第19話


 ――クモ姫は、いつもかんぺきね。

 ――さすがは、わたしたちの娘だ。

 ――だけど、お前には欠けているものが一つある。

 ――それは愛さ。

 ――クモ姫や、母と父は、船旅へでかけてくるよ。

 ――長い旅路になる。

 ――あたくしたちが帰ってくるまでに、お前は愛を見つけておきなさい。それができたら、この国をお前にまかせましょう。


 そう言って、立派な背中を見せて、二人はでかけていった。そして、二度と帰ってこなかった。


「……」


 月が夜空から消える日は、どこか、不快感を覚える。クモ姫は、その日、早く寝床についた。なのに、まだ朝日がのぼらない時間に、目がさめてしまった。


 目をひらくと、ハチのしりが見えた。ハチは、クモ姫にしりを向けてやすらかにねむっていた。


(……わたくしにしりを向けるとは……)


 ハチが頭を向ける先に、アーマイゼの背中が見えた。


(……ん)


 ハチとクモ姫に背中を向け、アーマイゼがタブレットで恋愛ロマンス系小説を読んでいた。クモ姫がひょいとのぞいた。……借金のかたに家をうしなったヒロインと、砂漠の国の王子さま。契約結婚をもちかけられ、従うヒロイン。しかし、ともに過ごしていくうちに、二人の心が揺れ動く。なんてこと。わたし、彼を愛しているの……? なんてことだ。わたしは、彼女を愛しているのか……? アーマイゼがつばを飲んだのをきいて、クモ姫が糸を使ってハチをそっとどかし、うしろからアーマイゼをだきしめた。とつぜんのことに、アーマイゼの心臓が一瞬のどまでとびだした。


「ぴゃっ!!!」

「……アーマイゼ、ハチが起きるぞ」

「クククククククモ姫さま!」


 アーマイゼがあわててタブレットを伏せ、ふり返った。


「び、びっくりするじゃないですか! もう!」

「またそんなベタな恋愛小説を読みおって。好きだな」

「……好きなんですもの……」


 アーマイゼのぷう、と、ほおをふくらませてすねる顔を見れば、クモ姫の口元がゆるんでいく。長い腕を伸ばし、アーマイゼを正面から抱き寄せ、彼女の小さな胸に顔を埋もれさせれば、もう、不快感なんてどこかにすっ飛んでいくような気すらした。アーマイゼがゆっくりとクモ姫の頭をなで、やさしい声できいた。


「……起こしてしまいましたか?」

「いや、……急に、目がさめた」

「今夜はすぐにねむってしまいましたね。ハチがさびしそうでしたよ」

「さびしいからと言って姫君にしりを向けるネコがどこにいる」

「あら、やだ。ハチったら。……うふふ!」


 アーマイゼのクスクス笑う声につられて、クモ姫も吹き出してくつくつと笑い、さらに頭をぐりぐりとアーマイゼの胸に押しつけた。


「あのネコめ、起きたら覚えていろ」

「ほどほどに遊んであげてくださいな。ハチは姫さまがお好きなので、はなれなくなってしまいます」

「それはお前ではないか」

「そうですよ。ですから、ハチとクモ姫さまを取り合わなければならなくなるので、ほどほどに。……ふふっ」

「……それも悪くない」


 クモ姫は不思議な感覚を感じた。

 いつもより暗い夜が、今までならどうしようもなくわずらわしくてしかたなかったのに、今夜は、まだ、ねむりたくない。


 アーマイゼの胸に甘えたい。


「……アーマイゼ」

「……あ、ひめさま……」

「……いやか?」

「……いやじゃ、……ないです……」


 まぶたをとじれば唇を重ねあわせ、身を寄せ合う。ハチが起きないように、静かに、息をひそめて。


(アーマイゼ)


 アーマイゼをだきしめれば、冷たかった手が、あつくなるほどねつを持った気がした。その手でアーマイゼを抱きしめる。甘える。もっと、もっと。欲望のままに求めれば、アーマイゼはやさしくほほえみ、弟妹にやるようにクモ姫をなでた。


