第20話


 その日、国は実に平和であった。

 糸にかこまれた城はかがやきをはなち、城下町もきらきらな笑顔でにぎわっていた。


 しかし、雷光のように一筋の光がとどろいたことによって、人々の平和は終わりを告げた。

 地震が鳴り、空気がつめたくなり、恐怖のあまり赤子が泣くのをやめる。


 そこには、招かれざる客が城に向かって歩いていた。



(*'ω'*)



 アーマイゼがあたたかな日差しに手を当て、目を隠しながら空を見上げた。


(ああ、なんてあたたかな日なのかしら)


 こういう日は、使用人たちから隠れて庭の細かなところの掃除をし、昼寝するハチをながめながら、平和な日に感謝するべきである。


(今日もこの国が平和でいられることに感謝感激雨あられ)


「おい、そこの」

「はい?」


 とつぜんのお呼びだしに、アーマイゼがきょとんとし、ふり返った。そこには、背が高く、足の長い美しい女が立っていた。見たことのない女にアーマイゼは思った。これだけ美しくて、高価な身なり。以前ならわからなかったけれど今なら理解できる。これは、どこかのお姫さまに違いない。アーマイゼはほうきをそこの塀に竹のようにたてかけたてて、すぐさまその女のそばに寄った。


「これはこれは、なんて美しいお方でしょう。はじめまして」

「道に迷ったでな、なかまで入れてくれないか」

「ええ、ええ。もちろんでございます。クモ姫さまにご用でしょうか」

「いかにも」

「ご案内いたします。さあ、さあ、どうぞ」


 クモ姫がハチを一度なでてささやいた。


「ここでいい子にしてるのよ」

「にゃあ」


 ハチを置いて、アーマイゼが謁見室まで美しい姫君を案内した。その間、使用人たちと会うことはなかった。みんなどこに行ったのかしらなどと思いながら、アーマイゼは美しい姫君をイスに座らせた。


「ただいまクモ姫さまを呼んできますので、お待ちください」

「ちょいと、そこの。待ってる間、わらわになにをしていろと?」

「なにもしなくて結構でございます。すぐにお呼びしますので、こちらでくつろいでお待ちください」

「わらわはヒマがきらいじゃ。そち、なにか芸をしてみせろ」

「おほほほ。お見せできるものがあればよかったのですが、とてもざんねんです。わたしにはそういったものはないのです。お見せできるものといえば、この笑顔なものくらいですわ」


 アーマイゼがほほえむと、女がふむとうなずいた。たしかに見るかぎり、この土臭い女になにもできないとわかったからだ。


「他の使用人はどうしたのじゃ」

「ええ。そのことでございますね。いつもならみなさん、廊下を掃除されている時間だというのに、まるでもぬけの殻でございまして」

「ほう。では、お前はなぜあそこにいた?」

「わたくしは平和な今日に感謝し、ごらんの通り、あの庭を掃除をしておりました」

「はあ。くだらん。じつにくだらん。なにが平和な日じゃ。ただのヒマな一日じゃ。だがしかし、ここでお前を追い出したらわらわにヒマがやってくる。どれ、そち、ちょいとこちらへおいで」

「お客さま、そうこうしているうちに、お時間が経ってしまいます。クモ姫さまをお呼びしますので、お待ちいただけませんか?」

「だまれ。わらわがこいと言ったらくるのじゃ」

「はあ。申しわけございません」


 アーマイゼが女のそばによると、女の長い腕がのび、アーマイゼのあごをつかんだ。そして、顔をまじまじと見つめた。


「お客さま、わたくしの顔になにかついてますでしょうか」

「お前、わらわを知らんじゃろ」

「ええ。はじめてお会いさせていただきました。わたくしはアーマイゼと申します」

「……怖いもの知らずとはこのことじゃ。わらわに嘘偽りない笑顔を向けるとは、うむ。なかなか悪くない」


 長い腕がのび、アーマイゼの頭にするどい爪が向けられる。


「しかたがない。ヒマつぶしにお前をしょくそう」


 その瞬間、ドアが乱暴にあけられ、女にめがけて網が投げられた。女は体から糸を出し、かべにはりつき、上へ上へと逃げていくと、いつの間にやらアーマイゼとかいう女がいなくなっていた。


「ここへなんの用だ」


 低い声がきこえたと思えば、自分のものではない糸で体を巻きつけられる。女がにやりとして見上げると、天井の糸に座ったクモ姫と、そのひざの上にアーマイゼがちょこんと座っていた。


