第18話

 この城にはクモ姫の糸が垂れている。アーマイゼが城に来たばかりの時、あまりの美しさにうっとり見とれてしまったものだ。


 今日も糸は輝きを放って垂れている。

 アーマイゼはそれを見て、ふと思った。


(この糸って、クモ姫様が垂らしているようだけど)


 引っ張ったら、返事があるのかしら。


(気になる!)


 アーマイゼが好奇心から糸を両手で掴んでみた。


(あっ! いけそう!)


 てい!


 アーマイゼが糸を引っ張ってみた。

 だがしかし、糸は下に引っ張られただけだった。


(……)


 呼び鈴ではないので、クモ姫が来るはずもなく、返事もない。


(そうよね。わたしったら、子供じみたことを……)


 アーマイゼが糸から手を離す。


(さてさて、ハチにおやつでもあげましょうかね)


 しかし、糸が手に粘りついた。


「……あら」


 アーマイゼがゆっくりと離れた。しかし、糸がついてくる。


「あら?」


 もう一度掴んでみる。


「取れない」


 粘りの強い糸であることは知っていたけど、ここまでとは。


「うーん」


 取れない。


「うーーーん」


 アーマイゼが糸を引っ張ってみる。


「うーーーーーーん!」


 ぽんっ、と取れた。


(あ、取れた!)


 しかし、今度は反動で下がってしまったため、背中に糸がくっついた。


「ふええ!」


 取れなくなってしまい、アーマイゼが体を引っ張ってみた。


「と、取れない……」


 アーマイゼがまた引っ張ってみる。


「んーーーー!」


 なにか掴むものはないか。あら、あったわ。アーマイゼは目の前にあった糸を掴んでみた。


(あっ!)


 アーマイゼが糸に捕まってしまった。


(きゃっ! なんてこと!)


「だ、誰か……!」


 声を出そうとした途端、糸がアーマイゼに絡んできた。


「きゃあ!」


 糸はアーマイゼを侵入者と思ってしまったようだ。足を縛り、腕を縛り、体を縛り、胸を縛り、ありとあらゆる部位を縛り、上へ上へと上っていく。


(……どうしよう……。……取れない……)


 もぞりとアーマイゼが足を動かしてみた。すると、糸がさらにアーマイゼの足にまとわりつき、ぱかりと、両足を左右に開かせた。


「きゃあっ!」


(恥ずかしい!)


 アーマイゼが顔を真っ赤にして叫んだ。


「誰か! 誰かいませんかー!」


 ただいま、使用人達は別の廊下を掃除していた。この廊下に来るにはもうしばらくかかることだろう。


(誰もいない……)


 アーマイゼはどんどん怖くなってきた。


(糸が、まとわりついてくる……)


 まるで丸焼きにするかのように、糸が固定されていく。両腕も上で縛られ、何も出来ない。


(どうしよう……。どうしよう……)


 焦りの心が見え始めると、糸がまた動いた。


(あ……)


 ドレスの中に入ってくる。


(あ、う、うそ……!)


 糸が素肌をなぞってくる。


(やっ! なに!? これ!)


 粘着のある糸が肌を撫でるように滑り始める。見下ろせば、ドレスがもぞもぞと動いている。


(あっ、だめっ、そんなところ、触らないで……! 触っていいのは、クモ姫様、だけ……!)