「クモ姫さま、……ねむらないと、明日にひびきますよ」

「いい。……ねむれないんだ」

「……」


 アーマイゼがきょとんとまばたきし、心配そうな顔でクモ姫の顔をのぞきこんだ。


「目がさえてしまいましたか?」

「……ん」

「……そうだ。でしたら……」


 アーマイゼが起き上がり、クモ姫の手をやさしく引っ張って、その体を起こした。


「すこし、お待ちください」

「……ああ」


 アーマイゼが部屋から出ていき、しばらくするとカートを押してもどってきた。

 カートには、晩酌セットが置いてあった。


「……アーマイゼ」

「お酒に頼ることも、大事かと思いまして……」

「お前はほんとうにできた女だ。心からそう思う」

「……えへへ。わたしもごいっしょしていいですか?」

「無論だ」


 窓辺に座り、二人で月のない空をながめながら、器に入れた酒を飲んでいく。クモ姫は飲みながら目の前にいるアーマイゼを見た。アーマイゼが器から口をはなし、ふう、と息をはくと、クモ姫にその様子を見られていることに気づき、恥ずかしそうにはにかんだ。その笑顔を見て、クモ姫がうすく笑い、また器に口をつける。アーマイゼを見ながら飲む酒は、いつも以上に味が濃厚に感じる。


「……はぁ。……姫さまとお酒を飲むのは、久しぶりですね」

「初めて飲んだときを覚えてるか?」

「……さあ? ……ふふっ。どうでしたっけ?」


 おたがいの目をチラッと見合って、とたんに笑い声が出る。


「わたしが、まだこの城に慣れてないときでしたね」

「酔いながらマッサージをすると言っていたな。顔を真っ赤にさせて、このわたくしが、強引に押し倒されてしまった」

「ふふっ! 姫さまったら、やめてくださいな!」

「思い返せば、あの頃のお前もなかなか悪くなかったぞ。働きグセが取れず、酔っぱらいのくせに部屋の掃除をはじめて、ベッドメイキングをしだして……」

「もう、姫さま! ふふっ! その辺でかんべんしてくださいな! わたし、とても恥ずかしいです! うふふ!」

「アーマイゼ」

「……ありがとうございます。……いただきます」


 アーマイゼの器に酒がそそがれる。それをゆっくりと飲んでいく。ペースを守って飲めば、長い間、クモ姫に付き合うことができるから。アーマイゼも瓶を持ち、クモ姫の器に酒をそそいだ。アーマイゼについでもらった酒は、また一段とおいしく感じた。今日は、なんてやすらかな夜だ。酒のせいか?


 いいや、酒ではない。


 アーマイゼがそばにいると、クモ姫の心はおどろくほどやすらいでいった。


「……今夜は暗いな」

「今夜は、日食ですから」


 お月さまが隠れる日。アーマイゼの笑顔を見ていると、勝手に口が動いた。


「……月が神隠しにあった夜」


 クモ姫がぽつりと、つぶやいた。


「父上と母上が、亡くなったと知らされた日でな」


 空を見ていたアーマイゼがふり返り、クモ姫を見つめた。


「同時に、わたくしが国王として即位した夜だ」


 クモ姫が酒を飲んだ。


「元国王を、お前は覚えてるか?」

「お顔はあまり覚えてませんが……お話しだけなら」


 アーマイゼがやさしくほほえんだ。


「クモ姫さまのように、なんでも糸で解決されたと」


 クモ姫の両親は言葉の通り、なんでも糸で解決した。二人そろえば怖いものなし。

 しかし、とある日、船で出かけたその先の海で事故にあい、二度と帰ってこなかった。


「聞いてもいいですか?」

「ああ。なんだ?」

「……さびしくありませんでしたか?」

「なにも。……さびしくもないし、なみだも出なかった。わたくしは、むかしから両親が理解できなかった。きらいだった。だから、いなくなって、むしろせいせいしたんだ」


 クモ姫はかんぺきだった。だが、しかし、二人はいつもクモ姫がかんぺきではないから、あとを継がせるのが不安だと言っていた。そのままではいけないよ。クモ姫。お前には愛が足りないんだ。クモ姫、もっと愛を身につけなさい。愛は、心だ。愛がなければ、人生も国もうるおわない。愛がないお前に、この国はまかせられない。