「おお、おお、久しぶりじゃのう。クモ姫」

「アシダカ、ここに来たということは、わたくしにケンカを売りに来たという認識で良かったな」

「ほほほ。お前は変わらんな。なぜそういう荒々しい考え方をするのか」

「お前と関わるとろくなことがないからだ」

「なにを申すか。唯一の遠縁の親戚。たまに顔くらい見に来たってよいじゃないか」

「お前に見せるのは帰り道へいざなう糸だけだ。さあ帰れ」

「ちょいとおまち。クモ姫や。その女、メイドのくせにお前のひざのうえに大切に乗せられて、ええ、気になるのう。そういえばお前、結婚したそうじゃないか。その女、ほほほ、まさかと思うが」

「なんだ?」


 クモ姫がアーマイゼをだきしめた。


「妻に言い分があるのなら、わたくしに言うがいい。ことと次第によっては、本気でお前を殺そう」

「クモ姫さま、そんなぶっそうなお言葉、お客さまの前でだめですよ」

「アーマイゼ、お前はだまってなさい」

「ほほほ! その土臭い女が王妃だと? ほほほほ! は、はらがいたい!」


 アシダカ姫がクスクス笑い出せば、クモ姫の圧がどんどん強くなっていく。使用人たちはささやきあった。だれだよ、アシダカ姫さまが城に向かって歩いてたってのに、アーマイゼさまを置いていったやつ! なにいってんだよ! おれたちだって、すげーさがしまわったんだぜ! アーマイゼさま、隠れるのお上手だから。この間なんて、穴をほって、そのなかに秘密の通路をつくってたのよ。なにもなくてよかったわ。アシダカ姫さまに食われてたら、みんなクモ姫さまに皆殺しにされてたぜ……。


 うんざりする使用人たちに目もくれず、アシダカ姫が二人を笑い飛ばす。


「クモ姫、本気か? その女、土とドロが混じったような雰囲気で、さらにとっても小さくて、きゅっとひと握りすればつぶれそうなほど貧弱じゃ。お前にはもったいない。というわけで、わらわが城のメイドとしてその女を雇ってやろう。どうせお前のことじゃ。大臣たちの結婚コールがわずらわしくて、テキトーにその女と結婚しただけじゃろ。それを、ほほほ! 王妃! お前の妻! ほほほ! はあ、はらがいたい! おほほほ!」

「言いたいことはそれだけか」


 クモ姫の髪の毛とドレスが殺意に揺れる。


「未練がないなら、とっとと冥土へ送ってやる」

「姫さま、お客さまにそのようなことを言ってはなりません」

「アーマイゼ、客は客でも、あやつの場合は招かれざる客だ。イかれてる客人の歓迎などだれがするものか」

「ご親戚の方と仰せでしたね。わたし、はじめてお会いしました」

「遠い遠い縁が結んで知り合っただけのこと。お前がおいする必要はない。お前がおあいしていいのはわたくしだけだ」

「うふふ。クモ姫さまったら、ご冗談がお上手で。ここで、わたしから提案なのですが、どうでしょう。ここは、ひとまずお茶を出して、ゆっくりお話されるというのは」

「結構。あんな女、さっさと帰ってもらおう」

「ひどい言いようじゃないか。クモ姫。わらわとお前の仲ではないか」


 いつの間にやら糸から抜け出してそばにやってきたアシダカ姫に、クモ姫がさらに強力な糸で巻きつけた。ぎゅっと縛り付けられたら、これは痛い。


「おい、痛いじゃろ。やめろ」

「帰れ」

「ああ。帰ってやる。その女を連れてな」

「アーマイゼは王妃であり、わたくしの妻だ。なんだ。人質にでもしようというのか」

「とんでもない。わらわはただ、その女をメイドとして雇ったら、なかなかおもしろそうだと思っただけだ。だって、お前がそこまで執着している女なのだろう? たしかに、先ほどのわらわに対するあしらい方、悪くなかった。アーマイゼといったな、そち、わらわと来い」

「えーと……その……」

「アーマイゼ、いい。無視しろ」

「クモ姫さま、こういうのははっきりとお話したほうがいいのですよ。わたし、パン屋でクレーム対応もやってましたから、平気です」


 アーマイゼがクモ姫からはなれ、そそくさと糸の上を歩き、ぐるぐる巻きのアシダカ姫の前に立ち、ほほえんだ。


「申しわけございません。わたくしはこの方と共にいる身でございます。せっかくのお誘いでございますが、お断りさせていただきたく存じます」

「いいぞ。アーマイゼ。さあ、もっと言ってやれ。だれがお前の元などで働くかと言ってやれ。こんな女のもとで働いたって、ろくな目にあわん。パワハラ会議に参加させられ、最終的に食われて終わる。だったらわたくしに愛される毎日のほうがさぞしあわせだ。さあ、招かねざる姫よ。わかったら帰れ。さっさと帰れ。二度とこの国に立ち入るな」

