんか? 電話なんて、ありませんよね?」


「電話ってのがなんのことかは分からんが。まあ連絡先くらいは教えておいてやろう」

 エリルはそう言って、自分のステータスウィンドウを開いた。ほらお前も、と促され、僕も開く。


 エリルが僕のステータスウィンドウを勝手に操作する。なにやら人型のアイコンのようなものを押すと、謎の記号がずらっと並んだリストが表示された。その中から『エリル』の表記を押す。


 あれ、この記号、読めるな。この世界の文字か。もしかしてこれも管理人権限だろうか。管理人万歳!


 一度馴染むと、自然とその記号を文字として認識できた。この世界にログインするときに、転生課の女がなにかしてくれたのだろうか。


 そういえば、ステータスを開いた時には、この世界の文字ではなく、元の世界の文字に見えた。不思議なことに、エリルも読めていたようだったが。


 あと時もまた、転生の何か強い力が働いていたのだろうか。


 魔力の通わない街の中にあふれる文字を見たときには、ただの記号にしか見えていなかった。そしていまは、連絡先リストもこの世界の文字として見え、さらにそに意味まで認識できる。


 僕の適合がすすんだのだろうか。こんなところだけ、やけにバーチャル感がある。これが世界に管理人としてログインする僕の、歪みのようなものか。


 文字が必要になった時に、僕の脳に、なにか新しいプログラムがインストールされたような感覚だ。そう思うと、自分の脳がなにかいじられているような気がして、怖い。なにか他に変なもの仕込まれてないよな……。


「これで連絡リストに追加されたから。離れすぎなければ、これで連絡できる。この街の中くらいならどこからでも大丈夫だ」

 エリルの言葉に、ユウトは我に返る。


「便利なもんですね。これって声も繋がるんですか?」


「そういう魔法を使わないと無理だな。普通は文字のメッセージだけだ。無用な連絡は寄こすなよ」

 そう言うと、今度こそ本当にエリルは去っていった。


 僕はさっそく、今日一日のお礼のメッセージを打ちはじめた。自分が死にかけていた時に、颯爽と現れて命を救ってくれたエリルがどんなに輝いて見えたか。熱意を込めて、感謝の気持ちを書き起こす。


 以前、母親が言っていた。女の子とデートした時には、高揚感が残っているその日のうちに、感謝を伝えなさいと。それがモテる秘訣だと。


 エリルにメッセージを送る。それから、ほどなくして、返事が返って来た。


『黙れ。気持ち悪い』

 辛辣な言葉が心に刺さる。


 なにか間違えたのだろうか。そう言えば、昔デートした後輩の女の子も、デート後に連絡してから疎遠になったっけ……。


 僕は落ち込み、宿屋の親父が置いていった果物を、やけ食いした。水も飲み干すと、一気に生き返った心地がした。この世界に来てから物を口にするのははじめてだった。


 一息つくと、藁の上で横になった。濃密な一日だった。ただ目の前のことを必死にこなしていたが、こうして余裕が生まれると、この世界に来てからはじめて客観的に状況を考えらえるようになった。


 元の世界のことが思い出されてくる。僕が死んで、みんなどうしているだろうか。


 ユウトが管理していたゲーム、ユグドラシルはどうなっただろう。システム障害は回復しただろうか。忙しい時に僕が離脱して、会社のみんなは困っていないだろうか。僕を誘った先輩は、責任を感じて自責の念を抱いていないだろうか。


 そして、自分の死体を発見した両親は、どんな気持ちになるだろうか。そう思い至った時、目から涙がこぼれ落ちた。

 

 正直、冴えない人生だった。友達も少なく、高校でも目立たず、人より優れていることもほとんどなかった。ただ惰性のように暮らしていた。


 しかし、ゲームの管理人をするようになって、はじめて自分の居場所を見つけたような気がしていたのだ。誰かに頼りにされ、自分の力が人の役に立つのが嬉しかった。


 だが結局、自分は良いように使われていただけではないのか。自分勝手なユーザに、仕事を押し付けてくる同僚たち。責任感に燃え寝る間も惜しんで働く僕は、彼らにとってただ都合の良い存在でしかなかったのではないか。


 人のために働いて、働いて、その挙句に死んだ。こうして異世界で一人きりになって、初めて自分のしてきたことの虚しさに気づいた。


 ひとしきり、声を抑え、うめくように泣き続けた。


 この世界では、今度こそ自分のために生きる。しばらくして、僕に芽生えてきたのは、そんな思いだった。決意を深め、涙を拭って起き上がる。


 とにかく、今はできるかぎりのことをするしかない。この世界で自分がなにをしたいのかも分からないが、まずは生き延びなければ話にならない。そのためにも、明日に備えてできることはすべてしておくべきだ。


 しかし、当然ながら、馬小屋の中になにか有益な情報が得られるようなものは転がっていなかった。ステータスウィンドウを開く。ランクゼロ、レベル一に変わりはない。


 じっくりとステータスを眺め、端にクエスチョンマークのアイコンがそこにあることに気づいた。少し躊躇してから、意を決してそのアイコンを押した。

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