「……今なら、その言葉の意味がよくわかる」


 酒を飲む。


「日食の夜は、どうしてか両方の親を思い出してな。わたくしにとって、なんでもないはずなんだが。まあ、……いちおう、育ててもらった身であるから……」


 ……。


「それだけのことだ」


 酒を飲む。


「はあ」

「姫さま、すこしペースが早くなってきました」

「かまわん」

「姫さま」


 クモ姫がむすったした目でアーマイゼをにらんだ。そして、手招きする。


「……はい」


 アーマイゼがうなずき、移動した。窓辺に座るクモ姫の前にアーマイゼが座り、身を寄せ合う。


「姫さま、飲みづらくありませんか?」

「平気だ」


 クモ姫がどんどん飲み進めていく。


「お前も飲め。うまいぞ」

「姫さま、すこし抑えてください」

「大丈夫だ」

「姫さま、……お水はいかがですか?」

「いらん」

「だめです。クモ姫さま、どうか飲んでください」

「いい」


 クモ姫がうしろからアーマイゼをだきしめた。


「お前がいれば、なにもいらない」

「……姫さま、お酒のにおいがします」

「そうか。ならば、お前にこのにおいを移してしまおう」

「……もう」


 アーマイゼがクモ姫の手の上に、手を重ねた。


「クモ姫さま」

「ん」

「わたしも、小さいときに父を亡くしております。……おそろいですね」

「……お前には、あたたかい母親と、弟妹がいるではないか」

「ええ。ですので、わたしはとんでもなくしあわせ者です。母にはいつも言われてました。あたたかい家族がいることを感謝して過ごしましょうと」

「……」

「クモ姫のお父さまは、どんな方だったのですか?」

「……女のしりにしかれてるような男だったな」

「おやさしそう」

「そうだな。ひ弱すぎて、どちらかというと、主導権は母がにぎってた」

「肖像画を見たことがございます。……クモ姫さまにそっくりでした。とてもおきれいで」

「顔だけは良かったな。……母も、相当な愛マニアだった。愛を身につけないと、国をまかせないと言ったのは母だったからな」

「でも、今ではその意味がわかるんですよね」

「ああ。……よくわかる」


 クモ姫が顔を寄せれば、アーマイゼの髪の匂いをかぐことができた。花の、いい匂いがする。


「愛がないと、みなを守れん」


 ものごとを解決すればいいだけではない。愛がなければ、思いやる心すらなくなり、気遣いがなくなり、つめたい政治に国は冷え切ってしまう。


「アーマイゼ」


 アーマイゼの家族も国の住人だ。ならば、愛を与えよう。


「アーマイゼ」


 そうすれば、アーマイゼが自分を愛してくれる。


「アーマイゼ」

「……。……姫さま……?」


 クモ姫がアーマイゼが抱きながら、こくりこくりとねむりかけていた。その様子がかわいらしくて、つい、アーマイゼは笑ってしまった。


「……姫さま、ベッドにいきましょう?」

「……アーマイゼ……」

「はい。……おそばにいます」


 クモ姫の顔を近づいた。アーマイゼが目を閉じた。酒の匂いがする唇同士が重なった。だが、すぐに唇がはなれ、クモ姫がぼうっとしながら、アーマイゼを引っ張り、いっしょにベッドに入った。


「きゃっ」

「……ん……」

「もう。……姫さまったら……」


 自分の胸に顔を埋めるクモ姫に、アーマイゼがまたほほえみ、やさしくだきしめ、その頭をなでた。


「おやすみなさい。クモ姫さま」


 どうか、


「あなたの見る夢が、良い夢でありますように」


 アーマイゼがクモ姫の頭をなでつづける。クモ姫はとてもあたたかな手が、自分の頭をなでていることがわかった。クモ姫は見上げてみた。


 両親が、クモ姫を見下ろしていた。クモ姫の母親がセンスを開いて自分をあおぎ、クモ姫の頭にもう片方の手を置いた。


「なかなか悪くない女をめとったではないか。我が娘よ」

「クモ姫、愛することも、愛されることも、なかなか悪いことじゃないだろ?」


 クモ姫の父親が笑顔でクモ姫の頭にキスをした。クモ姫は鼻で笑い、足を組んだ。


「いい女だろ」

「それは」

「まだちゃんと見てないからな」

「クモ姫、母と父に、きちんと紹介なさい。お前、墓参りをずいぶんとしてないんじゃない?」

「そうだ。結婚してから会いに来てくれないじゃないか。そろそろ紹介してくれてもいいんじゃないか?」

「うるさい」


 クモ姫がため息をはいた。


「わかったわかった。行くからだまれ」


 肩の力を抜いた。


「……アーマイゼを連れていく」




 明日、いっしょにいこう。

 アーマイゼとなら、きちんといける気がする。


 日はまだ登らない。

 いつの間にかクモ姫はねむっていた。

 その顔を見たアーマイゼも安心して、クモ姫を大切に抱きしめながら、ねむりについた。


 窓辺に、飲みとちゅうの酒が残される。


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