「申し訳ございません。クモ姫さまは、少し興奮しているようでございまして……」

「アーマイゼといったな。そちに見せられる芸は笑顔だけだったか。たしかにわらわは、そちの笑顔しか見ておらん」


 ならば、


「他に、どんな顔をするのじゃ?」

「えっ」


 クモ姫の強力な糸に巻かれていたはずのアシダカ姫がにゅるりと簡単に抜け出した。クモ姫がはっとして、糸を動かすが間に合わない。アーマイゼが気がつく頃には、ぷすりと、細い首にアシダカ姫の指が突き刺さっていた。


「っ」

「きさま!!」


 とたんに力が出なくなったアーマイゼが糸の上にたおれ、クモ姫の糸が怒りにあばれ、自分に狙いを定めて襲いかかってくるのを、アシダカ姫は笑いながらかべにはりついて、ぺたぺたと移動した。


「ほほほ! どれ、どれ、気分はどうじゃ。女にわらわは猛毒じゃ。甘美でどぎつい媚薬とな。どうじゃ、アーマイゼ。お前のブサイクな恍惚とした顔、わらわに見せるがよい!」


 その瞬間、とうとうクモ姫がブチ切れた。空気に圧がかかり、体がとても重くなった。アシダカ姫は、この異変にすぐさま気がついた。そして、思った。やはりここにくるとヒマがなくなるのう。ええのう、ええのう。クモ姫はからかいの甲斐がある。しかし、あのアーマイゼという女を使えばもっとおもしろくなる。どれどれ、あの女が欲にまみれてみにくくなったすがたをこの目で見たかったが、このままここにいればクモ姫に本気で殺されてしまう。ここは一時退散じゃ、むふふふ、退散じゃ。自らの糸でかべにはりついてそそくさと逃げるアシダカ姫に、クモ姫が指をさした。


「指名手配だ!! あの女を捕まえなければ、全員死刑にする!! 捕まえるまで、今夜は誰も寝てはならん!!!」


 殺意の込められた声に、使用人たちはおそろしくなり、騎士団も、兵士も、メイドも執事も大臣も、全員が躍起となってアシダカ姫を追いかけはじめた。睡眠不足はいい仕事の敵なのに、かんべんしてくれ! 社畜姫のクモ姫さま! ああ! 転職したい!


 どたばたと音が鳴りひびくなか、アーマイゼが体を震わせる。


(……なっ、なにが……起きて……)


「アーマイゼ!!」


(体が……あつい……)


「あのアマァ……!」

「……ひめ……さま……」

「……っ、アーマイゼ!」


 クモ姫がアーマイゼに駆け寄り、そっと触れたとたん、アーマイゼに電撃が走ったような衝撃が起きた。


「あっ!」


 ぶわっと鳥肌が立ち、あわてて後ずさる。


「いやっ!」

「っ」


 アーマイゼが拒絶し、クモ姫の手から逃れる。


「ア、……アーマイゼ?」

「……クモ姫……さま……、……なんだか、……体が……おかしいです……」


 あつくほてる体が震える。

 鳥肌が立つ。

 あと、


「んっ……」


 目の前にいる愛しい人が、欲しくてたまらない。


「……部屋に……もどります……」


(……媚薬を入れられたか)


 クモ姫が舌打ちし、アーマイゼに近づいた。すると、アーマイゼがおびえたようにまた後ずさる。


「やっ……」

「アーマイゼ」

「だめです、ひめさま、今は……」


 あなたがふれてきたら、体が燃えるようにあつくなってしまう。


「今は……どうか……」

「アーマイゼ」

「あっ……」


 そっとやさしくアーマイゼを抱き上げる。その手のぬくもりすら、体が反応してしまう。


「ふぁっ……!」

「あいつはさまざまな毒を持っていてだな……。……。話はあとだ」


 クモ姫が糸をあやつり、廊下から部屋へとあっという間に移動する。扉をしめ、呼吸の乱れたアーマイゼをベッドに置いた。


「あっ、んん……」

「アーマイゼ」

「やだ、これ、も……」


 アーマイゼがうずくまり、必死に自分の浅ましいすがたを隠す。こんなすがた、愛しい人に見られたくない。


「すこし、寝ます、それが、いいかと……」

「……」

「はぁ、ふぅ……はぁ……」

「……アーマイゼ」


 つらそうな彼女に手を伸ばす。頭に手を置くだけで、アーマイゼの肩がびくりと揺れた。


「んっ!」

「……アーマイゼ」


 クモ姫が小さな体の上を覆い、世界からその存在を隠すように、ふくよかな胸をアーマイゼの背中に押し付けた。


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