 もぞ。


「あっ!」


 糸が胸の周りを撫でてきた。


「い、いや!」


 太ももを撫でられる。


「ん、ぅ!」


(どうしよう。逃げなきゃ……)


 何とかしないといけないという気持ちだけが先回りする。しかし体は動かない。糸が足かれドレスの中へと侵入していく。


「っ!」


 糸が下着の中に入ってきた。


「いやぁ!」


 糸に尻を撫でられる。


「んん……やだぁ……」


 胸が撫でられる。


「ううっ……んん……!」


 不快なのに感じてしまう自分に嫌気がさし、アーマイゼの目に涙が浮かんでくる。


「だめ……! そこ、触っていいのは……」


 クモ姫様だけ。


(触らないで)


 姫様に、また、触ってもらいたいから。


(触らないで)


 穢さないで。


(姫様……)


 アーマイゼが悲痛な声をあげた。


「クモ姫様ぁ……!」




 その途端、いやらしい動きをしていた糸がぷつんと切れた。



(へっ)


「アーマイゼ」


 下を見下ろすと、クモ姫が自分のいる天井を

 見上げていた。


「そこで何をしている」

「……動けなく、なってしまって……」

「ばかめ」


 クモ姫が長い指を動かした。


(……あ……)


 するすると下りていき、クモ姫の腕に下りてくる。


「……」


 そしてまた、するすると糸が簡単に離れていった。


(……クモ姫がいる……)


 じわぁ、と再び涙が溜まっていく。


(姫様……!)


「わたくしの糸に捕まるとは、ふん。間抜けだな。アーマイゼ……」


 アーマイゼがクモ姫に抱きついた瞬間、クモ姫の動きが停止した。


「……こ」


 震える声を絞り出す。


「怖かった……!」


 アーマイゼに捕まってしまったクモ姫は、わなわなと片手を震わせ、がっ! と手を広げ、……優しく優しくアーマイゼの背中をなでた。


「き、急に、動けなく、なってしまって、わたし……!」

「……」

「何とかしようとしたら、糸が、いっぱい、触ってきて……!」

「……」

「くすん! くすん!」

「……よしよし。そんなに泣くな。糸はわたくしが懲らしめておくから」


 クモ姫の指がアーマイゼの涙を拭いた。


「もう大丈夫。アーマイゼ」

「クモ姫様……」

「わたくしが来たではないか。ん?」

「……ありがとうございます……」


 涙目のアーマイゼがクモ姫を見つめた。


「感謝感激雨あられ……」

「……ドレスが乱れているな」


 くるりと回れば、その方向は寝室。


「着替えよう。手伝ってやる」

「そんな、姫様にご迷惑を……」

「わたくしが着替えると言っている。言うことを聞きなさい」

「……はい。姫様……」


 愛しい姫にアーマイゼが寄り添う。


「……」


 クモ姫は思った。


 言えない。

 捕まったアーマイゼが可愛くて自らの手でイタズラしてたなんて、糸が燃えても言えない。


 二人は部屋へと向かった。



(*'ω'*)



 アーマイゼをベッドに起き、頭を撫でる。その手が優しくて、アーマイゼはうっとりとした。


(……優しい手……)


 糸と違ってぬくくて、安心する。


(もっと……)


(ん?)


 クモ姫は気がついた。


(アーマイゼがうっとりしてる)


 だからゆっくり指を動かして、撫でてみる。


(また表情が変わった)


 ここは?


「ん」


 ここは?


「はぁ……」


 ここは?


「ふう……」


 ここは?


「んふふ……」


 なんだ。笑ったぞ。


「ふふっ。くすぐったいです……」


 耳を撫でる。


「ふふっ、姫様ったら……」


 赤い耳。赤い頬。赤くて小さな唇。


「……姫様……?」


 口付ける。


「っ」


 アーマイゼが糸に捕まったように動けなくなる。


「……」


 クモ姫の手とアーマイゼの手が重なり合い、――ゆっくりと指が絡み合った。


(姫様の、キス……)


(アーマイゼ)


 クモ姫の体重が前に移動した。


(アーマイゼ)


(姫様のキス……安心……する……)


(もっと)


 クモ姫が求める。


(もっと)


 欲しい。


(アーマイゼ)


 押し倒す。


「あっ」


 アーマイゼが背中からベッドに倒れた。見上げれば、クモ姫が自分を見下ろしている。


「……」


 見つめ合う。

 見下ろせば、アーマイゼが自分を見つめている。さっきのイタズラでドレスが乱れている。


(……まずい)


