第10話:馬糞とかの問題じゃない

「ギルドに行くつもりだったが、思いのほか日が暮れてきたな。ギルドは明日にするか」

 エリルが空を見上げて言う。


「僕、行くあてなんてないですよ」

 これはもしかして、エリルの家にお泊まりだろうか。


 あったその日のうちに、妖艶なエルフのお姉さんの家に泊まって、なにか起こっちゃったらどうしよう。あ、これ、めっちゃいいシチュエーションだな。


「お前は野宿でもしてろ」

 エリルの言葉に希望は打ち砕かれる。


「野宿して、野良キノコにでもあって殺されたらどうするんですか!」


「そんなものはいない」


「とにかく、見たでしょう、あのステータスを! それともあれですか、街の中だとプレイヤーは死なないとか、そんなシステムですか!」


「街の中でも死ぬときは死ぬ」


「では野宿は却下です!」

 なんとしてもエリルの家に転がり込んでやる。そしてそのまま居着いてやる。そしてあわよくばいい仲になってやる。


「本当にお前はわがままなやつだな。放って置いてもいいが、命の恩を返してもらうまでは生きていてもらわないと困るな……。仕方がない、宿屋に連れて行ってやろう」

 エリルが根負けした。エリルの家にいけないのは残念だが、宿屋を紹介してもらえるのはありがたい。


「ありがとうございます! 姐さん、一生ついていきます!」

 

 いきなり異世界に転生させられて、殺されかけて、訳も分からないまま助けられて。この世界について教えてくれて、街まで連れてきてくれた。本当にエリルがいなければ、大変なことになっていた。


「お前、金は持ってるのか?」


「いや、もちろん、ありませんけど。え、おごってくれるんじゃないんですか?」


「いつ私がそんなことを言った」


「返しますから! いつか絶対に返しますから! 今日のところはお願いします!」

 僕はエリルにすがりつく。


 なんだろう。一度死にかけてから、自分のキャラクターが崩壊している気がする。いや、実際に一度死んで、さらにもう一度死にかけたのか。もう怖いものはなにもない。


「甘やかすと際限なくつけあがりそうだからな……。まあ、寝床ぐらいは確保してやろう。贅沢は言うなよ」


「ありがとうございます!」

 二人は行き先を変え、再び歩き出した。


 エリルが案内したのは、小さな宿屋だった。戸を押し開けてエリルが入り、僕もそれに続いた。中は決して広くはなかったが、手入れの行き届いた清潔感ある宿屋だった。ここに泊まれるのなら、悪くない。


「親父!」

 無人の勘定台に向かってエリルが大声で呼ぶと、奥から恰幅のいい男が慌てて出てきた。


「ああ、エリルさんですか。いらっしゃい。お久しぶりですね。今日はどうされたんですか?」

 親父がにこやかに頭をさげる。


「一部屋借りたくてな」


「どうしてまたエリルさんが? 街中に家をお持ちでしょう?」


「私じゃなくて、こいつのためにな」

 エリルが僕を指で示した。どうも、と頭を下げる。


「ああ、お連れの方とご一緒ですか。そうですね、たまには自宅じゃない方が、燃えますからね」

 なにか下衆な勘ぐりをしているのだろうか、親父が的外れなことを言う。まったくもって接客のなっていない親父だ。


「違う! 泊まるのはこいつ一人だ!」


「そうですか、失礼しました。すぐに部屋をご用意しますよ。しかし珍しいですね、エリルさんが男にそこまで親切になさるとは」


「ちょっと訳ありでな。面倒を見なけりゃならん。それにこいつは、ランクゼロでな」


「ランクゼロ……」

 親父が絶句する。


 そんなに驚かなくていいだろう、と僕はふてくされる。そういえばステータスにレベルとは別にランクの欄があった。あれはなんだろうか。ゼロがそんなに珍しいのだろうか。


「あと、部屋は用意しなくていい。確か、馬小屋があっただろう」

 エリルの言葉に、へっ、と情けない声をあげる。いま、馬小屋って言ったか?


「確かにいまは馬車は出払っていて空いていますが……そこにお連れの方をお泊めするんですか?」


「そうだ」


「異議あり!」


「なんだ。文句があるのか。野宿の方がいいか」


「なんでここまできて馬小屋なんですか! 完全に宿に泊まらせてもらえる流れだったじゃないですか!」


「あまり恵まれてると、ふぬけそうだからな、お前は。ちょっとくらい大変な目にあった方が、がんばってレベルも上げて、早く金を稼ぐ気になるだろう」

 エリルはそう言って親父と話を進める。


 異議あり、と再び叫ぶ僕は、今度は完全に無視された。


「よかったな。格安で泊まらせてもらえるようだ」


「よくない! よくない!」

 ジタバタする僕を、親父が哀れむ。


「兄ちゃん、馬糞はちゃんと片付けてあるからよ、安心しろや」


「よくない! よくない! よくなーい!」

 駄々をこねるが、エリルはそれを面白そうに眺めるばかりだった。


 結局、その晩、馬小屋に泊まることが決まった。宿屋の裏にそれはあった。馬小屋といっても三方と天井は壁で囲われていて、藁の敷き詰められたそこでは、確かに雨風はしのげそうだった。


 親父は、リンゴのような赤い果物と水を置いて、宿へ戻っていった。あとにはエリルと僕の二人が残された。

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