 クモ姫が唾を飲み込んだ。


(魅了される)


 アーマイゼの瞳に見られたら、心臓がアーマイゼの糸によって縛られてしまう。だから、こんなにも締め付けられているんだ。こんなにも胸を鳴らすんだ。


(愛してる)


 アーマイゼに再びキスをする。


「んっ」


 アーマイゼの間抜けな声が響く。しかし、クモ姫はその声が好きで堪らない。なんて甘くていやらしい声だろう。舌でかき乱せば、アーマイゼの顔が真っ赤になる。


「ん……」


 糸の中とは違い、安心しきって、力が抜けて、お前、まるで茹でられたコンニャクのようではないか。そんなことでこの先どうする。


(アーマイゼ)


 答えはわかりきってる。何があろうと二人でいよう。


(アーマイゼ)


 可愛くて仕方ない。愛しくて仕方ない。だからこそ、これ以上触れるのが怖い。


 嫌われるのが怖い。


(アーマイゼ)


 嫌われたら、


(アーマイゼ)


 さっきの糸にあげていたような声を出されたら、


(拒まれたら)


 アーマイゼに嫌われたら、


(わたくしはお前を殺さないでいられようか)


 愛しいが故に、恋しいが故に、


(これ以上は駄目だ)


 ストップをかける。


(止まれ)


 無理矢理欲を抑えつけ、唇を離す。


「……」


 お互いに呼吸が乱れている。心臓は高ぶり、気分は高潮している。一番、この時が危ない。


「……アーマイゼ」


 アーマイゼの肩がびくっ、と揺れた。


「着替えなければな」

「……え……」

「いつまでも、そんなはしたない姿でいるわけにはいかないだろ」


 クモ姫が立ち上がった。


「そこにいろ」

「っ」


 アーマイゼがクモ姫の手を引っ張った。


「アーマイゼ?」

「……姫様」


 握り締められる。


「わたしを、愛してないのですか?」

「……何を言ってる。愚か者」


 こんなにも愛してるのに、不安を感じるなんて。間抜けめ。


「わたくしが浮気をするような女に見えるか?」

「……そういう、わけでは……」

「お前以外を見る女に見えるか?」

「……」

「アーマイゼ」


 もう一度横に座り、小さな彼女を抱きしめる。


「愛してるよ。アーマイゼ。わたくしの妻」


 もう一度顔に、キスを送る。

 そうすればまたアーマイゼが自分を見つめる。

 その目が、



 なんとも、悲しい目。



「……アーマイゼ?」


 アーマイゼがクモ姫に抱きついた。


「……どうした?」


 アーマイゼを抱きしめる。


「アーマイゼ」


 耳には心地良い声。


「アーマイゼ」


(わがまま言ってごめんなさい)


 あなた様がわたしを愛してくれているのは、痛いほど伝わります。それだけは、伝わります。


(でもそれなら)


 どうして触ってくれないの。


(……姫様の、意気地なし)


 意外と華奢な体にしがみつく。


(わたしはもう、ここから動きません)


(……コンニャクが石になった)


 クモ姫がアーマイゼの頭を撫でた。


「アーマイゼ、着替えはいいのか?」

「……」

「なんだ。どうして拗ねてる」

「……」

「アーマイゼ」

「……姫様の」


(ん?)


「ばか」


 すり。


「……愛してます」


(……ああ、愛しい)


 執務の休憩がてらだったが、こうなったら仕方ない。


(もうしばらくこいつに付き合ってやろう。わたくしが愛しすぎて、離したくないようだからな)


 そう思うと、クモ姫は邪魔されないよう、扉に糸を巻きつけ、扉に触れたものがぐるぐる巻きになるようにした。


 二人が部屋から出てくる頃、数体のぐるぐる巻きにされた者達が廊下に転がっていた。


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